日々暮らしていても、身体の周りが「空気で満たされている」と感じることは少ないのではないでしょうか…
でも、ジャンボジェット機に乗ったりすれば、
とてつもなく大きい飛行機が空を飛ぶのは、空気で満たされた「大気圏」があるから、
翼と空気の抵抗力によって空を舞うわけだから…
と「空気の存在」を実感できたりします。
そして、考えてみると「空気」がなければ 「音」は存在しません。
真空の中で「ピストルを発射」しても「音」はしないのです。
音は「波」です。
「空気」という「媒体」があるから存在し、「音波」は空気の振動によって伝わり
私たちは「音」を聞くことができるのです。
ということは「空気」がなければ、私たちは「音楽」を楽しむこともできず、「会話」さえないのですね…
ところで「マザーテレサ」は、愛の「反対語」について
『 愛の反対は、憎しみではなく 無関心です 。』と 名言を残しています。
だとすれば、愛の「根源」は、「関心」なのでしょうか…
関心… 「心」が何かに「興味を抱く」こと…
ふと 思った…
人の「関心」も空気のようなものかもしれません。
周りの人から何の関心も寄せられない、
いわゆる「孤独な状態」に置かれると、精神的に辛い状態になってしまいます。
空気のない「酸欠状態」…
しかし酸欠だからといって、どんな「空気」を吸って良いというものではありません。
汚れた空気を吸えば、健康を害します。
「他者の関心」は、いろいろとあります。
「心地良い」関心もあれば、「不快な」関心もあるでしょう。
予期せぬ人からの「好意」、友人からの「優しい言葉」は、嬉しく感じたり勇気付けられたりします。
でも、「誹謗中傷」や「理不尽な妬み」を受けた時、人は傷付きます。
「助言」「忠告」「諫言」に関しては熟考することが必要です。
それらはあなたにとってその時は「不快な関心」だと感じるかもしれませんが、
表層的な言葉を「浄化」すれば、それらはあなたにとって「必要な関心」なのかもしれません。
幸せになるには、人の「関心」と言う空気も、浄化する必要があるのだと思います。
心に「空気清浄器」があると思い、どんな「フィルター」を装備するか…
明らかに貴方のことを「攻撃」しようとする人、「貶めよう」とする人の「関心」は、
何重にもフィルターで濾過するか、「吸わない」ようにすることも「幸せ」になる方法だと思うのです。
nico