「十句観音経」と「般若心経」の事は綴ったが
仏教哲学を語るには基本の「三法印」をまず理解したい
三法印(さんぼういん)は、仏教の教えの基礎となる三つの考え
諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 の三つの教えである
お釈迦さんは「釈迦族」の王子で妻も子供もいらっしゃったが「諸行無常」に気づき「出家」されたという
なんと大胆な決断である
諸行無常(しょぎょうむじょう)とは、この世の現実存在は全て本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう
「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である」「寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり」
「楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない、有為の苦に対して寂滅を楽と言っているだけである
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない
生滅する存在であるにもかかわらず、それを常なものであると観るから苦が生じるのである
これが仏教の基本的立場である
無常の真実に目覚めないもの、無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによって拠り所を失って、拠り所としての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦の生活である
それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静の示すものである
仏教本来の意味からすると、涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれから解放された絶対自由の境地である
これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない
この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれる
この三法印を基本概念として般若心経の「空」の哲学へと辿り着くのだが司馬遼太郎と井上ひさしの興味深い会話を思い出した
司馬 お釈迦さんが持っていた「空」という概念は絶対なのか相対なのか。すべては空なのだから絶対なのかと思ったら、いや、違うんですね。 相対世界の総和、あるいは言葉のシンボルとしての空、相対世界の解釈法としての空なのであって、わらわれは「空」によって支配されてはいるけれど、ゴッドという絶対なるものに支配されてはいない
井上 おっしゃった「空」のように、すべてを相対化してそのなかから普遍的なものは何かを問うていくような新しいものの見方を、西洋の人たちに頑張って研究してほしいという気もありますし、実はアジアの人がそれをやらなければいけないんです
私は思う 故に仏教は宗教ではなく哲学だと
(出典 : 常識として知っておきたい世界の三大宗教 総図解よくわかる仏教 国家・宗教・日本人 wekipedia )