日野巡察の二日目を完結させたかったのですが、嬉しいニュースが有ったので、そちらを優先

して仕舞いました。

タイトルに有る「若女将」とは、日野パレでニアミスしていたようです。彼女との出会いは、東日本

大震災から8か月近く経った、11月の5日の「全国新選組サミットin宮古」で訪れた、宮古市・鍬ヶ

崎小学校の体育館でした。星亮一さんの講演が始まる前位に、サミット参加者とはちょっと雰囲気

の異なる感じというか、和服姿の粋な感じの女性と話しをしたのです。名刺交換で頂いた名刺には

「浄土ヶ浜旅館 若女将」と書かれていた、近江智春さんでした。

私の想像では、多分浄土ヶ浜の海の見える場所?と思い、話をすすめると案の定津波で流失した

のだそうです。「大変でしたネ」と言う私に彼女は「でも、私は親兄弟を失った訳では無いので、未だ

幸せな方だと言うのです。沢山の被災者の皆様の中には、家や仕事だけでなく、親兄弟を失った方

も少なく有りません。どんなに頑張っても、親兄弟は帰って来ません。私が失った仕事や家は、頑張

ったら帰って来ますから、自分は幸せな方だとおっしゃったのです。そんな前向きな彼女なら、きっと

旅館の再興も早い時期になさるのだろうと、心の中で確信に近いものを感じました。


その後宮古港海戦の会の事務局の仕事を手伝って頂いていると、事務局長のMさんからお聞きしま

した。実は彼女は今年の日野パレにも参加され、パレードの途中かなりニアミスしていたと、後に電話

でお聞きしたのです。彼女を紹介した新聞の記事をアップ致します。

  真新しい白壁が目を引く3階建の旅館は、今月15日の再開準備で慌ただしい。内装を仕上げ
  る作業員に交じり、法被を羽織った小柄な女性が館内を走り回る。
  「本当に良かった。ようやく一歩を踏み出せる。」岩手県宮古市の「浄土ヶ浜旅館」の若女将、近
  江智春(32)は、険しい道のりを思い返す。
  宮古市の高校を卒業後、茨城県で介護士をしていた近江が帰郷したのは2008年。母が働く浄
  土ヶ浜旅館には後継者がおらず、伯母で女将の佐々木美津子から請われたのがきかけだた。
  渋々戻ると、5部屋の客室は名勝・浄土ヶ浜の観光客で連日ほぼ満室で、すぐに目の前の仕事
  に追われた。
  ようやく若女将としての振る舞いが板についたとき、1960年創業の旅館は屋根まで大津波に飲
  まれ全壊した。「終わったね。」佐々木が抑揚のない声でつぶやくのを、急いで避難した高台で聞
  いた。
  旅館の再建を目指す余力はなく、無事だった従業員6人はそれぞれ働きに出た。近江も「もう旅
  館に関わることは無いだろう」と、1か月後に茨城県に引っ越し、すし店に職を得た。
  どこで聞きつけたのか関東や九州から、旅館のなじみ客が「若女将に会いに来たよ」とすし店に訪
  れるようになった。しかし再開を待ち望む声を伝えても、佐々木は口を濁してばかり。「再建すれば
  私の負担になると思って決められないんだ」と受け止めた近江は11年夏、自らが先頭に立つことを
  決めた。
  再建費用の4分の3が交付される国の補助金は、被災企業が集団で申請する必要があるが、打診
  した地元のホテルからは「もうグループは出来た」と扉を閉ざされた。探し回った結果、一緒に申請
  する民宿が約30㌔南の大槌町で見付かりその年の秋に交付が決定した。しかし今度は、市が都市
  計画を理由に元の場所での建築を認めなかった。車で約10時間かけて、茨城県と宮古市を行き来
  し、建設業者や自治体との交渉に奔走した。
  「旅館を再興し、地域を地域を盛り上げていきたいんです。」12年春、再興費用の不足分を無利子で
  貸す、県の支援事業の審査で、担当者5人を前に必死に訴えていた。友人や近所の一家は、津波で
  命を奪われた。「生き残った私が、宮古のために全力で生きよう」
  昨年6月、全壊した旅館から1㌔離れた場所に用地が見つかり、県からの融資も決まった。佐々木も
  「もう1回頑張ろうか」と希望を口にするようになった。
  新旅館は客室を3室増設した。ホタテや海藻を載せた「磯ラーメン」など従来の献立を復活させつつ、
  新たな名物料理を板長と思案する。
  旅館の外へも目を向ける。昨年7月、「復興の一助に」との思いで、津波で被災した浄土ヶ浜で、市が
  誇る国重要無形民俗文化財の「黒森神楽」を上演する催しを企画、約700人の観客を集めた。
  佐々木は「あんたなら大丈夫」と代替わりに太鼓判を押す。近江は「また何年かは修業のやり直し。毎
  日精進します」と笑ってかわした。

以上が日本経済新聞の記事の全文です。あの全国サミットの際話した彼女の言葉は、「頑張らなければ」

と自分自身への自己暗示だったのかも知れません。「仕事や住まいは頑張れば戻ってくるといった言葉に

対しても、彼女に直接「頑張って良かったですネ」の一言を直接言いたくて、先日電話でオメデトウを伝えま

した。元気で明るく「皆様方が支えて下さったからの再開」と言っていらっしゃいました。

  宮古の浄土ヶ浜は、日本最東端の風光明媚なところ。私ももう1度、あの素敵な浄土ヶ浜
  訪ねたいという、そんな郷愁みたいな気持ちを感じさせた出来事でした。

   いよいよ明日は「浄土ヶ浜旅館」再興オープンに日です。是非浄土ヶ浜を訪れて
   下さい。私からもお願い申し上げます。  「がんばっぺし宮古!」です。