英語力が日本企業の戦略を束縛している | フィリピンで働くシリアル・アントレプレナーの日記

英語力が日本企業の戦略を束縛している

この間ある企業の人事の方とお話していて、
日本企業ってのは、全社員に英語教育を提供するインセンティブがあまりないのだなぁ、
ということに気づいた。

なんでかというと、海外関連部署は全社の中の一部なので、
例えば従業員の2-3割だけが英語をマスターしていればいいからだ。

だから、従業員の人全員に英語教育を、と言っても、人事の人には響かないことが多い。

一方、従業員の人ひとりひとりを見ると、英語を勉強するインセンティブは明らかにある。
自分の将来の可能性が、ビジネス面・プライベート面の両方で広がる。
海外プロジェクトに関われたりとか、外人の友達ができたりとか、人生をもっと楽しめる。

つまり、英語教育においては、マクロとミクロでニーズが一致していないってことで、
この現象は非常に興味深かった。
(つまり、少なくとも英語については、会社に頼りっきりだと、自分にとってよくないということが言える)

ただ、マクロでみたとしても、企業は従業員全員の英語力を伸ばさなくて果たしてよいのか?
従業員全体の英語レベルが、みえにくい形で日本企業の戦略を束縛しているってことはないのか?
ということはずっと疑問で、考え続けていた。

で、今日面白い文章を見つけた。

日本企業がグローバル化で悩むのが本社機能です。せっかく現地の人を育ててマネージャーにしても、日本の本社に来ると周りはすべて日本語の環境の中で、 キャリアパスがどうしても狭まってしまう。そのため日本企業は海外における採用のブランド力が低いのが実態です。これは、ただキャリアパスを開けばいいと いう問題ではなく、本社の日本的な仕事のやり方やものの考え方は大きく変えられないことを前提に、グローバル化することを考えなければならないため、とて も難しい課題です。
http://www.nikkei.co.jp/ps/ibm/leadersinsight/

なるほどー、ここに問題が来るのか、と思った。

簡単にいえば、たとえばITにおいてはインド人の力を使うのが最適で、
中国人向け製品の開発・マーケティングには中国人が最適だとする (というか最適だと思うし)

だから日本企業や欧米企業が、中国やインドでいい人材をめぐって争っているんだけれど、
どうしても日本企業は分が悪い。
なぜなら、日本の本社では日本語が使われているので、
中国やインドのいい人材は日本企業の本社で出世できると思えないからだ。

そうなると当然、いい人材は集まりにくくなり、定着しにくくなる。
いい人材がいないと、当然、いい製品・サービスを提供できず、競争力が落ちてしまう。

つまり、何が起こっているかというと、「社内の公用語は英語です」と日本企業が言い切れないがために、
海外での人材獲得がすすまず、競争力が落ちてしまう、という現状である。

ひとことでいうと、英語力が日本企業の戦略を束縛している。

「世界中から最強の人材をそろえて、世界での競争を勝ち抜きたい」
「だから、○年以内に社内の公用語を英語にする」
「だから、従業員全員に英語を学ばせようと思う」

これはある意味ガチンコ戦略。

おそらく、
・大企業よりも中小企業の方がこの戦略はとりやすく、したがって、中小企業が大企業を逆転する際のキーポイントのひとつになる
・英語の社内公用語化は、数年という期間では無理ですが、20-30年という期間で考えると、今後避けて通れない潮流になる

僕は、英会話を安くすることには、日本社会への社会的意義があると信じています。