こんばんは、なんだか九月に入ってからの一週間が、1ヶ月ぐらいに感じられるほど、何かいろんなことが目まぐるしく起こってきている大空巡夢です。


さて、いつも長くなってしまいがちなので、今回、箇条書きで書いてみました。




自らの心の奥の「我」「エゴ」の部分を失くしていく流れに伴い、「詩」ができた


「詩」によって人の心によい影響を与える切っ掛けができた


ギャラリーやらゴッホの目指した芸術家の理想のユートピア「黄色い家」に似たもの(の器)が与えられた

しかし、あるところまで進むものの、それ以上は、スムーズに進む流れが起こらなかった

ギャラリーそのものではなく、本来、詩に意味があることを気付かされた

詩を通して理想を実現していく私における使命を果たさないと、と様々な現象をヒントに、勝手ながら感じた

それを念頭に都内にサロンを準備した

この前後から、再び、いろんなことが急速に進み始めた

夢に出てくる女神の話を証し、自らは橋渡し役ということを伝える、ということにつながる切っ掛けを与えられた

理想実現に向けてのプロジェクトを打ち出した

夢に出てくる女神の話を証し、必要に応じ、そのメッセージを伝えるということを伝えることとなった

いくつもすることを抱え、一人では進めきれないと限界を感じた(9月1日)

このあたりで、なぜか昔のブログの記事内容(冊子)を、「手放す」流れが生じた(9月3日)

自分が創ろうとしている作品や進めていこうとしているプロジェクトについて、今後は私以上に能力のある方に手伝ってもらう方向でいくべきと悟らされた

そんな中で、そういう力になっていただけるような方と不思議に出会わされつつもある(特に9月1日~)

閉ざさずに、すべての者と共生という思いで進むべしという天啓のようなアドバイスを複数から得た(オラクルカード(⇒その記事 )含め)(9月3日)

それで、目にしたものなどをヒントに、コミュニティ(グルっぽ)(⇒それ )をつくった(9月4日)

しかし、コミュニティをつくる考えが浮かぶ直前ぐらいに、別な重要な考えも浮かんできていた(9月3日)

それは、「手放す」ということを本当におこなっていくことであった

自分の創ろうとしている作品を部分的に手伝ってもらうことが必要とやはり感じさせられた

なぜそれを創るかと言えば、様々な現象をヒントに、詩を通して理想を実現する使命を勝手ながらやはり感じるため

しかし、それを進めるにあたり、一つ心に引っ掛かりが残った

その引っ掛かりを解消するためにも、浮かんだ考えと目にする現象などを通して「手放す」必要を強く感じた

できた作品を仮に私の(詩)作品とのコラボ作品という表現で打ち出すとする、でもそのことが、「私」が出てしまうこと、につながりかねない、と、心に引っ掛かった(グルっぽ運営し始めながら、それが心に残り続けた)

グルっぽの考えが浮かぶ、ほんの少し前に、そのことを解消する考えが浮かんできていた事実があった(9月3日)

しかし、進める順序が微妙に前後してしまい、その解消する考えの実行が遅れてしまっていた

一昨日、新しい次へつながる意味ある考えが、ある流れで生じた(まさに新しい機会が与えられた状況だった)(9月5日)

それゆえ、今日のオラクルカードのメッセージで、「新しい機会が目の前に現れました。」と伝えられるとともに「もしかしたら新しいものを受け取る前には古いものを手放す必要があるかもしれません」とも伝えられた(⇒その記事 )(⇒この記事もです

よく事の顛末を整理してみると、やはり、そのことだと悟らされた



なので、その「手放す」ことをしなければならないのです



というわけで(前置き長かったですが(苦笑))これまで、ここで表現してきた「詩」ですが、



本当は既に、「大空巡夢という名前」という記事(⇒その記事 )で書いていたように、あくまでも、その名前は自分につなげないために、用意した、架空の名前でした。



しかしながら、ここまで進めてくる中で、その架空のつもりの名前も、いつの間にか、私自身とかなり密接につながってしまって、私イコール大空巡夢のようにもなってしまっていました



そこで、二つの道が考えられたのですが、



一つは、私が、完全に本名に戻して、「詩」については、架空の「大空巡夢」作品です、ということとする道



もう一つは、一度密接につながってしまったので、「大空巡夢」はやはり私が、今後もそのまま使うが、「詩」については、その「原詩」となるものは、新たに名づける架空の存在が与えて下さった、それを聞いて、自分で消化できた部分を聞き伝えに、「大空巡夢」が今の詩の形で伝えている、とする道




要は、「詩」と「大空巡夢」を切り離す、ということ




これらの「詩」の中で、純粋に真なるものが表現されている部分「空(くう)」という架空の存在の手による「純真詩」と表現させていただき、微妙に散りばめられている真ではないものが表現されている箇所に関しては、「私」、そして、私とつながってしまっている「大空巡夢」によるものとさせていただくこととします



すなわち、「空(さん)の純真詩」を私が、聞き伝えで、伝えている、ということです



ですから、これを、他の方が、もし他に表現する際には、その方ご自身の責任で、ご自身の名前で表現していただき、もし、それの元はどこかと尋ねられ、答えるとしたなら、「空(くう)」という方の「純真詩」からです、と伝えていただければよい、という形にします。あえて言わなくても構いません。必要に応じ、その本質を伝えていければそれでいいので。だから、なんかどっかから降って湧いた言葉なんです、、、でも構いません。



そこに、一切「大空巡夢」の名前を出す必要はないということになります。



私が著作権を主張することも一切ありません。これも既に「著作権フリーについて」(⇒その記事 )で宣言しています。



もちろん、言葉をアレンジして使っても構わないです。


ややこしくてすみません。わかりますでしょうか?



それをここに表明したいと思います。



これが私が「手放す」べきことであるのだと思ったのです。



もちろん、先程書いたように、私が自分のまだ残る「邪」なる思いも含まれてる箇所もあるでしょうし、全然完璧な内容でも毛頭ありません。



ただ、これまでに起こってきている様々な現象から、そういうことを、その本質を見失わず、誤らずに、自らは、出来る限り無色透明の橋渡し役に徹して、必要なことを伝えたり、行動していかなければならないと感じるので、やはり、この大きな流れに関しては、引き続き、進めていくこととします。



これで、早く、心の引っ掛かりをなくしたいです。


完全に黒子役に徹していけるようにしなければならないんです。


まあ、そうした時に、ゼロになれた時に、無になれた時に初めて、私自身も生きてくるのでしょう、きっと。



どうもこれを打ち出さないと、たぶん、流れがずっと止まってしまうのだと思います。


グルっぽなどでの表現も、その点を考慮して少しずつ、直していきます



それも、言葉で終わらせず、その本質において



これが間違ってるかどうかは、きっとまた、何かの現象を通して、答えが与えられるかと思います。



私もそうですが、普通の人のまま、皆が最高のスター(星)になれるように、、、


(一つ前の『普通の人』の詩の掲載(⇒その記事 )は、ある方とのやり取りを通して、なんとなく、これを載せようかな、、、という思いになって載せてしまっていました)



長くなりましたが以上です。ありがとうございます。(すみません、こだわりが多くて・・・)








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