墨攻 (新潮文庫)/酒見 賢一
¥380
Amazon.co.jp

酒見賢一著「墨攻」(ぼっこう)を読んだ。

紀元前400年ほどの中国、一切の差別がない博愛平等主義を唱えた墨子の思想は、非戦。西洋の近代思想であるイマニエル・カントやルソーにも通じる。

物語は、古代中国の城を舞台に、墨子思想である非攻で大国の侵入から城を守り抜く。

この小説であったセリフ。映画チャップリンの「殺人狂時代」のセリフを彷彿とさせる。
(One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify.)

「一人の人間を殺せばこれは不義であり、必ず死罪にあたる。この説でゆけば、十人を殺したものは不義が十倍であり、十回分の死罪に相当する・・しかし、それがこと戦争となるとそうではない・・」

「戦争を仕掛ける君主は4回も1万回も死刑に処せられてしかるべきだろう」

しかし、そうとはならない。今の現代社会においても。

それはなぜか。

法律を学んだ者なら、国際社会は半ば無法社会。国際法はあっても世界法はないと言うだろう。

国際法は国家間の約束である条約や国際慣習法であって、世界議会が制定した世界法は今の国際社会にはない。

国際社会に議会もなければ法もない。言ってみれば、現代は国際的な無政府状態である。

また経済を学んだ者なら、先の大戦を見て、ブロック経済が戦争を引き起こしたと見るだろう。

世界の列強が、必要な物資を自国の勢力圏で調達する経済自立政策(アウタルキー)に傾いていく中で、世界恐慌が起きた。この経済危機を自国の勢力圏をブロック化し、競争国に対して閉鎖するブロック経済を強化していった。

資源に乏しい日本やドイツ、イタリアは自給自足の経済自立の体制に向け、新たなブロック経済の結成を図った。こうして世界大戦が勃発した。

それゆえ自由貿易体制が重要で、このことが保護主義に敏感になり、EUやNAFTAがブロック経済化していないか注意する。

また歴史を学んだ者なら、今の国際社会は群雄割拠していた戦国時代や徳川幕藩体制になぞらえるだろう。

米国が巨大な力を持つ徳川幕府。天皇は権威があっても権力がない国連。

独仏が薩長なら、会津が英国。日本は桑名藩か大阪・堺商人か。

国際社会は未だ統一国家たる明治政府になっておらず、世界は廃藩置県、廃刀令、関所の廃止、藩札の廃止など未だ行われていない。