エリック・クラプトン、本名 エリック・パトリック・クラプトン
1945年生まれだから既に65歳を超えている。
私が彼の存在を知ったのは「クリーム」時代の「サンシャイン・ラブ」だった。
ギターを弾く彼の姿に「格好いい!!」と素直に感激した。
現在のクラプトンからは想像できないほど痩せていてステージで笑うことは決してなかった。
クラプトンは当時既に「ギターの神様」と呼ばれ、ギター少年の私にとっては憧れの存在であった。
「ジャック・ブルース」「ジンジャー・ベーカー」とのクリームとしての活動は1966年から2年間ほどであった。
彼の人生は波乱万丈である。
1970年代はドラッグ依存症になり、1980年代はアルコール依存症になっていた。
親友のジョージ・ハリソンの前妻パティ・ボイドと結婚したが、
イボンヌという女性と関係を持ち子供まで儲けてしまう。
この時期の複雑な女性関係の心境を綴ったのが「Layla」である。
しかし彼の人生観を変えた一番の出来事は息子「コナー」( Conor Clapton 4歳 )の事故死であろう。
1986年クラプトンは女優ロリ・デル・サントとの間にコナーを儲ける。(私の息子と同い年)
1991年3月20日 コナーは自宅53階のマンションの「たまたま開いていた」階段の踊り場の窓から誤って落ちてしまった。
私は「YouTube」でコナーの映像を見たことがあるが、本当に可愛い利発そうな子供だった。
クラプトンがコナーを溺愛していたのは疑う余地もない。
多くのファンはクラプトンが再び「ドラッグ」や「アルコール」に溺れてしまうと思い心配した。
しかし、クラプトンはジョージ・ハリソンのワールドツアーの誘いを断ってある楽曲の制作に没頭する。
そして完成したのが「tears in heaven」である。
1992年に発売されたこの作品はビルボードでみごと一位を獲得する。
クラプトンは彼個人が運営するドラッグ更生クリニック「クロスロード・センター」の運営資金捻出のために1999年と2004年の2回、彼の所有するギターをクリスティーズのオークションに出品した。
カリブ海のアンティグア島にある「クロスロード・センター」はアルコールや薬物依存症患者が最高の治療を受けられる施設として知られている。
1999年は通称「ブラウニー」(フェンダー・ストラトキャスター)を売却
2004年には通称「ブラッキー」(1956年制フェンダー・ストラトキャスター)が約1億円で落札され話題になった。
彼の中で「慈悲」や「懺悔」の気持ちが生まれたのだろうか・・・
数年ごとに「クロスロード・ギター・フェスティバル」が開催され彼の趣意に賛同する多くの著名なギタリストが参加をしている。
ベビーフェイス編曲の「change the world 」や「 blue eyes blue 」も好きな曲だが
この年齢になり愛する人を失う経験をしてしまうと「tears in heaven」が私の一番好きな曲となっている。
最近、また若い女性と再婚したらしいが、私にとってクラプトンは永遠の格好いい「兄貴」である。
Eric Clapton/Tears in heaven
http://www.youtube.com/watch?v=AscPOozwYA8
Nico