はじめまして。 | 親の認知症、介護、終活、がん闘病、看護、余命宣告、看取り、死別の苦しみ、グリーフを抱える方へ/心理カウンセラー しんじゅ【福岡・ZOOM】

親の認知症、介護、終活、がん闘病、看護、余命宣告、看取り、死別の苦しみ、グリーフを抱える方へ/心理カウンセラー しんじゅ【福岡・ZOOM】

両親の元、悠々自適に暮らすが 2021.8.20 父急逝と同時に母が認知症に。介護が始まる。同時に兄が自己破産し担保の実家を失う。遺産を持ち逃げされ、暴言、脅迫の精神的DVを受け避難。母と二人暮し、ワンオペ介護で生活再建中ステージ4の肺がんが見つかり12日後に他界。

はじめまして(^^)

心屋認定リセットカウンセラー
しんじゅ です。





「なんだか、生きづらい。苦しい!」
を、根っこから解消して
瞳の奥の 笑顔を取り戻す
お手伝いをしています。


これまで、ブログを
書いてきましたけれど
自己紹介をしていませんでしたので


今日、改めて
自己紹介をしたいと思います。


*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


1972年 9月。
九州は 福岡の
ごく普通の家庭に
私は 生まれました。


過保護で過干渉な両親。


ヒステリックで心配症で
世間体を気にする母。

生真面目で 何でも母に従う父。

私に 礼儀など厳しい 二つ上の兄。

そんな家族のもとに
私は育ちました。


私は、幼少の頃から
常に生きづらさを

抱えてきました。


兄が小1の時、病気で入院し
年少さんの私は
ご近所や おばあちゃん家に
ひとり、預けられていて

 


ひとりぼっちで過ごすことが
ほとんどでした。


兄は 退院しても、
食事や運動の制限があったため
母の意識は 兄に集中していました。


わがままを言えずに
いい子だった私は


この頃から
母に甘えたかった気持ちを抑えて
我慢してきてしまったのかもしれません。


兄の病気があって
心配性な母は
過保護で過干渉になりました。


私が お友だちからもらったお手紙や
日記や手帳は
全て、母に見られました。


机の引き出しに
カギをかけて隠しても

 


「カギを出せーーーっ!!」 と
すごい剣幕で怒られて
全てチェックされたのでした。


常に見張られて
プライベートも何も
ありませんでした。


まるで 母の所有物のように
扱われてきたように思います。


気が休まる場所が
ありませんでした。


居場所が ありませんでした。


どこにいても
何か 苦しくて たまりませんでした。


誰といても
ずっと、孤独感を 感じていました。


また、母のクチグセ。


「お兄ちゃんは男やけんいいけど
あんたは女やけん、ダメ!」 と


兄ばかり、許されて
兄ばかり、優遇してもらえて


「お兄ちゃんばっかり!ズルい!!」と
兄に嫉妬していました。


女に生まれた私は
女であることを恨みました。


母の名前をノートに書き
「○○ 死 ね… ○○ 死 ね…」と
書き連ねたことも ありました。


私の自由は
母が死んでからじゃないと
手に入らない…。


いっそのこと
早く死んでくれないかな…
とさえ 思っていました。


恋人関係も、母に常に監視され
そのせいで
恋人と別れたこともありました。


私は 母を恨みました。


本当にいろんなことを
経験しました。


繰り返す うつ病。
抜毛症、対人恐怖症。
過呼吸、パニック障害。
薬物依存、オーバードーズ。
自殺未遂。

進行性の難病による死の恐怖。
不倫、風俗店 勤務、売 春。
痴漢、セクハラ、レイプ未遂。


自殺をほのめかして
SOSサインを出してきた友人の
話を聞いてあげなかったのちの
友人の自殺。


数えきれないほど

職場を変えたり。

 


引きこもり(ニート)。


など…。


2008年に起きた
某無差別殺人事件。


報道で
親の育て方に関する
犯人の供述。


私は 犯人の

親に対する憎悪の気持ちに
激しく共感したのでした。


あんなに残虐な事件の犯人、
許されるわけがない。


でも、親に対する犯人の気持ちに
共感してしまった私は
おかしいんだろうか?


犯人だけが悪いというような
風潮に違和感を覚えました。

 


それから、私の中に
抑え込んできた
母に対する憎しみが
噴き出したのです。


私は 未婚で
一度も 実家を出たことがなく
現在も ずっと 実家暮らし。


何度か 実家を出ようとした
こともあったけど
母が許してくれませんでした。


抑え込んできた
母に対する憎悪の感情が
噴き出した時。


離れて暮らせてれば
よかったのですけど。
実家で 一緒に暮らしていたのでね。


自分が母を殺すのではないか。


もしくは
私は母から

殺られるのではないか。


殺るか、殺られるか。
どちらか二択。


…という、恐ろしい観念に支配され


自分の中で
悪魔と天使が
闘っていて。。。


「殺らないと、殺られるぞ!」と
声が聞こえてきて(幻聴)


母を殺してしまいそうな
自分が恐ろしくて
精神科に行きました。

 


精神分析 と お薬の処方。

 


ところが、その精神科の先生が

 


たまたま、以前
私の出身校(短大)の助教授?
だったことがあるらしく


当時、ホステスをしていた私は
仕事のことをたずねられ
ありのまま答えると
先生にお説教されたのです。


「短大まで出してもらったのに
そんな仕事をしていて
親は 何も言わないのか?
早く辞めて
まともな 昼間の仕事をしなさい。」と。


は?(-""-;)

 


精神科の先生が
患者を説教??


怒られる意味がわからない。


私は それまでにも

散々 うつ病を繰り返し

 


何度も 何度も
心療内科に通ったことも
ありました。


心療内科や精神科に通って
お薬を飲んで
治まったように見えても


症状を抑えるだけで
根本的な解決には
結びつかないんだ!


と 気づきました。


説教した精神科の先生に
私は ムカつきました(-_-#)


なんで、私は怒られなきゃ
いけないんだろう?


苦しいから、助けを求めてきたのに。


なんで、患者を
追い込むようなことをするんだろう。


「もう、病院に
根本解決を求めるのはやめよう」

と思いました。


ちょうど その頃
友人も うつ状態で心療内科に
行ったと聞きました。


そこでは、薬での治療でなく
保険適応外で
根本からの治療という
心理療法をすすめられたそうです。

 


あーー。

私も心理療法を
試してみたいなーー。
と思いました。


その後、ネットで
あるカウンセリング会社の
ホームページを見つけて

コラムやブログなどを
読みあさりました。


某カウンセラーさんが綴る記事に
引き込まれました。


その方の文字を読んでいると
まるで、自分に向けての
言葉のように思えて
癒されていました。


某カウンセラーさんの
カウンセリングを
受けようとしましたが


数ヶ月先まで
予約が埋まっていて
泣く泣くあきらめました。


私は、そこから、心の世界に
興味を持つようになったのです。


↓下記へ続く…。
 


コチラも合わせて
読んでいただけると嬉しいです(^^)

●はじめまして②
●はじめまして③
 

 

 


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