一人前なら自分の要求を明確に言語化し主張できると思っている
僕は、日本生まれ、日本育ち。
まだ海外にでる前は、
自分の要求について、空気を読んで読み取ってくれない周囲にいらだったり、
逆に、
言われない要求がなんなのか、読み取らなきゃとあせっていた。
でも海外じゃ、
してほしいことを明確に(しかも相手が受け入れられうる形で)言えないと、
相手にされなかった。
だから、自分の要求はなんなのか、言語化するように心がけるようになった。
日本の教育では訓練されない分野なので、最初は苦労した。
でも今では慣れ、自然と、
一人前なら自分の要求を明確に言語化し主張できる、
(=言われてもらっていないことをしていないからって、怒られる筋合いはない)
僕はそう思うようになった。
それが日本人スタッフたちとの間で軋轢をうんでしまっていることもあった。
だから先日、「僕は空気を読みません」と宣言した。
(その話を友人にしたところ、
「今更それですかってと言われなかった?」なんてからかわれたけど)
というわけで、空気をあえて読まないのか、読めないのか、
自分でもよくわかっていないけれど、
僕は空気を読まないよう、自分を訓練してきました。
だから、僕に接する人は、僕をそういうやつだという期待値を持ってもらったほうが、
お互いにハッピーだと思います。
まだ海外にでる前は、
自分の要求について、空気を読んで読み取ってくれない周囲にいらだったり、
逆に、
言われない要求がなんなのか、読み取らなきゃとあせっていた。
でも海外じゃ、
してほしいことを明確に(しかも相手が受け入れられうる形で)言えないと、
相手にされなかった。
だから、自分の要求はなんなのか、言語化するように心がけるようになった。
日本の教育では訓練されない分野なので、最初は苦労した。
でも今では慣れ、自然と、
一人前なら自分の要求を明確に言語化し主張できる、
(=言われてもらっていないことをしていないからって、怒られる筋合いはない)
僕はそう思うようになった。
それが日本人スタッフたちとの間で軋轢をうんでしまっていることもあった。
だから先日、「僕は空気を読みません」と宣言した。
(その話を友人にしたところ、
「今更それですかってと言われなかった?」なんてからかわれたけど)
というわけで、空気をあえて読まないのか、読めないのか、
自分でもよくわかっていないけれど、
僕は空気を読まないよう、自分を訓練してきました。
だから、僕に接する人は、僕をそういうやつだという期待値を持ってもらったほうが、
お互いにハッピーだと思います。