被災地タクロバン訪問報告 / 産業復興のNPOが必要とされるワケ | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

被災地タクロバン訪問報告 / 産業復興のNPOが必要とされるワケ

少し前になってしまうのですが、昨年末にタクロバンを訪問したときの様子を報告します。

着いてまずざっと市内をみました。
市内の9割が冠水したというのもうなずける状況ではありましたが、
冠水場所により被害に大差がありました。

海岸沿いだと、3階建てのコンクリのビルもめちゃめちゃになりもう使えなくなところもあれば、
1階の途中までで冠水がとまった程度なんだろうな、というところもありました。
(そういうところは、すでにレストランが営業しているなど、復興は早かったです)

また、UnescoやWFPなど、世界中から国際機関やNGOが集まっており、
そのロゴをつけたクルマをたくさん街中では見かけ、
レストランにはいわゆる欧米人も多くみました。

また、気になったのは、街で暇そうにしているフィリピン人が多かったことです。
もとからフィリピンの田舎は、暇そうにしている人は日本に比べて多いのですが、
それを考慮してもあきらかに多い状況でした。

そこで、タクロバン市役所を訪問して、労働局長の方とお話させていただきました。

労働局長も、タクロバン市の雇用情勢に危機感を頂いていました。
復興関連以外はあまり仕事がない状況で、
目立つのははタクロバン以外での雇用のようでした。

これは、セブやイロイロなど、他の都市からBPO産業(コールセンター産業)の人たちがやってきて、
「うちの都市に移住して、うちで働かないか?」 といって、
人を(ある意味)タクロバンから引き抜いていく、というものです。

タクロバンの失業率は下がるという意味ではプラスなのですが、
街を空洞化させることにもなります。
とはいえ他に良いアイデアもなく、労働局長も複雑そうな表情でした。

そこで、レアジョブのようなインターネットをベースにした働き方ができるのではないか、
レアジョブ以外にもoDeskのようなクラウドソーシング産業は伸びているところだと説明したところ、
興味を持ってくれました。

ただ、そこに関して市からできることが限られていることも、念押しされました。
権限も予算も十分ではないようでした。

そこで、次にフィリピン大学タクロバン・キャンパスに向かい、
そこの学部長とお話する機会を頂きました。

学部長に、インターネットをベースとした働き方があることを説明すると、
キャンパスをわずかな金額で貸し出すことも可能かもしれないと教えてくれました。
ただ、現在は電力が安定的に来ていないため、発電機を回すとなると非常に高くつくとも、
付け加えられました。

なので、その次に電力会社を訪問しました。
現場のエンジニアに話を聞いたところ、
現在は手当たり次第復旧に務めている段階で、
とくに優先順位が定められているわけではなく、
Public interestのためであれば、例えばフィリピン大学を優先するなど、
言ってもらった方が助かる、とのことでした。

そのような話を聞いているうちに、
産業復興のリーダーがなぜ民間で必要とされているか、
災害復興の素人の僕にもよくわかりました。

生まれ育った町タクロバンを離れずにすむしかけについて、
ビジョンをもったリーダーが民間にいて、
公的な権限はまったくなくとも、
市や大学や電力会社など様々なセクターの人たちと関係を築き、産業復興のビジョンを共有し、
そのビジョンのもと、各セクターが連携をとって動けば、
例えば5年かかる復興を1年や2年で成し遂げることも夢ではありません。

だから、東北復興では産業復興にNPOや社団法人のような民間の力が必要だと思いますし、
そしてそれはタクロバンでも同じなのだと思います。

今回のNPOをしっかり成功させようという思いを新たにしました。

それと同時に、株式会社レアジョブとしてできることも見えてきました。
現地は、復旧したところ・していないところ、まだら状に復旧していきます。
まずは、その地図を描き講師たちに共有すること、
講師たちの復職を支援すること、
これらの行動は、株式会社としての範疇を逸脱せずにできるはずです。
タクロバンで講師たちと会い、その多くがNPOに何らかの形で関わりたいと言ってくれたことも付け加えておきます。
株式会社、NPO、それぞれできる範囲での支援をきっちりやっていこうと思いました。