陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう
日光が電磁波として検出されるということはどういうことなのか。端的に、日光が物質体ももつということだろう。つまり、陽=日光=生命=気であるが、それが、物質体をもつということになる。
これは陰陽球で考えるとどういうことだろうか。結局、球面をどう捉えるかということになろう。
これまでの考え方からは、球面は陽である。そして、陽=日光=生命(=1)としたのである。
問題は、陽=日光である。どうも、陽・即非・日光としたい気がある。
つまり、陽はやはり、形而上原理、イデア原理であり、直接現象ではないのではないのかという思いがあるのである。
でも、そうすると、陽≠日光である。あるいは、陽⇒日光である。
しかし、これではそれまでの考えと同じである。
結局、陽・即非・日光がいいようである。しかし、である。
やはり、陽=日光ではないか。問題は観測である。
いったい現象界、物質界はどこに存するのか。おそらく、陰 陽球の外部である。
この外部を日光が伝わるときに、電磁波として観測されるということではないだろうか。つまり、陰陽球の外部である物質現象界を日光が伝搬するときに、電磁波として、観測されるということではないのか。日光は日光であり、陽であり、電磁波そのものではないと考えらえる。思うに、言わば、日光の物質界への刻印が電磁波ということではないのか。
とまれ、そうならば、陽=日光=生命=1は物質現象三次元空間を貫く形而上原理ということになる。D. H. ロレンスがいうdark sunとは、陰陽球における太陰のことではないだろうか。一般に、人間は日光=陽を見るが、陰陽球の外面だけを見ているのであり、内部・内面を見ていないのである。そして、自然科学、物理学は日光の物質現象界の刻印としての電磁波しか捉えていないと考えられるのである。
以上で、陽 =日光=生命の等式が確認された。