岡山新選組の新八参上のブログ

新選組とはつながりの深い岡山の、永倉新八生家子孫のブログです。

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オリンピックも終わり選手団最後の組も帰国してきました。

まあ、このネタについては皆さんいろいろ書かれていますので私はスルー

ということで、地元ネタを中心に綴って参ります。



その前に連続の台風や、集中豪雨など各地で被害も出ているようですが、

被害にあった皆様方も多いのではないでしょうか?心よりお見舞い申し上

げます。私の住む岡山近辺では、少し分けて欲しいくらいの連日残暑が

厳しく、「晴れの国」ですが少しは雨が欲しい状況で、なかなか上手く行か

ないものですネ。



さて、いろいろと事故を誘発して問題に成って居るポケモンGOですが、

車や自転車を運転中にスマホ向け人気ゲーム「ポケモンGO]をしていて

起きた交通事故が、国内配信が始まった7月22日からの1か月間に、

広島、香川など29都道府県で79件だったことが23日、警察庁のまとめ

で分かりました。(今日の記事は何れも24日付の【山陽新聞】から、画像

もお借りしています。)

大半はわき見運転で、死者は無かったものの1人が重体になって居ます。

また摘発は、全都道府県で1140件に上って居ます。

担当者は「運転中の携帯電話利用は、道交法で禁止されています。使用を

やめるよう改めて徹底したい」と注意を呼び掛けています。


事故の内訳は人身事故が22件で、うち自転車側がゲームをしていたのが

4件有りました。物損事故は57件で、うち自転車側がゲーム中だったのは

25件でした。

重体の被害者が出た事故は、愛知県春日井市で8月11日に発生しました。

男が車を運転中に自転車と衝突し、乗っていた女性に怪我をさせ自動車

運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで逮捕されました。男は、ゲームでス

マホの電池が少なくなったため、充電しようとしてよそ見をしたと見られて

います。

  時と場合を考えて、安全運転で事故の加害者にも被害者にも
  成らない注意が必要ですネ。



次の話題は備前焼のウルトラマン徳利です。

特撮番組のウルトラマンのテレビ放送開始50年を記念して、備前

市伊部の備前焼作家・延原勝志さんは、江戸時代に流行した色備

前の技法で、初代ウルトラマンと人気怪獣を組み合わせた徳利を

制作しました。




備前焼の伝統工芸士として活躍する延原さんですが今春、萩焼

や有田焼など各地の伝統工芸による記念品を企画した円谷プロ

ダクションから依頼を受けたものです。当初は焼け色での表現を

試みましたが、よりくっきり絵柄が浮かぶ色備前を採用しました。

素焼きした徳利(高さ12㌢、直径9㌢)に赤や黒の上絵具で手書

きし、焼きつけて完成させました。

怪獣はゼットン、バルタン星人、レッドキングの3種類です。必殺

技スペシウム光線を発射するポーズを、躍動的に表現したウルト

ラマンに対し、怪獣は影絵のように黒く浮かび上がり、迫力は満

点です。背景に鋭く走らせた緋襷が稲妻を思わせ、対決ムードを

盛り上げます。

延原さんは「幼い頃、憧れたウルトラマンシリーズの雰囲気を再

現させました。往年のファンに喜んで貰えたら」と話しています。

1種類に月15点限定です。9月初旬からインターネットやイベン

ト会場で1点16500円(税別)で販売します。問い合わせ先は、

成田商事(090-1503-1308)まで。

  懐かしさを感じる皆さんも多いでしょうネ。ただ備前焼で数
  量限定販売となると、これくらいの値段になるのでしょうネ。














 

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さて前回その①の続きです。

第12回新選組サミットのサミット会議の辺りからですが、原則的に

は非公開かと思いますが、既に5年経って実現した案件も有ります。

例えば2013年のサミットの際、伝通院から板橋までパレードを実

施して、翌年の夏に京都三条河原でゴールインした「平成上洛パレ

ード」ですが、実はこの宮古のサミット会議で議題になり、2年余りを

経て実際のパレードがスタートしたのでした。

もう1件は次回のサミット開催予定地の決定ですが、これも13回の

サミットは、「八重の桜」放映も近い事から、白河・会津若松連携で、

ふくしまサミットとして2012年に開催しています。



そしていよいよ参加者待望の(笑)サミット交流会になるのです。

ホテル内の大広間に場所を移してのサミット交流会にも、副知事、

副市長はじめ県、市関係の皆様方も出席され、支援事業としての

今回の全国新選組サミットを歓迎して下さっている、地元の姿勢が

感じられました。

実行委員長の会津・佐藤局長から「これだけ盛り上がったサミットは

これまでに無かった。これを機に宮古でも毎年新選組のイベントを

継続的に開催して欲しい。」とエールを送ると、宮古港海戦の会の

会長で、市観光協会の沢田会長から「今日が済んでからゆっくりと

前向きに考えて行きたい」と和気藹々の雰囲気に包まれました。

「宮古市はじめ東北の被災地の復興が、1日も早いことを祈念して

の乾杯」で、場は和らいだ雰囲気に包まれ、料理に箸を進めました。



円卓テーブルに10人位ずつ席が有ったのですが、同じテーブルの

方に御挨拶して回ったのですが、家内、サミット会議にも一緒だった

S・Cさんのほかは全員が宮古市の市会議員さんで、全国から宮古の

復興支援に来て下さった皆様方に逢えるのを、楽しみにして楽しみに

して懇親会に参加して下さったとのことで、市民の皆様が今回の新選

組サミットを楽しみにして待っていたと口を揃えて云って頂きました。

ここで昨日チョット触れさせて頂いた「岡山新選組準備会」から宮古港

海戦の会への支援金の贈呈をとご指名を頂き、「準備会会員や、物販

などに高梁市からの皆様の絆の気持ちを受取って下さい」と贈呈させ

て頂きました。

宴もたけなわとなり抽選会となりましたが、贈呈者が任意の数字を言い、

その番号の方が当たりと言う物で、こちらもチョット緊張しましたが、「備

前焼と言えばとても高級な物?」と話しを振って下さったので「作家さん

の中には人間国宝も多数いますが、そう言う作家さんの物は別としても、

焼き物としての温かみは定評があります」と説明して当選者にお渡しし

ました。予定時間の2時間はあっという間に終り、ややタイムオーバーで

各自三々五々部屋に戻りましたが、翌朝の被災地めぐりは早朝6時スタ

ートという強行軍が予定されていました。



いよいよ2日目ですが宮古港海戦ツアーの前の被災地めぐりは、目が覚

めずにパスになってしまいました。(^_^;)

午前8時にホテルから貸切バスで「海戦史跡ツアー」のスタートです。昨

夜からの小雨はまだ続いて居ました。今日のツアーでは、歴史研究家の

釣洋一氏の案内で廻ることになって居ました。スタートはやや遅れました

が、先ず最初に行ったのは藤原3丁目で、工業団地と市街地の間には防

潮堤が有りました。緊急時には引き戸状になった長さ20数㍍余りの開口

部が有り、その部分を引き戸で遮断するのだそうです。津波の際も消防団

などの方々が、文字通り命懸けで閉めたそうです。

お蔭で我が家も浸水はしたものの建物は助かったというのは創業130年の

「すがたのいかせんべい」の菅田社長でした。

皆さんにお渡ししたいものがあるといわれ、ぞろぞろと後を付いていくが、看

板商品のいかせんべいの即売の用意もしてあると聞き、店頭には雨中の行

列が出来ました。

渡したいもの、それは次期社長である息子さんが、三晩徹夜して全国から集

まって下さった皆さんに、感謝の気持ちと用意して下さった鮭の肝臓を加えた

その名も「弾丸クッキー」は、健康にも良いものにと考えて作って下さった、サ

ミット向け特製のもので、全国から集まる新選組関係者に、商売物以外でな

いと誠意が届かないと、海戦に繋がりのあるクッキーに、参加者一同感謝で

またまた落涙の結果となりました。防潮堤の正面にあるのが観音堂で、墓地

の道路沿いにありました。廻りには東軍無名戦士の墓、西国巡礼塔、聖観世

音菩薩立像のほか一般の墓所でも有ります。土台石と上の竿の部分の色が

異なる墓が多く、聞くと津波で倒壊した物を補修したため、間に合わずにこう

なったそうでした。ここから宮古港海戦記念碑の方に移動するのだが、途中

の家の流された空き地に、ブルーシートに包まれたものが・・・・。聞くと、全国

から送られた支援物資の一部なのだが、漁網だと言います。漁網は届いたも

ののその魚網で漁に出るための船が不足していて使えないので折角の好意

が生かせないそうでした。下の画像です。



そして、宮古港海戦記念碑(下の画像・揮毫は鈴木善幸元総理です)からお

台場展望台を通り、観光船の乗り場目指して移動していきます。



乗船するのは震災直後に、大きな引き波を見た坂本繁行船長が、32時間

にわたって沖に船を出して、津波の収まるのを待って戻ってきたため被災を

免れた「第16陸中丸」での「遊覧船による宮古湾奇襲考」は、歴史研究家・

釣洋一氏の解説で、海戦の実証ともいえる解説に、船上一同142年前に

タイムスリップしたかのようでした。(下が「第16陸中丸」です)



海上を宮古港魚市場の近くに来ると岸壁ではあの鎮魂の祈りを込めた函

谷鉾の鳴り物の音が、戊辰戦争と今回の大震災の犠牲者の慰霊に色を

添えました。



船上からは礼砲と共に全員で白い菊花を献花して手を合わせました。



停船状態でヘリのホバリングのような状態の船のスクリューが、海水を渦

巻かせているのか、献花した白い菊の花が渦状に円を描いて集まってく

るのも、何か絆のようなものを感じさせました。

こうして2日間にわたって開催された「第12回新選組サミットin宮古」は、こ

れまでに無かった最高のサミットとして、その名を各参加団体の歴史にそ

の名を刻んだ事でしょう。

 


下船後坂本繁行船長さんとガイドさんに囲まれた記念のスナップです。



またこの2日間の様子をずっとビデオカメラを廻していたのは、県立宮古高

校放送部のI・Mさんです。小雨の中も厭わず、懸命に走り回った学ラン姿の

女子高生は、「まるで白虎隊を彷彿させる」という声も聞かれました。

 



メアドも交換して励ましていたのですが、11月8日の「岩手県高等学校放送

コンクール」に、新選組サミット取材の作品で出場しましたが、見事最優秀賞

に輝き、福島で年が変わって開催される東北大会に出場できることになったと、

喜びのメールを本人から頂きました。

  その後卒業を迎えた彼女は、震災で感じた体験などを、直接伝えら
  れるような仕事がしたいと、今回の観光船も運営している、岩手県北
  バスで、観光バスのガイドさんになられました。

大好きな宮古で、大好きな新選組のイベントに参加・取材できたこと、そして皆

さんの新選組を思う気持ち、宮古のために来て下さった気持ちに応えたい。岩

手の高校生に伝えたかったという気持ちで参加しました。

結果として東北全体の高校生にも見て頂けるようになったのも、皆さんが気さ

くに声を掛けて下さったから頑張れたのだと思います。

宮古の復興はまだまだ先かもしれません。少しでも早く宮古が復興した姿を見

て頂けるよう頑張って行きます!これからも宮古を見守り続けて頂ければ嬉し

いです。本当にありがとうございました。


 彼女のメールで「新選組サミットin宮古」の参加報告を絞めさせて頂きます。 
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昨日は折角書いた回想記事が保存も出来ず、かと言って公開も出来

ず、何度かやり直しているうちに遂に消滅してしまいました。

結構長めの記事でも有り、ショックでしたが悔んでも仕方ないので、改

めて書き直しますネ。



チョットは終活でもしておかないとと整理をして居ましたら、2011年11

月に書いた宮古サミットに記事が出てきましたので、それを紹介させて

下さいネ。日付けが書かれていて11月8日に成って居ました。つまり、

帰宅した翌々日付ということで、帰ってすぐに現地で受けた感銘を即座

に書いたものなのです。



去る11月5~6にちに、岩手県宮古市で開催された「がんばれ宮古!

支え合う日本!」と冠の付いた宮古市復興支援事業の「第12回全国新

選組サミットin宮古」に参加しました
。(震災から8か月後の2011年です)

岡山新選組準備会からは遠く離れた長崎の会員さん、兵庫県から2人、

それに私と家内の5人の参加でした。何と言っても超遠隔地の上、東日

本大震災の被災地で被災から未だ8ケ月と有って参加の是非も考えた

りした時期も有りましたが、一言で結論を言えば「行って良かった」と言う

より行ったからこそ肌で感じた感動は、過去何度ものサミットを経験した

先輩同好会の皆さんも「これまでのサミットの中でも最高の盛り上がり。

この感動を味わえなかった方が、気の毒に思えるほどの素晴らしいサミ

ット」など絶賛するサミットになりました。


寝台特急・新幹線・路線バスと乗り継ぎ、15時間近くかけて到着した宮

古駅前では、地元「岩手日報」さんの事前報道も後押ししてくれたのか、

開会式・オープニングセレモニーで新選組関係者や新選組同好会以外

の一般市民の皆様方も巻き込んで大拍手の渦でした。



被災地支援ということも有り岩手県宮舘副知事、宮古市山本市長らの

歓迎とお礼の挨拶、京都市長、日野市長らの激励のメッセージの伝達

から始まったのも、これまでにない異例の開幕でした。


居合道演武、新選組ラボや京都祇園祭の函谷鉾の鎮魂の意味合いで

の「コンチキチン」のお囃子などのパフォーマンスが終わり、いよいよ新

選組パレードに移りました。



駅前の待機テントで今や遅しと出番待ちの面々です。

下の画像はパレードの中を駆け寄って有り難うと声を掛けて下さり、握

手をと声を掛けて下さった女性です。



パレードは津波の被害から建物の残っている地域の約300㍍の往復

でしたが、ここでも学生・児童も含めた多数の市民の皆様方の歓声が

あり、途中の駐車場にはテント張りの中に直径1㍍は優にありそうな大

鍋に野菜や肉団子?、肉などを煮込んだ「ひっつめ汁」のもてなしも有

り、「何杯でもどうぞ」と言われOOの3杯汁の会員も有ったのでは?

商店街の残っている建物の店頭で、おばあちゃんが懸命に手を振りなが

ら、何度も何度も頭を下げ続ける姿に、思わず駆け寄って「応援していま

すから、一緒にがんばりましょうネ」と声を掛けるのがやっとでした。


でも、そうした様子が何よりも喜んで迎えて下さっていることを表わしてい

ました。



名残惜しい駅前から、車で鍬ヶ崎小学校のイベント会場に移動しました。

チョット高台になった場所の小学校ですが、周囲は津波をもろに受けた

ため、建物跡はコンクリート基礎を残すだけで、画像には写って居ません

が草が延びて高さも肩近くに成って居て、8か月の年月を感じさせます。

またこの小学校は、何時もお世話になっている現宮古港海戦組のI・Eさん

の母校でも有り、震災発生の直後に、お取込みでしたら返信のお気遣いな

くと付してお見舞いメールを送ったのですが、「我が家の地域は全滅でした。

観光船が家の上に乗り上げてきました。これから復旧作業です」と、その日

の夕方には、返信を頂きました。下の画像に様な状態だったのでしょうネ。



この高台の体育館(イベント会場でも有ります)の床上50㌢まで津波の

水が押し寄せ、急遽校舎の3階の教室に避難替えをしたそうでした。
 

会場入り口左側の受け付けには木製の船のミニチュア・「復興丸」が飾

られ、「武士魂 がんばろう 宮古!」のシールや、イベントに参加された

土方愛さんが持参のクリアファイルや絵はがきなども配布され、新選組フ

ァンらを喜ばれさせました。何人かの方ともお話をしたのですが「自分もこ

の機会に元気を届けたいと東京からこじんでさんかしました」とか、「新選組

のイベントを見たくてネットで発見して飛んできました」という山形県の女性

も居ました。

先ずは土方愛さんと歴ドル・小日向えりさんのトークショーですが、4時発

のバスで帰らなければならないという土方さんも、時間ギリギリになってバ

ス停のある宮古駅に急行されました。岩崎愛子歌謡ショーに続き、星亮一

氏の「明治を支えた賊軍の男たち」と題した記念講演と進んでいきます。


途中になって夕闇の迫り始めた屋外に出てみたら、下の方の瓦礫こそ

無いものの少し広めの空き地には、奥羽越越列藩同盟の隊旗をイメー

ジしたキャンドルイルミネーションが鮮やかに輝いて居ました。その周り

には細かい切り絵細工の施された灯りが有りましたが、「夢灯り宮古漁

火協議会」さんが歓迎の為に創って下さったとお聞きしました。こうした

市民挙げての暖かい歓迎の心は、胸に込み上げるものがあり、思わず

涙してしまいました。(^_^;)

再び場内に戻り講演に耳を傾けましたが、そうこうするうちにサミット会議

の時間も迫って来て、出席予定の私も、同行のS・Cさんと会場のパークホ

テルに移動しました。

サミット会議の内容については、一般には非公開なので割愛します。


そしていよいよサミット交流会になるのですが、その模様は次回に紹介さ

せて頂きます。


ただ、交流会に中での貴重な時間を割いて頂いて、私共「岡山新選組準

備会」が震災発生以来被災地の物販や寄付金集め、バザーなどで集め

た心ばかりの支援金ですが、不肖私から、宮古市商店会連合会の代表

の方に、御手渡しできる機会を作って頂きました。

まだまだの被災地ですが、時間を掛けて見守って行かなければと、チー

ム・ジャパンの一員としての心構えを痛感いたしました。

  後半は次回その②に続きます。
  (昨日消滅しちゃった記事とは多少異なりますがご了解ください)

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午前中掛けて

回想記事だけど書いたんですよ。

でも・・・・・・・

下書きにしても

全員に公開にしても

何度やってもエラーになっちゃうんです。

   何度かやってるうちに

      遂に消滅しちゃいました。

  これから外出の要件も有るし、

       今日は更新できそうもない(^_^;)

             という訳で言い訳の更新でした
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昨日は盆踊り大会の本番の日でした。

年次当番に当たっている長女ですが、帰宅時間が開始に間に合いそ

うにないということから、代わりに夏休み中の6代目の伸悟を、爺ちゃ

んが行くときに一緒に行こうと、夕方5時に町内の「ふれあい公園」に

引っ張り出しました。

何と指示された役目というのが、焼き鳥の屋台でした。夕方5時と言っ

てもそこは「晴れの国おかやま」ですし、予想外の展開でしたが、「そん

なら俺は焼き鳥やくわ!」と未だ暑さの残る中を準備作業に掛かりま

した。



まあ、焼くと言っても保健所の関係も有り、火を通して焼き上がったも

のを冷凍して保存がきくように成ったものを量販店で購入して、焼き目

を付けて仕上げるので時間はそんなに焼くわけでもないのですが、途

中で様子を見に行った私に「爺ちゃん。こりゃあ暑いって言う物じゃあ

ないで!」と苦笑していました。

上の画像は汗を流しながら作業する「焼き鳥屋のお兄ちゃん」(って6

代目ですが(^_^;))。でも、ご近所のご主人も居て、覗いた時も声を掛

けたりして下さっていました。これも経験ですものネ。

それでも、6時に開会し、7時過ぎくらいには長女も帰ってきたのです

が、バトンタッチで辞めるでもなく、親子で作業を続けてくれていました

ので、副会長と言う立場の私も、面目を果たすことが出来ました。

住宅地の真ん中だけに時間厳守で9時に終了して福引の景品を配布

して帰宅したのはもう10時半近くに成って居ました。



そして今朝は後片付けで、8時から現場に行って来ました。長机(折り

畳み式)約80脚にパイプ椅子300脚はじめ、テント9張りなど組み立

てるよりは楽とは言え、朝も9時には温度も上って来て大変です。

ごみの分別なども終えて1段落着いたらもう10時を回って居ました。



ここから反省会ですが、暑い中少々疲れ気味での、太陽が照りつけて

る時間帯のビールって結構効きますネ。3・4本(缶です)飲んで、猿で

もできる(ウソウソ)をして参りましたが、結局帰宅が正午で、日の高い

時間のビールに酔いしれて、3時間余りも飲んだまま寝入って仕舞って

居ました。(^_^;)

でも、最初は代役でも行事に若い子が来てくれたのは良かったと行っ

て頂けました。これも爺ちゃんの日頃の教育の賜物、って言う訳でも

なく誰もそうは云って下さいませんでしたが、自分なりにはちょっと嬉

しい盆踊りでした。


 よく考えてみたら、新選組関連の記事って、随分ご無沙汰な気もしま

すので、ブログ名に恥じない記事も書かないと・・・・・。(^_^;)



こちらの画像は昨夜の会場風景ですが、右端に明るいものがあるの

は、本年新規に導入して会場全体が暗めというのを改良するための、

「バルーンライト」という、ガソリンエンジンで点灯する灯りですが、簡

単に移動も出来て、便利でしたヨ。たくさんの方々に楽しんで頂いた

28年度の盆踊り大会でした。

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今朝は更新ができませんでしたが、今夜6時からの盆踊りに向けて

準備中の合間に一時帰宅しています。

これまでの小学校での開催だと、地域開放校になっているので、学

区の他団体の予定とのからみも有り、早目からの準備は出来ませ

ん。しかし耐震改修工事の関係から、昨年、今年は町内の公園で

の開催です。そうした事情も有り、16日から徐々に準備中ですが

今日はもう待ったなしです。

これから再度準備に行き、同じ町内に住む長女も今年は役員なの

で、夏休みで帰郷中の6代目の伸悟が代わりに手伝いに出てくれ

ることになりました」。



もう少ししたら再度の準備作業参加なのですが、誰かが現場に

いないといけない位、色々な資材も運搬しましたので、そろそろ

出かけたら帰宅は終了後の22時頃かな?

明日はまた片付けをして後は打ち上げ&反省会と、この跡明

日一杯は更新が難しそうな状態です。

でも、Old  soldier  never  die. でみんなの足を引っ張りながら

でも元気に頑張って居ますので、更新は無くてもご心配は不

要です。

もうひと頑張りしてまいりますネ。


   短くて済みませんが、取り敢えず近況のご報告でした。
           今日も猛暑の岡山からでした。
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前回まで江戸時代の岡山の城や陣屋を紹介しいて来ました。

しかし、ご紹介以外にも、1万石に満たない、いわゆる旗本たちの陣屋

も存在していましたので、その中から幾つかを追補と言う形で紹介させ

て頂いて見ましょう。

◆旗本たちの陣屋
 
 

※戸川氏の陣屋

庭瀬藩を治めた戸川氏は、4代安風のとき、後継ぎがなく断絶しました

が、弟逵冨が本家を継いで旗本として存続したほか、他の分家もそれ

ぞれ陣屋を構えていました。ここでは、戸川氏が築いた陣屋をいくつか

紹介致します。

 ※撫川陣屋跡(岡山市南区撫川)


  4代安風の弟逵冨は、撫川の1000石を分けられ、その後延宝7年

  (1679年)に安風が幼くして亡くなったため、戸川家本家を継ぐこと

  になり、4000石が加えられ5000石の旗本になりました。逵富が

  置いた陣屋が、現在撫川城跡となっている場所の周辺にあったと

  考えられます。

※早島陣屋跡(都窪郡早島町早島) 町指定史跡

   初代庭瀬藩主戸川逵安が亡くなり、寛永5(1628)年子の正安が

   あとを継いだとき、弟の安尤、安利にもそれぞれ3400石、3300

   石が分け与えられました。安尤に始まるのが早島戸川家で、幕末

   まで続きました。早島の陣屋は現在の早島町立早島小学校付近
 
   にあり、写真の堀や石橋が残って居ます。


 ※帯江陣屋跡 (倉敷市羽島)



  戸川逵安の3300石を継いだ安利に始まるのが帯江戸川家です。

  倉敷市羽島に陣屋を置いていました。現在は石碑が建てられてお

  り、当時の遺構は残っていませんが、残された絵図によると、山裾

  に塀で囲まれた陣屋が築かれていたと考えられます。



 ※妹尾陣屋跡 (岡山市南区妹尾)



   2代庭瀬藩主戸川正安を子の安宣が継いだとき、弟の安成に

   1500石が分けられ、妹尾に陣屋を置きました。現在この場所

   に残されているのは、岡山市指定重要有形民俗文化財となっ

   ている井戸のみです。ただし、現在、笠岡市立笠岡小学校に

   ある校門は、妹尾の陣屋門を移築して小田県庁の正門として

   使用されたものなので、妹尾陣屋の建物が残っている貴重な

   例ということになります。


 ※水谷氏の陣屋 (新見市大佐町小阪部)



    備中松山藩主水谷勝隆の子勝能は、寛文4年(1664年)に

     2000石を与えられ、小阪部に陣屋を置きました。これが小

     阪部陣屋の始まりで、その後7代まで続き、明治維新を迎え


     ました。川沿いの公園の一角に礎石の一部が残って居ます。

     また、この場所には、明治3(1870)年に備中松山藩の財政

     立て直しに活躍した山田方谷が私塾小阪部塾を開いたこと

     も知られ、公園には「方谷山田先生遺跡碑」が建てられてい

     ます。


     水谷家の本家は、3代勝美に後継ぎがなく、とりつぶしとなり

     ますが、弟の勝時が家を継ぐことを許され、布賀(現高梁市

     備中町)などに3000石の領地(のち3500石)を与えられ、

     明治時代まで続きました。

       江戸時代の城めぐりとして、岡山の城と陣屋につ
       いて紹介してきましたが、岡山県教育委員会文化
       財刊行の冊子を参考に紹介させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 






 







 

 









 

 

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岡山県内の城や陣屋を巡ってきましたが、いよいよ終盤で美作国になり

ます。15日には岡山県南では集中豪雨で、皆様方からもお見舞いのメ

ールなどご心配を頂きましたが、16日も夕方の市南部でもちょっと小雨

が有りましたが、大した降りには成らずにすみ、週末に迫った盆踊りの

テント・9張りを建てることができました。上はその画像です。

1200戸の大きい町内で、これまでは学校で開催してきた盆踊りですが、

学校が耐震改修工事中で、町内のふれあい公園で開催です。


そしてもう一つのニュースですが、「薄桜鬼刀剣録!」開催中の備前長

船刀剣博物館ですが、日野新選組の峯岸名誉局長さんの「松盛堂」の

人形焼「土方歳三まんじゅう」を販売(会期中?)することが決まったよう

です。場所は駐車場前の物産販売の場所では無く、博物館の後ろ側に

ある、薄桜鬼のグッズなどを集中的に販売している、イベント専用の「セ

レクトショップ」で、日野ではお馴染みの「近藤」「土方」「沖田」「斎藤」「市

村」のそれぞれ似顔絵を描いた人形型の箱に、3個入ったものを、今日

18日から取り扱いのようですヨ。楽しみが一つ増えましたネ。(*^_^*)

       以上長船関連の追記でした。


さて前回までの続きです。

◆津山城跡
 (津山市山下) 国指定史跡



表中門跡を通って天守跡に上って行きます。

津山城跡のある鶴山公園は、県内有数の桜の名所として知られ、春には

多くの人が訪れて桜を楽しむ憩いの場と成って居ます。江戸時代当時の

建物は明治時代に取り壊されてしまって現存していませんが、城を取り囲

む壮大な石垣は、かっての津山城の堂々とした姿を想像させてくれるのに

十分なもので、石垣の織りなす景観は津山城跡の一番の見どころです。



美作国は、備前国などとともに宇喜多秀家に与えられていましたが、関ヶ

原の戦いのあと、小早川秀秋の領国となりました。小早川氏断絶後、森

忠政が18万石を与えられ、美作国に入りました。忠政はいくつかの候補

地から鶴山と呼ばれていた丘陵を選んで築城を開始して、津山と名を改

めて元和2(1616)年に完成しました。忠政は、津山盆地の中央に築い

た津山城の周辺に城下町を整備し、津山藩の基礎を築きました。

本丸、二の丸、三の丸と大きく3段に分かれていますが、それぞれが高い

石垣に囲まれていて、城の南側の吉井川、東側の宮川が彫りの役目を

果たし、津山城は大変堅固な作りの城だったと考えられます。城の東側

にある丘陵からの攻撃を警戒し、本丸東側は特に高い石垣が築かれて

いることも、防御を強く意識した津山城の特徴と言えます。



忠政以来森氏の支配が4代続いたあと、後継ぎの養子が急死したため、

森氏はとりつぶしとなり、かわって越前松平家(徳川家康の次男結城秀康

に始まる家柄)の流れをくむ松平長矩が美作10万石を与えられ津山藩主

となりました。津山藩は廃藩置県まで続きました。



平成17(2005)年には、備中櫓が復元されました。備中櫓という名称は

森忠政の娘婿にあたる鳥取藩主池田備中守長幸に由来すると伝えられ

ています。備中櫓は本丸南側に位置しているので、城の南側から津山城

跡を見ると大変目をひく存在です。季節ごとの津山城跡を備中櫓とともに

楽しんでみてください。(下の画像は津山市提供の冬の備中櫓です)



また、津山城跡の北には、津山藩主の森氏が築造した大名庭園である旧

津山藩別邸庭園(聚楽園)があり、国の名勝に指定されています。こちらも

訪ねて、池を中心に広がる庭園の風景を楽しんで下さい。

 ※鶴山公園利用案内

   
入園時間:午前8:40~午後7:00
     (10月~3月は17時閉園、4/1~15は7:30~22:00)

   休園日:12月29日~31日

   入園料:大人300円、中学生以下無料、団体30人以上2割引き

   駐車場:津山観光センター駐車場利用可能(無料)
     (桜まつり期間中は有料となります)

◆勝山城跡
 (真庭市勝山) 市指定史跡



勝山は、旭川の最も上流にある高瀬舟の船着き場として栄えた町で、美作

地方西部の中心地でした。明和元(1764)年に三浦明次が三河国西尾か

ら移されて2万3000石を与えられ、勝山藩が成立しました。明次は、中世

に築かれていた高田城の跡の整備をはじめ、名前を勝山城に改めました。

絵図によると、本丸、二の丸、三の丸のほか、いくつかの郭からなり、天守

閣は築かれませんでした。二の丸があった場所は現在グラウンドになって

いますが、二の丸の一部には写真の石垣が残っています。城の側を流れ

る旭川は、城の北と西を守る天然の堀の役割を果たしています。


◆鶴田藩西御殿跡
 (津山市桑下) 市指定史跡

鶴田藩は、幕末から明治時代初めにかけて存続した藩です。けいおう2年

(1866年)の第2次長州征討の時、石見(現島根県西部)浜田藩主松平

武聰(父は水戸藩主徳川斉昭)は長州軍に敗れて、住んでいた浜田城に

自ら火を放って逃れました。このため翌年、現在の津山市から美咲町など

にあった8000石の領地(飛び地)に移り住んで、のちに藩名を鶴田藩に

改めました。明治2(1869)年には藩の石高は6万1000石となり、浜田

藩時代の石高に戻り、藩庁や藩主の館の建設が計画されました。

館は明治4(1871)年に完成しましたが、間もなく廃藩置県となり、藩主の

武聰は東京へ移ることになりました。藩主の館であった西御殿跡には長州

征討で亡くなった藩士を慰霊する石碑が建てられています。

 

 

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昨日は予定変更で1日ずれてしまった岡山の城・陣屋めぐりです。

先ずは城跡とと言っても現存していませんし、地元の方以外は余

り知られていない場所です。




◆庭瀬城跡 (岡山市北区庭瀬)

庭瀬藩は、宇喜多家から離れた戸川逵安が、関ヶ原での戦いでの功績に

よって、備中の都宇郡・賀陽郡の一部2万9千石余を与えられたことに始ま

ります。戸川氏のあと、庭瀬藩は幕府領などを経て、元禄12(1699)年以

降は板倉氏が幕末まで支配を続けました。現在、清山神社がある場所の周

囲が内堀、その北側約200㍍にある用水が外堀にあたると考えられます。

外堀の北側を通る道は、岡山と鴨方を結ぶ鴨方往来で、庭瀬は宿場としても

栄えました。戸川氏の時代には、現在撫川城跡とされている場所にも城が広

がって居ましたが、板倉氏の時代には、撫川城跡付近には分家した戸川氏

の陣屋がおかれ、庭瀬藩とは別の領地になっていました。

◆足守藩主木下家屋形構跡
 (岡山市北区足守) 市指定史跡

足守藩は、現在の岡山市北区足守に置かれた石高2万5000石の藩です。

初代藩主木下家定は、豊臣秀吉の正室北政所の兄です。その子勝俊のとき

所領を没収されましたが、慶長19(1614)年~慶長20年の大坂の陣での

功績によって、木下利房(勝俊の弟)が、父家定の旧領を与えられ、足守藩が

再興され、木下家による支配は、明治4(1871)年の廃藩置県で足守県にな

るまで続きました。足守藩の陣屋は足守川の右岸に整備されました。現在岡

山市立足守小学校の隣に、藩主の居館であった屋形構跡があり、堀を挟ん

でその周囲に武家屋敷が配置されました。堀は幅が狭いので、防御を意識し

たものではありません。その奥には大名庭園近水園(県指定名勝)もあり、武

家屋敷などとともに陣屋町の風情を楽しむことができます。

◆浅尾藩陣屋跡
 (総社市門田) 市指定史跡

浅尾藩主蒔田氏は江戸時代の初めから幕末まで、この地を支配していました

が、1万石以上の領地を与えられて大名として支配したのは、江戸時代初期と

幕末の文久3(1863)年から明治4(1871)年の廃藩置県までの間のみで、

それ以外は旗本として幕府に仕えていました。文久3(1863)年、最後の藩主

となった蒔田広孝は幕府に願い出て、石高を1万石とすることを認められ、こ

れを機に陣屋を浅尾に新築しました。(下が陣屋跡です)



陣屋には、周囲に土塀がめぐらされ、その内側の敷地内に、藩主の館を中心

に家臣の屋敷が配置されました。慶応2(1866)年、長州藩から脱走した第

二奇兵隊の一部隊士によって襲われ、焼失してしまいました。

現在は復元された土塀以外に、一部残った当時の土塀も見ることができます。

◆成羽藩陣屋跡
 (高梁市成羽町下原)

元和3(1617)年、山崎家治が備中成羽3万石を与えられ、成羽藩が成立し

ました。
 



家治はその後肥後国天草に移され、水谷氏がかわって支配しました。その後

水谷氏が備中松山藩に移ると、万治元(1658)年に山崎家治の子豊治が父

の旧領の一部5000石を与えられ、この場所に陣屋をつくりました。明治元年

(1868年)になって石高が1万2700石余りあることを幕府に申し出て、認め

られたことにより、山崎氏は再び大名になりました。当時の建物は残って居ま

せんが、成羽美術館の周囲に残る石垣がかっての面影を伝えてくれます。高

梁市立成羽小学校前の石垣が、水谷氏の時代に築かれたもので、成羽美術

館前の石垣は、山崎豊治が整備したものと考えられます。



◆新見藩陣屋跡
 
(新見市新見本丁)

元禄10(1697)年に津山藩主森氏がお家とりつぶしになった際、津山藩2代

藩主森長継の実子関長治が美作国内の領地から、現在の新見市など1万8

千石の領地へ移され、新見藩は成立しました。以降、9代にわたって関氏の

支配が続き、明治時代を迎えました。

関長治は経済的に発展していた新見に陣屋を置き、陣屋町として整備しまし

た。陣屋があった場所には、現在は新見市立思誠小学校があり、江戸時代

当時の構造物などは残っていませんが、思誠小学校の敷地内には藩校思

誠館跡を示す石碑が建てられています。

  次回その④は、美作国を紹介させて頂きます。
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今日は「江戸時代の岡山の城めぐり」の続きを書く予定でしたが、ちょう

ど月遅れのお盆だったのもあり、目下岡山県内で開催中の「名刀・武将

テーマの展覧会」が、3か所同時開催と言う連携効果なのか、賑わってい

るニュースが有ったので、それを先に御紹介させて頂きますネ。

我が家の門周りでも、夏の花が咲き始めています。




ここからが今日の本番記事です。



この夏、岡山が刀剣や歴史ファンの女性から熱視線を浴びています。

日本刀や戦国武将をテーマにした展覧会が集中しているためで、複数

の美術館、博物館をまとめて巡る県外客も目立ち、相乗効果を生んで

います。この情報は15日付の【山陽新聞】からで、画像も借りました。



上の画像ですが、備前長船刀剣博物館の様子です。

「すごくきれい」「これが土方さんのだ!」

幕末が舞台の人気ゲーム「薄桜鬼」とのコラボ企画で、特別展『薄桜鬼

刀剣録」(9月19日まで)を開催中の備前長船刀剣博物館
の様子です。

会場は若い「刀剣女子」で華やぎ、新選組の土方歳三ら登場人物ゆか

りの刀剣の前で、黄色い歓声が上がります。瀬戸内市の22歳の女性

は「刀の表面に浮く)鍛え肌の迫力に鳥肌が立った」と話します。ゲーム

で興味を持ったといい、イケメンキャラクターのパネルと見比べながら、

じっくり鑑賞していました。7月中旬の開幕以降、週末は1日約400人

が訪れ、そのうち6~7割が女性だと言います。2カ月の会期で昨年1

年間の入館者数(4万3千人)の約半数を見込んでいます。



「若い女性で賑わうなんて、あり得なかった光景です。」と興奮気味に

話すのは、特別展「すべて魅せます備前刀」(9月11日まで)を開催す

る林原美術館の浅利学芸課長です。
週末を中心に1日120人前後が

入場し、その半数以上が女性です。(画像下です)



国宝、国重要文化財など32本の名刀を公開しています。写真撮影を

許可したことで、スマートフォンやデジカメを手にした女性が次々訪れ、

SNS(会員制交流サイト)で画像を拡散していて、これも呼び水の一つ

になっていました。



仙台藩伊達家の名品をそろえた特別展「伊達政宗と仙台藩」(8月28

日まで)を開催中の県立美術館
も、普段はあまり姿を見ない「歴女」が

増えているといいます。

活況の大きな要因が3館の同時開催にあるようです。「いくら刀剣や


歴史が好きでも、1館だけでは踏み切れなかった」と愛知県春日井市

の女性は語って居ます。オンラインゲーム「刀剣乱舞」で魅力にはまり、

2泊3日で全館を巡るツアーを決行したそうです。心ゆくまで名品に触

れ、「テンションが際限なく上がる”ハイパーインフレ”状態です。全く見

飽きず、何度でも訪れたい」とまで話します。1泊2日で2館を回った広

島市の会社員女性も「見どころが多すぎて時間がかかりました」と満足

そうでした。



館同士の連携も盛り上げに一役買って居ます。林原、県立美術館は一

方を観覧すると、もう1館の観覧料が2割引きとなる相互割引を実施して

います。林原は伊達家コーナーを設け、刀剣博物館とはポスターなどで

相互にPRを実施しています。

各館はファン層を広げる好機ととらえ、多彩なイベントやサービスも用意

しています。

刀剣博物館は、初心者向けの講習会を開き、林原は刀の超高精細画像

のモニターを設置しました。県立美術館は政宗の甲冑の試着体験など工

夫を凝らします。

刀剣博物館の植野学芸員は「備前刀など美術工芸品を守り、技術を伝

承するにはファンの数が鍵になります。あの手この手で魅力をPRし、刀

剣ファンの裾野を広げたい」と話しています。

  お盆休みも時差休暇の方も有るやに聞きますし、この機会
  にお時間を作って、是非とも岡山に足を運んでくださいネ。




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