下関市長府・忌宮神社の境内に「鬼石」と呼ばれる石があります。
以前からお話ししておりますとおり、忌宮神社は、
仲哀天皇が豊浦宮を設けた場所だと伝えられています。
西暦198年、新羅の塵輪(塵倫)という将軍が、
九州の熊襲を煽動して、豊浦宮に攻め込んできました。
宮中を守る阿部高麿・助麿兄弟も討ち死にしたため、
仲哀天皇は怒り、黒雲に乗る塵輪を自らの弓で射落としました。
皇軍は勝利を祝い、矛や旗を振りかざして、
塵輪の屍の周囲で踊りました。
そして、塵輪の首を埋め、大きな石で覆いました。
塵輪の顔が鬼のようであったことから、
その石を「鬼石」と呼ぶようになったそうです。
これが、忌宮神社に伝わる奇祭・数方庭の由来です。
ちなみに、この故事は、石見神楽の演目「塵輪」としても
受け継がれており、その中で塵輪は、
翼を持つ鬼として描かれています。
石の場所はこちらです。