済みません。今日の本文には関係ないのですが、日曜日の町内旅行に持参

した小さめの(縦20㌢、横20㌢、マチ5㌢)ものなんですが、「とっとり花回廊」

の入場口を入ったあたりに居た「似顔絵かき」のお兄ちゃんが目ざとく見つけ

て声を掛けてきたのです。函館の駅前にある「Rホテル函館」の1階にあるお

土産コーナーにしか置かれていない、とってもレアーな袋で、札幌在住のブ

ロ友さんが、新八さんの板橋での100回忌法要の際に、お土産を入れて持

参下さったものなんですヨ。

その似顔絵かきのお兄ちゃんは歴史、取り分け新選組のファンだということで、

思わず新選組談義をしてしまいました。例えば「土方さんは、ドカタとからかわ

れたのが悔しさに、以後土方の土の字の右肩に「﹅」を打って、「俺はドカタじゃ

あねえぜ!」と言ったので、自筆のサインには土に﹅が打たれてるなどの話な

んかもしちゃいました。まあ、そんなバカ話は置いておいて、今日の記事です。




岡山市出身の文筆家・内田百閒(1889=明治22年~1971=昭和46年)が

文壇デビューした法政大教授時代、教え子に創作への想いを吐露したハガキ

など新資料9点が東京都の個人宅で見つかり、11日までに岡山県郷土文化

財団に寄付されました。妻・清子さんが同じ人物に宛てた手紙も含まれ、同財

団は「学生との絆を示す内容です。家族ぐるみの温かな親交もうかがえる」と

しています。



教え子は、百閒の随筆にも登場する北村猛徳さん(1901~68・元江の島鎌

倉観光社長)です。北村氏の長女・高月三世子さん(東京都杉並区)が自宅で

資料を発見しました。

ハガキの消印は、初の小説集「冥途」刊行から3年後の1925年8月22日です。

旅先の仙台から送り、新聞に連載されていた4コマ漫画の、男がキツネに化か

されるという粗筋が「冥途」に収録した「短夜」の盗作だと指摘しています。

《子供のお伽噺だから何でもないのだけれど毎朝見てゐると面白くない》とぼや

き、漫画の作者に抗議の手紙を出したと明かしています。

しかし漫画は千葉県の民話が素材と見られ「一方的な勘違いだった可能性が

高い」と郷土文化財団の万城研究員は明かしました。一方では「百閒らしい自

作へのプライド、責任感がにじみ出ている。北村氏らとは、同志として本音で

語り合う間柄だった」と推察しました。

はがきの末尾には百閒の長女・多美野、次男・唐助について書き添えていま

した。24年11月2日消印の清子さんの手紙は、予科入学前に父親を亡くし

た北村氏に金を用立てたと報告し、〈先生(百閒)ハ先生でまた何か考へがあ

るらしいやうでしたからまただまって置いて頂戴よ〉と気遣って居ました。



北村氏は卒業してからも内田家に出入りし、百閒晩年には黒沢明監督の映

画にもなった誕生会「摩阿陀会」を催しました。高月さんは「今では考えられ

ないような師弟関係で、百閒先生の懐の深さが伝わります」と話しています。


寄贈されたのは他に、百閒が同会の返礼として新年に開いた「御慶の会」で

の集合写真や学生に演じさせた独語劇の台本と写真などです。


  以上は今月12日、つまり不肖の誕生日の【山陽新聞】からの
    ご紹介
でした。今日に成ってちょっと疲れの残ってる私です。