<シリーズの続きです>  (⇒シリーズの初め(一つ前)の記事へ





、、、しかしながら、たどっていくならば、ここに至るまでに、不思議な流れ、展開が確かにありました。





どちらかといえば、私が初めから意図して、ここにたどり着こうと思って進めていってたどり着いたというよりも、気がつくとこういう結果にたどり着いていたと言った方が合っているでしょう。





私が心の試練を越えながら、それに応じて何か見えない力が作用して、導かれるかのように展開してきた、というのが、(ひょっとしたら私の勝手な思い込みだったりするのかもしれませんが、)私自身の偽らざるところなのです。(⇒参考記事「試練と詩」
「試練を超えて」
「心の動きと表出される言葉の関連性」
「振り返ると」








しかし、あまりこういうことをここに書くことをしばらくためらう気持ちが生じていました。





ネット上で縁を持つ方は、それぞれの記事を見たければ見るでしょうし、見たくなければ見なければよいわけで、、、だから、私の記事だって、基本的には、きっと、見たいと思われた方が見ることになるのでしょうから、そこではそれほどの抵抗感は少ないのです。





ましてや、このブログは途中それなりに不思議な体験の話なども既に載せているので、それほど問題はないのです。





ところが、昨年から、ギャラリー展開が生じだしてから、その流れにある現実世界の一部関係者に、ついついこのブログを勢い余って(笑)紹介したりしてしまったので、





実際に見ておられるかはわからないのですが、それゆえに、何かあれこれ書くことに少なからず抵抗感を抱いてしまった自分がいたのは確かなのです。





ギャラリー関連、アート関連の方であれば、それでもまだ、不思議な話があっても、意外と関心を持たれるかもしれませんが、その建物の部屋の賃貸を仲介される立場の関係者に対しては、もちろん、ある程度形づいてくれば、大丈夫かと思うところはあるのですが、





まだ準備段階でいる中にあっては、これらの内容は、十分理解されきれずに、それゆえ自信を持って薦めてもらえない状況が生じてしまうと思えたからです。





当初の予定より遅れてしまっているのも、心苦しさを覚える大きな原因にもなっていました。





さらには、全くの素人ゆえの戸惑いや新たな試みに対する不安感も時折少し襲ってもきました。





しかしながら、これらの流れはどうみても、はたから見たらどうかわかりませんが、私としては、その時その時に起こってきた流れや状況から、こういう判断や結果にならざるを得ない、と、思わざるを得ないのです。そのように何かの力が働いて導いているとしか考えられない事々があまりにも多かったのです。




ところで、また、これも普通でないことかもしれませんが、最近、とあることに気付かされました。











(続く)





シリーズの次の記事へ


シリーズの一つ前(最初)の記事へ