奈良・平安時代の年中行事の1つに
「曲水の宴」というものがあったそうです。
水の流れの縁に出席者が座り、
上流から流される酒盃が自身の前を通り過ぎるまでに
詩歌を作り、盃の酒を飲むというもので、
3月3日の桃の節句に行われていたそうです。
現在でも、赤間神宮で3月上旬に行われる
「平家雛流し神事」の中などで、曲水の宴が催されています。
さて、1824年3月3日、
「文人殿様」と言われた時の長府藩主・毛利元義は、
萩本藩主・毛利斉元を招き、
砂子多川のほとりで曲水の宴を催しました。
その様子が、石碑として残されています。
碑文は元義の侍講・小田圭(南陔)が記したものです。
読みづらいのですが、
「陪沙川 曲水宴記」と題されています。
場所はこちらです。