かいじゅうたちのいるところ

『かいじゅうたちのいるところ』

作・絵 モーリス・センダック

訳  じんぐうてるお   冨山房



その表紙を見るだけでは不気味で

子供が喜ぶとは思えない

(大人が考えるに)。


けれど時代を超えて

多くの子供たちがこの絵本を

「よんで!」と親の元に持ってくる。


いたずらばかりして

お母さんに叱られるマックス。

「このかいじゅう!」とお母さん。


「おまえをたべちゃうぞ!」とマックス。

夕ご飯も抜きで寝室に追いやられる。


すると、寝室は

たちまち森や野原に。


船を出し、波に乗り

“かいじゅうたちのいるところ”にたどり着く。


そこにいたのは

恐ろしい姿をしたかいじゅうたち。


マックスが怒鳴りつけ

かいじゅう慣らしの魔法を使うと

かいじゅう達は恐れ入って

マックスをかいじゅうの王様にするのだった。


マックスとかいじゅうたちが繰り広げる

かいじゅうおどり。

文字はなく

躍動的で神秘的なページが続く。


子供の中の

“かいじゅう的な部分”が

どんどん湧き上がってくるような表現に

少し恐れと不安を抱きつつ

ページをめくる。


そのうち寂しくなったマックスは

おいしい匂いに導かれ

自分の部屋へ戻るのだ。


夕食抜きと言ったはずのお母さんが

置いておいてくれたスープは

まだ温かかった。


この絵本、出版当初は

大人たちから批判を浴びた。


「暴力的、残酷的な表現」

「子供はもっと純粋なもの」


でも子供は本来いくらかの

暴力性と残酷性を秘めているもの。


空想することも認められず

抑えつけられた子供たちのそれは

力を蓄えて、いつか必ず顔を出す。


私は何度か「子供の世界」ということに

触れてきているけれど


私自身がすでに大人になった今

子供たちのそれを

見逃す自信はあっても

すべて尊重できているかどうかは

全く自信がない。


けれど


子供は勝手に

自分の世界へ出て行ってしまうのだから


せめて私は

帰ってこられる場所でありたい。


どこに帰ったらよいか

分からなくならないように

スープはいつも温めて

おいしい匂いを流しておかなきゃね。


「あまりにもしばしば見過ごされているのは、

子どもたちがごく幼いうちからすでに

自分を引き裂く感情とはお馴染みであるということ、

恐怖と不安は彼らの日常生活の本質的な一部であるということ、

彼らは常に全力を尽くして欲求不満と戦っているのだということです。」


「そして、子どもたちがそれらから解放されるのは、空想によってなのです。

それは『かいじゅうたち』を飼い慣らすために

彼らが持っている最上の手段です。

昔話やファンタジーの中で、私たちは子ども時代の恐怖を再構築し、

そこにひそんでいる爆弾の起爆装置をはずします。」

                   モーリス・センダック(『センダックの絵本論』)