葛飾柴又重文的景観に選定を答申ほか

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国の文化審議会は17日、映画「男はつらいよ」で主人公の寅さんの故郷


として描かれた東京都葛飾区柴又など3地域の町並みを「重要文化的


観」に選定し、保護の対象とするよう林芳正文部科学相に答申しました。

         (このニュースは18日の【山陽新聞】からのご紹介です。)

 



昨年の熊本地震で地表に現れた「布田川断層帯」(熊本県益城町)など2


件を天然記念物に指定することも求めました。学術的価値が高く、災害遺


構としても重要だと評価したものです。重要文化的景観が東京都内で選定


されるのは今回が初めてです。柴又帝釈天(題経寺)と門前町、渡し船が


行き交う江戸川など、下町情緒豊かな景観を保存しようと、葛飾区が選定


を申請していました。


重要文化的景観は国の文化財の一つです。開発が制限される一方、景観


保護の取り組みに国の財政支援が受けられるようになります。



近く答申通り告示され、重要文化的景観は61件、史跡・名勝・天然記念物


は3242件、建造物の登録有形文化財は1万1690件になります。



今回17日の文化審議会答申には、岡山県内でも国史跡・備前陶器窯跡


(備前市伊部)に医王山窯跡を加えることや、弘泉寺(倉敷市下津井)の本


堂と山門を登録有形文化財にする内容も盛り込まれました。



医王山窯跡は平安~室町時代の窯の跡です。備前陶器窯跡はこれまで室


町~江戸時代の窯跡群が史跡指定されており、歴史的変遷を見る上で価


値が高いとされたものです。



弘泉寺の現在の本堂と山門は1820年代(文政年代)の築造とされていま


す。江戸時代後期から中国、近畿地方の寺社造営で活躍した塩飽大工が


手掛けています。波型の彫刻が施されており、歴史的な景観の形成に寄与


しているといわれます。


答申通りに認められると、岡山県内の登録有形文化財は92カ所292件に


なり、国史跡は47件となります。


広島県内では明治~大正期の診療所を備えた邸宅「瀧口家住宅」(庄原市


春田町)が登録有形文化財として答申されています。



 そしてオマケの岡山県内情報ですが、この所の寒さも影響し、また季節

 的にも雲海の季節を迎えた高梁市では、「天空の山城・備中松山城」の

 雲海に浮かぶ光景をカメラに収めようと、早朝からお城の東の高台にあ

 る展望台にはカメラマンの姿が見られるようになりました。10時前には

 雲海が姿を消すため、岡山からですと相当早い時間に出発が必要です

 し、天候次第という野も有るので、必ず見られるとは限りませんが、それ

 がまた楽しみの一つになるのかも知れませんネ。あなたも如何ですか?

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上越市・国宝備前刀購入断念!

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22日の【山陽新聞】にこんな記事が掲載されていました。


 新潟・上越市

 

 国宝備前刀の購入断念


という見出しが躍って居ました


この件については昨年9月9日に当ブログで「国宝備前刀『山鳥毛』を


売却?」というタイトルで紹介させて頂きました。


(ブログは⇒https://ameblo/new8-1915/entry-12197936912.html です)


概要としては岡山後楽園入口にある岡山県立博物館に、20年近く寄託


されてきた国宝備前刀「太刀 無銘一文字(山鳥毛)」が、新潟県・上越


市に売却される見通しとなり、岡山の文化界に戸惑いとショックが走りま


した。






 


この太刀は個人の所有ですが、長年にわたり岡山県立博物館に寄託されて来


ましたが、所有者が売却の意思を表明したことから、上越市が購入の意思を表


明し、購入に向けて動き出したのです。



1952年に国宝指定された「山鳥毛」は福岡一文字派が全盛の鎌倉中期(13世


紀)に生み出した傑作で、「日本刀の最高峰」とも評されています。上越ゆかりの


戦国武将・上杉謙信が愛用し、上杉家に伝来した後、岡山県下の収集家の手に


渡る形で里帰りしていたもので、97年3月から寄託を受けた県立博物館が、年


に1,2回展示公開されて来ました。



今回のニュースは、前述の経緯から購入に向けて動いて来た上越市が


21日、所有者と契約金額の折り合いが付かず購入を断念したと発表し


たものです。「山鳥毛」は山鳥の羽毛を連想される変化に富んだ刃文が


特徴的な名刀です。所有者の売却の意向を受け、謙信ゆかりの上越市


が昨年8月に購入方針を表明していました。上越市教育委員会文化行


政課は契約金額を巡り、鑑定評価額3億2千万円を上限としていた上越


市側と、評価額を基準に上積みを望んだ所有者との間で「食い違いが生


じた」と説明しています。



最終的には「5億円」を希望した所有者に対し、「評価額を上回る公金の


支出は理解を得られない」として今月、購入断念を伝えたとしています。


交渉の破断を受け、岡山県立博物館は引き続き寄託を受けることになる


ようです。岡山県教委文化財課は過去に同刀の購入を見送った経緯もあ


り、(寄託の)現状が変わらない限り積極的に動くことはないが、動向を見


守っていきます。展示については所有者の意向を尊重していきます」とし


ています。

 あくまでも私見ですが、名刀が岡山県に留まったのを素直に喜んで良い

 か、ゆかりの地へ行けなかったのを悲しむべきなのか、かなり微妙なのは

 確かです。まあ、またあの「山鳥毛」が見られることは確かでしょうが・・・

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後楽園近くの明治建築活用近し!

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岡山市北区幸町の石川文化振興財団などは15日、岡山後楽園の門前に


ある明治期の建物「旧福岡醤油」(北区弓之町)を石川財団理事長でアパ


レルメーカー・ストライプインターナショナルの石川康晴社長が取得して、一


帯の出石町地区を含む市中心部の岡山カルチャーゾーンを活性化する事


業に乗り出すと発表しました。

     (このニュースは16日の【山陽新聞】からで画像もお借りしました)





事業名は「出石町プロジェクト(仮称)」です。拠点施設となる旧福岡醤油は


建物(地上2階地下1階延べ950平方㍍)の外観を残したまま、耐震補強


や内装のリニューアルをして、瀬戸内地域の時産品を販売するショップや


宿泊施設として整備するものです。(現在の外観は下の画像です)





併せて、近くにある木造2回の「出石しろまち工房跡」は商業施設とし、東


側に隣接する土地には商業、宿泊施設を新たに設けます。いずれも2019


年秋の開業を目指しています。



戦前の町並みの面影を残す旧福岡醤油を巡っては、12年以降、住民ら


が保存活動などを展開してきました。にぎわい創出のイベントなどを開い


てきましたが老朽化が進み、歴史的資産を残す目的で10月に、石川氏


が民間の所有者から購入したということです。他の施設や土地も10月


までに取得しています。各施設を活用した具体的な活性化策については、


石川氏と石川文化振興財団やストライプ社などが連携して進める方針で


す。石川氏は「地区の住民や地元NPOの声を聞きながら、出石町をさら


に魅力的なエリアにしたい」と語っています。


 そんな出石町からすぐの後楽園では、現在秋の幻想庭園が開かれ

 ています。ライトアップされた後楽園からは、これもライトアップされ

 た岡山城(烏城灯源郷)を望むことが出来ますので、チョット短めだ

 った今日のブログのオマケ画像として上げさせて頂きました。


 

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国宝五城のこといろいろ

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昨日の記事では、来年岡山で開催される講座のうち「国宝五城めぐり」


をご紹介させて頂きました。江戸時代以前に建てられた城で天守が現


存しているのはわずか12城ですが、そのうち国宝に指定されているの


は5カ所です。それに関する講座ですが、◎と○は良く知っているけど


それ以外は余り良く知らないとかありそうな気もします。まあ、私だけがこんきやま


そうかも知れませんが、今更ですがその5城についての概要です。この


内容はWikipediaからのご紹介です。



▲彦根城(滋賀県彦根市)=連郭式平山城


江戸時代初期に、現彦根市金亀町の彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠


点として置かれた平山城(標高50㍍)です。金亀山(こんきやま)の異名


があるため金亀城(こんきじょう)ともいわれます。


江戸時代徳川四天王の一人・井伊直政は、1600(慶長5)年関ヶ原の戦


いの後、その軍功により18万石で近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官


・石田三成の居城であった和田山城に入城しましたが、中世的な縄張りや


三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(米原市)に築城を計画し


たが実現前の1602年に死亡しました。その後直継が家督を継ぎましたが


幼少のため直政の遺臣である家老の木俣守勝が、家康と相談して1603


年に築城を開始し、1606(慶長11)年2期までの工事と天守が完了しまし


た。1622(元和8)年には全ての工事が完了し彦根城が完成しました。


1854(安政元)年に天秤櫓の大修理が行われ、石垣の半分が積み直され


ました。向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み」、左手が積み直された


「落し積み」の石垣です。



▲松本城(長野県松本市)=梯郭式+輪郭式平城 


戦国時代の永正年間(1504~20)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原


氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まり


といわれます。


天文年間には甲斐の武田氏による信濃攻略が開始され、天文19(1550)


年7月15日には林城、深志城が落城し、信濃守護・小笠原長時は追放され


ました。武田氏は林城を破却し深志城代として馬場信春を配置し松本盆地


を支配下に置きました。1582(天正10)年武田氏滅亡により織田信長に


よって木曽義昌に受け渡されましたが本能寺の変後小笠原家が奪還し、貞


慶が旧領を回復し、松本城と改名しました。


1590(天正18)年の秀吉の小田原征伐の結果、德川家の関東移封が行


われ、当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へ移り、代わった石川教正


が入城し、その子康長が天守を始め城郭、城下町の整備を行いました。



▲姫路城(兵庫県姫路市)=渦郭式平山城(天守=連立式)望楼型  


姫路城は播磨国飾東郡姫路、今の姫路市街の北側にある姫山と鷺山を中


心に築かれた平山城で、日本における近世城郭の代表的な構造です。


1993年12月には世界遺産に登録されました。姫路城の始まりは1346


年の赤松貞範による築城とする説が有力で、「姫路城史」や姫路市ではこ


の説を採って居ますいます。一方で赤松氏時代のものは砦や館のような小


規模なもので、城郭に相当する規模の構築物としては戦国時代後期に西


播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の家臣・黒田重隆・職隆父子による築


城を最初とする説もあります。


戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になる


と、山陽道上の交通の要衝・姫路城は本格的な城郭に拡張され、関ヶ原の


戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へ


とさらに拡張されました。江戸時代には姫路藩の藩庁となりさらに西国の外


様大名監視のために西国探題が設置されましたが、城主が幼少、病弱、無


能な場合には牽制任務を果たせないために城主となる大名が頻繁に交代


しています。池田氏に始まり譜代大名の本多氏、榊原氏、酒井氏や親藩の


松平氏が配属され、池田輝政から明治新政府による版籍奉還が行われた


時の酒井忠邦まで270年間6氏31代が城主を務めました。


明治時代には陸軍の兵営地となり、この際多くの建物が壊されましたが、陸


軍の中村重速大佐の働きで、大小天守閣群、櫓郡などが名古屋城とともに


国費によって保存される処置が取られました。城内には中村大佐の顕彰碑


も建てられています。



▲犬山城(愛知県犬山市)=複合式望楼型平山城 


尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ88㍍ほどの丘に築かれた


平山城です。別名を白帝城といわれましたが、木曽川沿いの丘上にある城


の佇まいを、長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早発白帝城」


にちなんで萩生徂徠が命名したと伝えられます。


前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた


城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城し、豊臣政権の時に石川貞


清(光吉)が改修し現在のような形となりました。小牧、長久手の戦いや関ヶ


原の戦いにおける西軍の重要拠点となりました。江戸時代には尾張藩の付


家老平岩親吉が入城し、成瀬正成以来成瀬氏9代が明治まで城主として居


城しました。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説


などがあるようですが、現在のような形となったのは成瀬正成が改修した元


和3(1617)年頃です。2004年3月時点では日本で唯一の個人所有の城


でしたが、同年4月に財団法人(2013年からは公益財団法人)犬山城白帝文


庫に移管されました。



松江城(島根県松江市)=輪郭連郭複合式平山城 


1600(慶長5)年関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が


隠岐出雲24万石を得て月山冨田城に入城し松江藩が成立しました。月山冨


田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、運送などに有


利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補としました。


1607(慶長12)年末次城のあった亀田山に築城を開始したのです。1611(慶


長16)年正月には松江城が落成しましたが、堀尾吉晴はこの年の6月に亡くな


り、嫡男忠氏が引き継ぎました。1633(寛永10)年嗣子がいない堀尾家に代り


若狭国小浜藩より京極忠高が出雲隠岐両国26万石で入封され、三の丸を造営


し松江城の全容が完成しました。


そもそも松江城は小瀬甫庵の縄張りによる平山城で、江戸時代には松江藩の藩


庁として出雲方の政治経済の中心となりました。明治時代初頭に廃城令によって


存城処分(陸軍省所管)となったため、城内の建物は国から買い戻された天守を


除いては全て払い下げられ撤去されました。昭和初期に城山部分は講演として


開放され、現在は指定管理者制度により、特定非営利活動法人松江ツーリズム


研究会が運営をしています。


 以上今更と言う感じも致しますが「国宝五城」の概要の紹介でした。

                                      (Wikipediaより)


 

 


 


国宝五城めぐり・1月からの講座

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今年も余すところ40日余りとなって来ましたが、山陽新聞カルチャー


プラザでは、岡山県内8会場で多彩な講座を開講しています。来年を


実り大きな年にして頂くために、「国宝五城めぐり」の紹介をさせて頂


きます。

(この紹介は15日の【山陽新聞】からの紹介で画像もお借りしました)



日本の城は、江戸幕府の1国1城令、明治時代の廃城令、第二次大戦


の戦火などにより多くは姿を消していきました。現在江戸時代以前に建


てられた城で天守が現存するのはわずか12城だけです。このうち彦根


城(滋賀県彦根市)、松本城(長野県松本市)、姫路城(兵庫県姫路市)、


犬山城(愛知県犬山市)、松江城(島根県松江市)の5城が国宝に指定


されています。


来年1月から全5回で特別講座「国宝五城めぐり」を山陽新聞社さん太


ホール(岡山市北区柳町)で開催します。国宝5城について、各地から


講師をお招きして特徴や歴史を解説して頂きます。受講料は5000円


(資料代、税込み、全5回)です。



受講申し込みは、山陽新聞カルチャープラザ本部教室「国宝五城めぐ


り」係となって居ます。住所、氏名、年齢、電話番号を明記の上、はが


き(〒700-8634 岡山市北区柳町2-1-1)かFAX(086-803


-8117)か、メール(event@sanyonews.jp )でお申し込み下さい。定員


(300人)になり次第締め切られます。開催日とテーマ、講師は次の通


りです。各回午後1時半~3時までです。


第1回 平成30年1月29日(月) 「彦根城」


 講師 中井 均・滋賀県立大学教授



◆第2回  2月12日(月) 「松本城」 


 講師 桑島 直昭・松本市文化スポーツ部文化振興課主査



◆第3回  3月5日(月) 「姫路城」 

 


 講師 中本孝迪・播磨学研究所長



◆第4回 3月19日(月) 「犬山城」 


 講師 河島 誠次・犬山市教育委員会歴史まちづくり課主査補





◆第5回 4月30日(月) 「松江城」  


 講師 西島 太郎・松江歴史館学芸員






※資料請求については、全ての講座をご覧頂けるパンフレットを無料で


 送ってくれます。電話かHPで請求できます。HPでは講座の最新情報


 を掲載しているほか、キーワードや開催教室、ジャンル、開講の時間


 帯、曜日などから講座の検索も可能です。


 次回当ブログでは、今更ですが「国宝五城」の

                    概要をお知らせしたいと思って居ます。





 




 


 

地球史に「チバニアン」来年にも決定か

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国立極地研究所は13日、地球の歴史のうち更新世の77万~12万


6千年前を「チバニアン(千葉時代)」と名付けるための申請が、国際


学会の1次審査を通過したと発表しました。審査は続きますが、結論


が覆った前例はほとんどなく、来年中にも正式に決まるものと見られま


す。地質年代に日本にちなんだ名称が付くのは初めてです。

 (このニュースは14日の【山陽新聞】からで画像もお借りしています)





ほかにイタリアの2か所の地層にちなんだ名称も申請され投票となりま


したが、千葉県市原市で見つかった77万年前の地層をもとにしたチバ


ニアンが6割以上の支持で選ばれました。




46億年に及ぶ地球の歴史は、地層中の化石などから決める地質年代


で分け、恐竜が繁栄した「ジュラ紀」や「白亜紀」などがあり、さらに細か


な年代に分けられています。茨城大学や極地研究所のチームは6月、


市原市の地層が、年代の境界を示す代表的な地層の「国際標準模式


地」にふさわしいとして、国際地質科学連合に申請し審査を受けていま


した。



地層には、77万年前に地球の磁気のN極とS極の向きが逆転した跡


が、鉱物などに良好な状態で残って居ます。岡田誠茨城大学教授(古


地磁気学)は「主張してきたことが認められました。地学に高い関心を


持ってもらえる良い材料になります」と 喜びを語りました。


この地層はかって海底にあった所に積もり、その後に盛り上がって陸


地になり、市原市を流れる養老川沿いの崖に現れています。


今回通過したのは作業部会の一次審査でした。票が僅差なら決選投


票のなる可能性もありましたが、1回で決着しました。


今後、国際地質科学連合が実施する3回の審査を経て正式に認定さ


れます。


 それにしても地質学上の歴史的な呼び名に「チバニアン(千葉時代)」

 と名付けられるって凄い事ですよネ。地学は一応習ったんですが・・・。

 

 

岡山市ふるさと納税高額寄附2コース新設

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岡山市は、応援したい自治体に寄付すると居住地の住民税などが減額さ


れる「ふるさと納税」で、2018年度から寄付者への返礼内容を大幅にリニ


ューアルします。市の魅力発信を強化するため、高額寄附に対応したコー


スを新設して、高級果物などをラインナップしました。市内の観光施設や名


所を体験するメニューも充実されます。

 (この記事は14日付の【山陽新聞】からの紹介で画像もお借りしました。)



ふるさと納税を巡っては、高額返礼で寄付を募る自治体間競争が問題にな


りましたが、市は「高級フルーツなど岡山の特産品や文化をもっと知ってもら


うことが目的です。制度の趣旨の範囲内で、しっかりとPRして行きたい」とし


ています。




現在では、返礼品を送る寄付額は「1万円以上3万円未満」(返礼品相当額


は3240円)と「3万円以上」(返礼品相当額は5400円)の2コースです。新


たに「5万円以上10万円未満」(同1万2千円)と「10万円以上」(同3万円)


を設けて計4コースにします。従来の3万円以上は「3万円以上5万円未満」


として返礼品を7千円相当に設定します。



寄付に対する返礼品は「果物王国」を代表するモモやブドウといった特産品


などを揃えていますが、現行のコースでは品物のグレードが限られるため、


返礼品相当額を高めて高級品も取り扱えるようにします。高額コースの設定


により、岡山城と後楽園をセットにした入場券など岡山の観光スポットを体験


できるメニューでは、宿泊を伴うプランも用意できるように成るとしています。



市は、プロポーザル(提案)方式で来年1月に返礼品の選定や送付に当たる


事業者を決め、最終的にメニューを固める予定です。提案では、体験メニュー


に西大寺会陽(国重要無形民俗文化財)を組み込むように求めるなど、より岡


山らしさを売り込む内容とします。市によると、2016年度の市への寄付件数


は1万1859件(前年度比37.8%増)で、金額は1億5033万円(同19.7%


増)となっています。寄付の半数近くは関東方面からで、PRとともに岡山への


来訪にもつなげたい考えです。



ふるさと納税に関して、総務省は寄付額に対する返礼品の調達額(返礼率)を


30%以下とするよう通知しています。市は新設コースの返礼率を基準内に収


め、現在は超過するケースもある「1万円以上3万円未満」は18年度から返礼


品を3千円相当に引き下げることにしています。

 

冬春の「千両ナス」収穫本格化ほか

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早いものでもう11月も半分終わったのですネ。そんな時期ですが岡山


市南区を含む備南地域の干拓地で、県内出荷の8割を占める「千両ナ


ス」の収穫が本格化しています。農家は早朝から、つやのある黒々とし


た実の摘み取り作業に追われています。

 (このニュースは10日の【山陽新聞】からで画像もお借りしています)



冬季出荷の千両ナスは小ぶりで皮が柔らかく、食べると歯切れが良い


のが特徴です。備南地域ではJA岡山備南施設茄子部会が1969年


に栽培を始めました。現在は岡山市南区と玉野市にまたがる七区地


区を中心に91個が5.7㌶で栽培しています。年間約2千㌧を生産し


て主に関西や関東の市場に出荷していますが、料亭の食材や漬物と


して使われています。




福留博さん=玉野市槌ケ原=は南七区のビニールハウス3棟で栽培


しています。実一つ一つをはさみで丁寧に摘み取って収穫しています。


「今年も順調に育ちました。千両ナスは皮が軟らかいので、むかずに


調理するのがお勧めです」と話しています。



JA岡山備南営農センター(南区北七区)によると、例年並みの8月に


苗を植え付け、9月上旬に収穫を開始しました。10月には雨が多かっ


たため、日照時間が少なく成長が遅れ、9月中旬の台風18号の接近


では一部のビニールハウスに浸水などの被害がありましたが、10月


末からは晴れが続いて平年並みの育成に持ち直したと言われます。


収穫は来年6月末まで続くと言われます。



もう1件別ネタですが、日本郵便が手掛ける全国一律の郵便局サービ


スの維持に向け、自民党がまとめた基本方針の素案が8日に分かりま


した。第三者機関がグループ傘下のゆうちょ銀行とかんぽ生命保険か


ら負担金を徴収して、日本郵便に交付する制度を創設します。2018


年の通常国会に、議員立法による郵政民営化法の改正案提出を目指


します。   (こちらの記事は9日の【山陽新聞】からのご紹介です。)



現行制度では、ゆうちょ銀行とかんぽ生命が郵便局の窓口業務を担当


している日本郵便に対し手数料を支払っています。民間の契約であり、


今後、ITの活用や高齢化がさらに進んで郵便局窓口の利用者が減ると、


手数料も減額される恐れがあります。


素案では、将来も安定して全国一律のサービスを続けて行くために、制


度的な処置を導入すると明記しています。具体的には、総務省が選定し


た第三者機関が、郵便局ネットワークの維持に必要な費用を算定し、ゆ


うちょ銀行、かんぽ生命が支払う年約1兆円の手数料の一部を負担金に


衣替えするものです。手数料には消費税が消費税がかかりますが、負担


金にはかかりません。事実上、消費税の減免分が交付金として、郵便局


サービスの維持費に廻る仕組みになりそうです。


郵便、郵便貯金、簡易保険の郵政3事業を巡っては、郵政民営化法によ


り郵便窓口で一体的な提供が義務付けられています。総務省は税制改


正要望で、ゆうちょ銀行などが支払っている手数料に対する消費税を減


免するよう求めてきましたが、実現していませんでした。


 確かに私の周りでも、郵便よりもメールと言う動きも著しくなっていますが、

 年賀状だけは郵便でと思いますが、皆様方のご予定は如何なのでしょう。

 こうした傾向の中で、郵便離れも感じられる気がします。

 

 

ツキノワグマ増え過ぎで猟解禁・追記あり

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記事の最初は先ず県内のツキノワグマの現状です。


生息数は2000年度にスタートした「ツキノワグマ保護管理計画」で、


目撃情報などから10頭前後と推定しました。12年から統計学の手法


に基づく調査が実施され、16年末で205頭(中央値)と増加傾向にあ


ります。17年度の出没情報は10月末までに105件で捕獲は11頭で


した。過去最多出没となった16年度同期(出没190件、捕獲26頭)の


半分程度となっています。そんな状況ですが岡山県で今日15日、ツキ


ノワグマの狩猟が2000年度に全面禁止となって以来、17年ぶりに解


禁されます。これまで絶滅の恐れから保護に重点が置かれて来ました


が、ここ数年は個体数の増加により、人里での捕獲や目撃が相次ぎ、


全国的にも襲われて死者が出ました。


県内でも被害の恐れが現実のものになりつつあるとして、岡山県は政策


転換に踏み切ったのです。一方で両市の大半はクマ猟の経験がなく、生


息数の管理に効果があるかは不透明です。

    (このニュースは9日付の【山陽新聞】から画像もお借りしました)



「クマは頭が良く、犬以上に嗅覚が優れています。仕留められなければ反


撃を食らう危険があり、一歩間違えば命を落としかねません。


10月6日、県美作県民局勝英地域事務所(美作市入田)で開かれたツキ


ノワグマの安全狩猟講習会の様子です。東北などでクマ猟をした二枝茂


広さん(吉備中央町)の説明に会場の緊張感がぐっと増しました。



受講した県僚友会所属の約30人のうち、ほとんどはクマ猟未経験者です。


普段は散弾銃を手にシカやイノシシを相手にしています。大原分会の芳賀


会長は「クマ猟の経験はありません。遭遇した時の対策にと受けましたが、


やって見ようとは考えていません」と語ります。


二枝さんによると、クマ猟は安全確保のために60㍍以上離れて銃を構える


のが基本です。体重100㌔を超える大物になると、散弾銃では1発で致命


傷を負わせるのが難しく、ライフル銃の使用を勧めています。


県によると、2016年度の県内の狩猟登録者(散弾銃・ライフル銃)は1807


人です。その中でライフル銃の所有者はわずか176人と、全体の10分の1


にも満たないのです。県自然環境課は「自らの力量を見極めて安全な猟をし


て欲しい」と注意を喚起しています。





ツキノワグマはかって、毛皮や、漢方薬に成る胆嚢を目的に乱獲された時


代がありました。西日本の多くの個体群は絶滅の恐れがあるとして、環境


省は1991年にレッドデータブックに指定しました。各自治体は保護に力を


入れ、猟の禁止、シカやイノシシ用の檻に捕まった場合も放獣を原則としま


した。



その結果、20年ほどで個体数は急増しました。隣の兵庫県では、推定生息


数が96年の100頭以下から2015年で推定940頭になりました。近年は集


落内での出没情報が増えて、人的被害が懸念されたため、岡山に先駆けて


昨年、20年振りの猟解禁に踏み切りました。


兵庫県では捕獲の上限を140頭と定めましたが、結果は4頭でした。クマ猟


経験者の高齢化、長年の禁猟によりクマ撃ちの技術が継承されていなかった


ことを理由に挙げています。本年度も狩猟を継続しますが、捕獲数の見通し


は立っていません。



岡山県の猟期は今日15日から1ヶ月間です。兵庫県と同様の方法で上限を


定め推定生息数205頭の15%に当たる30頭(クマ専用のおりでの捕獲も含


む)としています。しかし、どれだけの人が狩猟に臨むかは分からず、捕獲数


も不透明です。昨年4頭が捕獲された岡山県西粟倉村で50年近く猟をしてい


る白畠正宏さんは「村の猟友会では経験者が1人もいません。危険を冒してま


で誰も狩りを市内でしょう」と話しています。クマ被害の状況調査などを行うN


PO法人日本ツキノワグマ研究所(廿日市市)の米田一彦理事長は「増えすぎ


た個体数の調整は必要ですが、狩猟を解禁したからと言って捕獲数は見込め


ません。先ずは若手の狩猟者育成のため、妓術の継承を目指すべきでしょう」


と指摘して居ます。


◆ここからが追記です。 


 昨日の解禁初日ですが、早速ツキノワグマ1頭がシカやイノシシ用のくくりわ

 なで捕獲されました。雌で体長1.3㍍、体重80㌔でした。県の職員らが麻酔

 銃で眠らせましたが、民家から遠い場所で見つかり、初めて捕獲された個体

 であることから、殺処分の対象外と判断し、個体を示すタグと行動範囲を把

 握する衛星利用測位システム(GPS)を取り付けた首輪をはめて山奥に放

 したと今朝の【山陽新聞】は報じています。

 





 


 

シバレン・眠狂四郎直筆原稿公開

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今年生誕100年を迎えた岡山県備前市出身の直木賞作家・柴田錬三郎


(1917~78)の大ヒット作「眠狂四郎」シリーズの直筆原稿が、今月7日


から「吉備路文学館」(岡山市北区南方)で初公開されています。


シリーズ第7作の全部と第8作の一部の計2142枚です。

    (このニュースは5日付の【山陽新聞】から画像もお借りしました)

 



黒い万年筆で流れるように文字をつづっており、多作、早書きで知られた


柴田の創作スタイルがうかがえる貴重な資料です。






柴田は旧制岡山二中(現岡山操山高校)を経て慶応大学を卒業して、52


年に「イエスの裔(すえ)」で直木賞を受賞しました。


江戸後期を舞台に孤独でニヒルな剣豪・眠狂四郎が活躍する「眠狂四郎」


シリーズは、56年から週刊誌に連載され大好評で、一躍人気作家となりま


した。狂四朗の妖艶な立ち居振る舞いと、弱きを助ける痛快な展開がファン


を夢中にさせ、映画やテレビドラマにもなりました。


初公開される直筆原稿は、第7作「眠狂四郎虚無日記」の全2100枚と第


8作「眠狂四郎無情控」の一部42枚で、4年前に吉備路文学館が古書店


から入手していました。



原稿用紙には言葉を書き加えたり、二重線や波線を引いて手直ししたり、


推敲の跡もうかがわれます。


一時は週5本の連載を抱えたという柴田ですが、「多作のわりには原稿が


あまり残っておらず、”シバレン”の息遣いや人間的魅力に思いを馳せて


頂きたい」と熊代正英副館長は話しています。


直筆原稿は、自筆の書画や映画のポスターなど約80点で回顧する「生誕


100年 柴田錬三郎展」(来年2月4日まで)で披露されています。


問い合わせは同文学館(☎086-223-7411)までとなっています。


 ここでチョット映画「眠狂四郎」を回顧して見ましょう。


 先ず狂志郎役を演じたのは56年の第1作から3作目までは鶴田浩二さ


 ん、4作目から15作目までは市川雷蔵さんでしたが、イメージ的には眠


 狂四郎=市川雷蔵というのが定着した感じがします。


 全17作あったのですが最後の2作で狂四郎を演じたのが松方弘樹さん


 だったのですネ。年次別にその題名だけご紹介しておきますネ。


 ※56年  「眠狂四郎無頼控」

 ※57年  「眠狂四郎無頼控 第二話 円月殺法」

 ※58年  「眠狂四郎 魔剣地獄」

 ※59年  「眠狂四郎 殺法帖」

 ※64年  「眠狂四郎 勝負」 「眠狂四郎 女妖剣」 「眠狂四郎 円月

        斬り」 

 ※65年  「眠狂志郎 炎情剣」 「眠狂四郎 魔性剣」 

 ※66年  「眠狂四郎 無頼剣」 「眠狂四郎 多情剣」 

 ※67年  「眠狂四郎無頼控 魔性の肌」 

 ※68年  「眠狂四郎 人肌蜘蛛」 「眠狂四郎 女地獄」 

 ※69年  「眠狂四郎 悪女狩り」 この後松方弘樹⇒「眠狂四郎 円月

        殺法」 「眠狂四郎 卍斬り」  

                      以上17作品が映画化されています。