毎日新聞社の勝間和代のクロストーク1周年記念イベントを拝聴して思う | ビジネスに感動を

毎日新聞社の勝間和代のクロストーク1周年記念イベントを拝聴して思う

毎日新聞社の勝間和代のクロストーク1周年記念イベントを拝聴して思ったことは、

"トークイベントに必要なのは、司会者ではなく審判である"

ということである。

ボクシングの試合に、司会者は不要である。司会者は試合が始まる前のみに必要で、試合が始まったら審判のみが必要になる。

アメリカのトークイベントでは、レフリーが議論の交通整理を多少することはあっても、"はい、あなたここで殴って"、"はい、そのパンチをよけて"というようなことは当然言わない。

しかし日本のトークイベントではそれが言われていたのである。

主役が主役たるには、主役が自由に発言できる環境が必要不可欠である。もちろん、毎日新聞社の中の人も当然それは熟知されている。しかし、おそらく中の人は主役を捉え切れていなかったのではないか。つまり、主役は勝間先生とゲストのみだと考えてられていたのではないかということである。

今までのトークショーであればそれで正解だが、クロストークという設定における主役は彼らと来場者、質問者、そしてUstやtwitterにて参加している人までも含まれるのである。

もちろん主役は層になっており、最も核となる層は勝間先生だが、周辺部分の層がUst参加者の約400人と来場者100人である。

その500人の一人として、明らかに我々は主役としての待遇を受けていなかった。つまり、毎日新聞社は1/1の主役の扱い方は熟知されているが、1/500の主役の扱い方をご存知ではなかったのである。

もちろん私もその扱い方は今後の検討課題であるが、既にTimeでは数年前に"You"を主役の年を選択されており、欧米のメディアがその扱い方を日本よりも模索されていると言える。

単なるメディア企業の収益変化や消費者のライフスタイルの変化のみではなく、構造的な"場"と"役割"の変化が起こっているのであり、毎日新聞社がその変化を活用できるように試行錯誤されることを強くお勧めさせて頂く。