地図 | ふと、思うこと

ふと、思うこと

猫と美味しい食事で日々乗り切ってるアラカンおばさんの日常ブログです

小学校の時に初めてもらう地図帳。

始めは、自分の家、従姉妹の家、祖母の家、友達の田舎と
身近に知ってる場所から、地図で探して見つけて楽しむ。

地図記号の模様を覚えたり、自分の町のお店から家までなど
簡単な地図を作って、その距離感を学んだりする。

そのうちテレビで見た外国の風景の場所や物語に出てくる地名を
探して遊ぶようになる。

思春期にもなれば、面白い地名やちょっとエッチな地名を
見つけ出しては、みんなでケラケラ笑ったり。

大人になるとドライブや旅行や知り合った友達など
現実に出かけられる場所の最短距離を探すのが楽しい。

自分の生活エリアの川を辿り、どこまで続いているのか見たり
旅先で出かけた山はどれだったか探したり、だんだん本物と
照らし合わせて見れるようになっていく。

これから行く場所、行きたい場所を見る、地図での空想旅行は今でも楽しい。


車で出かけて遊ぶ年頃になると、地図から道を探し出すのが得意になった。
旅行やドライブに出かけた際には、いつもナビゲーション係。

迷子になった時でも、道路脇の電柱に張り付いている
緑の番地看板から探し出し、無事に迷子から抜け出せた。

しかし、私はめちゃめちゃ方向音痴だ。
地図が手になければ、途端に方向感覚が鈍くなる。
これは大人になった今でも治らない。

紙の上では普通に見れる方向感覚が、現実の世界では
余計な物に目を奪われ、肝心な方向が狂ってしまうのだ。

道端の植木鉢、つながれている犬、店先のポスター。
目線のすぐ先の物ばかり見てるから、広い視野感覚で
方角を捉えることが出来ないのだ。

でも、迷子になることは結構好きだったりする。
知らない町の知らない道で、どうにもこうにもならず
迷い込み焦る緊張感。無事に脱出出来た時の開放感。

いよいよ困れば人に聞けばいいのだとわかり、出来るように
なってから、迷子は楽しめるようになったのだった。

思えば、地図の中の世界の国々は、子供の頃から今までで
だいぶ国名や国境が変わった。
そしてそれは、これからも変わるのだろう。

今では何でもインターネットで調べて、写真付きで見れる世の中。
でも、地図から想像し、思いを膨らませる楽しみには
また違った楽しさがあると思う。

久しぶりに世界一周に出かけてみようかな。