グローバル人材になるのはとても面倒だ、という話。 | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

グローバル人材になるのはとても面倒だ、という話。

とある大学の先生から、「グローバル人材とは?」の取材を受けた。
そのときの僕の答えを、メモしておく。

グローバル人材とは
訪日した外国人をきちんとおもてなしできる人材か、
海外に出ていって成果を出せる人材か
の両方に分かれる。

世の中一般的には、後者のことを中心に「グローバル人材」と言われている。
今日ここでも後者について、僕の考えを書く。

グローバル人材になるには、英語力は当然必要。
例えば、TOEIC730点がないと何が話し合われているかわからないし、
お互いの強みを生かしあうような高度な議論をするには
TOEIC860点のリーディング・リスニング力のほか、
それを活かしうるスピーキング・ライティング能力が必要だ。

しかし、英語力だけではグローバル人材になれない。
発信能力とダイバーシティ・マネジメント能力、
その両方が必要。

発信能力というのは、自分の考えを相手に響くよう組み立てられるかどうか。
日本人は察する能力が強い分だけ、発信する能力の育成を怠っている。
論理立てて文章を書くにはどうしたらいいか。
相手の思考体系にあわせるとどの順番で情報を出すべきか。
ここは大学のゼミなど、マンツーマンで添削してもらうのが、身につけるうえでは効果的。

その次に必要になるのがダイバーシティ・マネジメント能力。
一般的には同じ文化を持つもの同士を組み合わせた方が効率がよい。
しかし、あたらしいもの・すごいものは、
違うもの同士を適切に組み合わせないとうまれてきにくい。

しかし、ただ単に組み合わせればいいというわけではない。
強み同士をかけあわせる組み合わせにならないとダメだ。
放っておくと違うもの同士では弱みを見つめ合っちゃうから、
高みを目指して、意識的に自分の言動をコントロールしなくてはいけない。

それにくわえ、違うもの同士の議論でも共通言語が必要だ。
企業理念、価値観、宗教、「7つの習慣」のような本など、
「ここに立ち返れば同じ出発点から議論ができる」というベースが必要だ。

このように、
グローバル人材になるのはたいへん面倒だ。
自分は、ドメドメ人材の方がいい。
そのように思う人もいるかもしれない。

確かに面倒だと思う。

でもいいことはある。
それは、自由度が増すということだ。
グローバル人材になるということは、他の国でも生きていけるということ。
それは、自分の競争力が増え年収が上がり生活レベルが上がるというだけじゃない。
自分らしく生きられるということだ。
たとえば夕食は自宅で家族ととりたければ、
典型的な日本の会社でひとりで無理して帰宅するよりも、
それが当たり前のカルチャーの国で働いたり、
それが当たり前のカルチャーの国とよくやりとりする日本の会社で働いたりするほうが、
はるかにストレスなく自分らしくいられる。

面倒くさいかもしれないが、自由度が増える。
グローバル人材になるとは、そういうことだと思う。