【自分に目覚めるということ②】

”人生を決めたことでの変容”


生きることを決めたと言っても
毎日は急に変わりません。

いつもどおり、朝になると学校へ行きました。
本当は、行きたくありませんでしたが
食にありつけるのは学校だけです。

行けば、給食費について呼び出され
帰れば夜な夜な借金取りはやってくるので
夜は明かりはつけません。
そしてやはり、食べ物はないのですが
食べ方が変わりました。

遊びながら楽しく食べるようになったのです。

最初は、たわいもないこどもの遊びです。


ところが、それがどんどん創造的になります。
ここからさきは、信じられない人には
信じられない話かもしれませんし
その現象だけにとらわれると
大切なことが見えなくなります。



イメージングは、危険もともないます。
真似しないでくださいね。
イメージングは、運命の上に乗った上で
花開きます。

これからお伝えする内容は
人間の持つ可能性のひとつとして
知っていただければと思います。

そういうこともあるんだな~ぐらいに
読んでください。




わたしは、お料理の本を見ながら
食べたいものを作るところから克明にイメージし
そのできあがった具体的なイメージを
手に入れた少ない食材とともに食べるようになりました。

たとえて言うと
キャベツをハンバーグだと思って食べる感じです。

これは、わたしにとって
かなり楽しい遊びでした。

本当にハンバーグを食べているような
気になってくるのです。


状況的には、マッチ売りの少女ですが。笑。


それから間もなく
そのことが驚く”効果”となって現れ始めました。


体重が元に戻り、
肌がイキイキとし
すっかり健康体になったのです。



わたしは、このとき
食べ物というものの栄養が
見える栄養と見えない栄養が
あるんじゃないかということと
人間が持っている可能性について思いました。


そして、健康体になったわたしに
もうひとつ楽しい遊びが用意されました。


学校で地元の地図をもらいました。
地図を見るのがなんだか楽しくて
毎日眺めて、歩いた場所
遊んだ場所を確認するようになりました。


毎日そんなイメトレ食?を作っているうちに
ものすごく集中力があがったのだと思うのですが
そのうち等高線まで克明に覚えてしまい
地図なしで山をルートファインディングしながら
ひとりで歩くようになりました。


山を歩いていると
自分が地図のどこを歩いているのか
リアルに感じることができるぐらい
わたしの意識は地図を取り込んでいました。


わたしの視点は俯瞰的だとよく言われますが
おそらくこのとき磨いたのでしょう。
このときのイメージは鳥瞰図とよく似ています。




そして、その集中力は
テストの点数にも表れ
(それまでは、かなり悪い感じでした)

それから、レコーディング機能という
聞きながら書き出していくようにもなります。
聞いている脳と書き出す脳のふたつを
感じていました。

そのうち、電話がなれば
誰からの電話なのかわかるようになり
授業中も誰がどんな内容で発言するのか
わかるようになりました。


性格も積極的になっていきます。


授業も手に取るようにわかり、
自由に野山を駆け回って遊び、
どろんこで家に帰っても
口うるさくいう人はいません。


誰もいないことは、わたしに寂しさももたらしましたが
わたしは、山や川に愛され、育まれ
「自由」を味わい、「創造」を育てました。



モンゴルにいったとき
マンホールチルドレンが保護しても
マンホールでの暮らしに戻ってしまうという話を聞きましたが
その気持ちがわかります。


大人の管理、支配を受けずに
自由に生きることを知ってしまうと
たとえ、生活が不衛生で不便でも
支配の中にもどることは難しいです。



「しあわせ」とはなんでしょうか?


それは、人が決めることのできるものではありませんよね。




その後、両親が戻ってきて
わたしの楽しい日々は終了。


次の修羅の道を歩み始めますが
このときの体験は
「希望」をもたらすものでした。





今、社会は多様化していろいろな環境にある
こどもさんがいると思います。

そうしたこどもさんだけではなく
自分のおかれた環境に
自分の可能性をあきらめるか
自分には価値がない、
できないという想いから抜けられない人は
多くいると思います。



私自身、自分を明らかにする(あきらめ)は
ここまでに何度もありました。




人生には、思い通りにならないことが
あることを知ることもあります。



だけど、あなたがあなたであること。
あなたとして可能性の花を咲かせること。
あなたがしあわせであること。


それは、ほかのものに左右されません。




そして、この話のもうひとつのポイントは
「状況をなんとかしよう」とは思うことがなかったことです。



どんな状況も自分の人生として受けいれて
自分の人生を生きようと思ったことが
原始感覚・・いのちの力を目覚めさせたこと
それは、誰にでもあるんだということを
知ってもらえたら・・・




わたしは、あなたの可能性を知っています。
なぜなら、わたしたちはひとつのいのちだからです。





だから、何度でも確信を持って言います。



あなたのいのちには希望(可能性)があります。



そのことを知ってほしいのです。