新島襄との生活が終わってしまった新島八重のその後の暮らし振りからです。

新島襄の永眠後、八重は同志社とはやや距離を置きながら、自身の活動の

 

場を見出していきます。

普段の八重は茶道に一生懸命でした。裏千家13代家元・圓能斎の弟子となり、

 

女性として最高位まで上り詰め、自身も教師として弟子をとりました。

一方では本格的な社会活動として、明治23(1890)年には日本赤十字社正社

 

員となり、社会奉仕事業に献身する道を歩み始めました。この時期の活動でよく

 

知られているのは、日清戦争・日露戦争に篤志看護婦として従軍したことです。こ

 

の功績に対して、明治29(1896)年には勲七等宝冠章、翌年には勲六等宝冠章

 

が授与されています。


次のニュースは2月17日の【山陽新聞】の朝刊の記事ですが、岡山市中区徳吉町

 

の「山陽高等女学校(現・山陽女子中・高等学校)」で、明治42(1909)年で行った

 

講演会の記録が、広報誌に残っているのが判明したと報じて居ます。20世紀を迎

 

えて間もない時期の講演では、女子生徒に学問で将来を切り開くようにとエールを

 

送っています。

講演の記録は、広報誌「みさを第42号」(A5版85㌻)に2㌻半にわたって掲載され

 

ていると伝えて居ます。

タイトルは「白虎隊」で、自らが砲術を教えた隊士が所属していた白虎隊の戦いや、

 

自決などの様子を語りながら、「ならぬことはならぬ」などの教えで知られる、会津藩

 

の教育が大きな影響を与えていたことなどを説明され、「君につかへ、親につかふる

 

道を知らせてゐました」と話されたそうです。

また「女子は国の栄の基礎となるものです。故に意思を強く忍耐力に富んでゐなけれ

 

ばならぬ、硬い決心をもって學びの道を辿られんことを希望します。」と強調されました。

講演が行われた経緯は定かでは有りませんが、当時の校長だった上代淑の研究をし

 

ている「山陽学園大総合人間学部・濱田栄夫教授は、淑が新渡戸稲造ら著名人を招

 

いた講演を行った点を指摘しています。

また、淑の父と新島襄が書簡をやりとりするなど、交流が有ったことなどから「父との縁

 

で八重に依頼したのではないか」と推測すると言い、一方新島夫妻に詳しい本井康弘・

 

同志社大教授は「八重は各地で講演していたが詳細な記録は少なく、岡山とのつながり

 

を示す、貴重な資料でも有る」としています。


この講演が有った翌明治33(1900)年、八重は養女を貰っています。それが手代木直

 

右衛門勝任の次女で、米沢藩・甘糟鷲雄と結婚していた仲枝の間の長女・初子でした。

 

初子は明治14(1881)年生まれの19歳で、両親が10~11歳で相次いで亡くなり、一

 

時現在の津山市に住んでいた祖父の許で過ごした後、父の弟にあたる叔父・三郎が甘糟

 

家の家督を継いだので、三郎の養女に成ったのち、三郎には実子も居たため八重の養女

 

に成ったものと推測されます。この縁に就いては、祖父手代木が会津鶴ヶ城籠城戦が降

 

伏に際し、手代木と甘糟備後守(鷲雄・三郎の父?)と米沢で会っているので、そのつなが

 

りが有ったのではと推測しています。

その翌明治34(1901)年にはその養女初子は後に同志社の校長心得に成った広津友信

 

の許に嫁がせて居ます。


八重はその後昭和天皇の大礼で、長年の日本赤十字社での活動の功績により銀杯を下賜

 

されました。

更に昭和6(1931)年には、故郷会津若松の大龍寺に山本家の墓を建てました。

そんな多くの功績を残して、昭和7(1932)年6月14日急性胆のう炎で、八重は86歳で永眠

 

しました。

江戸・明治・大正・昭和と移り変わった激動の時代を、会津武士の魂と、キリスト教精神で生き

 

抜いた力強い生涯でした。葬儀は「同志社の母」として、その年に完成したばかりの同志社栄

 

光館で、学校葬として営まれましたが4000人もの参列者が有りました。埋葬されたのは京都

 

市左京区若王子山の同志社墓地で、今も襄の左隣に眠っています。墓碑銘は徳富蘇峰の揮

 

毫によるもので、特に大河の影響もあってか、墓参の人が後を絶たないと聞いています。

      前後10回になって仕舞った八重と岡山ですが、一応今回で締めさせて頂
      きますが、未だ新情報も出そうな予感も有りますので、その際は改めて紹
      介させて頂きます。長々お付き合い頂いて、本当に有難うございました。

  参考文献  その後の手代木直右衛門「坂本龍馬を斬った男」の兄が岡山で生きた明治

                   (平鈴子), 山陽新報(県立記録資料館蔵),  私家本「手代木直右衛門伝」
         幕末・会津藩士銘々伝(新人物往来社)   岡山市連合町内会会報
         岡山市史(政治編)   川崎尚之助と八重(あさくらゆう)   ウィキペディア(種

                   々),  wiki「あらすじと犯人のネタバレ」   「戊辰としらかわ」(福島県県南地方振

                   興局)