「3つの苦しみ」と「苦しみ」の方程式。 | ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

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だいじょうぶ。どんな時も守られているからね。

 わたしたちはみんな、神に愛されているのだから。

こんにちは。まどかです。




今日もここにきてくれて、ありがとう。




開けた窓から、いま
キンモクセイの甘い香りが流れてきています。


さっき、キンモクセイの木についていた
蝉の抜け殻をふたつ見つけたの。
黄金色で、触角までちゃんとあって、
すごく美しくて、宝物になっちゃった。



ゆったりと時の流れる「神無月」は
今年のいままでを振り返ったり、
残りの時間の過ごし方を考えたりするのに、
とてもふさわしい季節。
まだはじめていなかったことも、
いまだったらまだはじめられるし、ね。
心の内側に向かうのにもちょうどよい時よね。




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それでは、「苦しみ」シリーズ、第2弾を
はじめま~す。


もしもはじめての方がいたら、
こちらを読んでみていただけたら、わかりやすいかも
しれません。


「苦しみ」は神さまからの大いなる祝福。



それから、コメントの中に同じ疑問などがあるかもしれないから、
時間があったら、こちらも見てね。

コメント集:「苦しみ」は神さまからの大いなる祝福。





昨日の夜中にメールが来てね、

「そんなに幸せなんですか??」って書いてあったのね。

高校生の男の子から。
すごくステキな質問でしょ♪



まどかはこうお返事したのね。

「うん。幸せ。
 ただ、ふつうの社会でいう
 「幸せ」っていうのとはちょっと違うかも。
 いろんなもの持ってたり、お金持ってたり、
 っていうわけじゃないの。
 まどかが言ってる幸せは「ハートの中の幸せ」
 のことね」って。



それで、気づかせもらったのね。
まどかが言っている「幸せ」を
もう一度ちゃんとお話しなくちゃって。




一般的には、外側に幸せな状況があれば、
必要なものやことが揃っていて、整っていて、
望むものがそこにあれば、「苦しみ」はなくて、
「幸せ」があると思われているよね。




でもね、実は、この外側の世界に「苦しみ」のある状態、
あるいは「幸せ」のある状態は、
内側の状態が創り出すものなのね。




まどかは前にこういうヴィジョンをもらったことがあるんだけど、


心の中に「映写機」があって、
そこにいろんな「フィルム」があるのね、
それを、映し出しているのが、外側の世界で、
つまり、外側の世界って「スクリーン」になっているの。


なんとなくイメージできるかな?




そしてね、まどかの言っている
「ほんとうの幸せ」っていうのは、
外側にどんな状況があっても、
たとえば、お金がなくっても、誰かにふられちゃっても、
すご~くひどい事を人にされたとしても、
内側、心の中が、どんな時にでも
「ほんとうに幸せ」な状態のことなの。



「ほんとうに幸せ」っていうのはどういう状態かっていうと、
静かな感じ、平和な感じ、よろこびにあふれている感じ、
あたたかい感じ、愛にあふれている感じ・・・
こんな感じかな?
言葉で言うと、「至福」「愛」という状態。



特にね、「静かな感じ」っていうのが、
日常的な感じだと思う。



これが、まどかの言う「ほんとうの幸せ」なの。



いまお話している「苦しみ」シリーズは、
こういう「ほんとうの幸せ」に向かうための
ひとつの道、ひとつの方法なのね。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


今日は「苦しみ」の種類をお話します。



「苦しみ」は3つの種類に分けることができるのね。



ひとつは、「肉体的苦しみ」


これは、「肉体的に必要だって思っているものが
欠けた時にくる苦しみ」。
 

健康とか、衣食住に関係することとか。
病気になったり、からだの具合が悪かったり、
ケガをしたりした時にやってくる「苦しみ」
それから、経済の問題とか、
食べるものや着るものが足りないなど、
「もの」が揃っていないことからくる「苦しみ」ね。




ふたつめは、「心理的苦しみ」
 
これは、「心理的に必要だと思っているものが
欠けた時にくる苦しみ」
おもに人間関係や出来事によっておこる苦しみなの。



これはね、「愛されたい」「愛したい」っていう思いが
かなわない時におこる苦しみなの。



心が必要だって感じているものはね、
「愛されたい」っていう思いと、
「愛したい」っていう思いなのね。


「愛されたい」っていうのは、
「わかってもらいたい」「受け入れられたい」
「認められたい」「尊敬されたい」
「感謝されたい」「大切にされたい」などという思い。


「愛したい」っていうのは、
「理解したい」「受け入れたい」
「認めたい」「大切にしたい」
「感謝したい」などという思い。



だけどね、心の中をちゃんと見ていくと、
素直に正直に見ていくとね、

「愛したい」という思いの裏側に、
「愛されたいから愛している」
「認められたいから、大切にする」
という思いがあるはずなの。


「認められたいからやさしくする」
「大切にされたいから親切にする」
とかね。


どこかに、「作戦」があるのね。
そして、これが、心=マインドなの。
これが、人間の心なの。



だから突き詰めると、
「愛されたい」「認められたい」
「大切にされたい」「尊敬されたい」
などという思いが、根っこ、裏側にあるのね。


ちゃーんと、しっかりと、
素直に正直に自分の思いを見ていくとね、
どんなにささいなことでも、
必ず、この思いがひそんでいるの。
ひそかな「作戦」があるの。
それが、マインドなの。
そして、それは仕方のないことなの。
そういう仕組みになっているのね。



だからね、大切なのは、「作戦」に気づいていること。
「愛されたい」からやっているんだ、
「認められたい」からやっているんだ、
ってことに気づいていることなの。



ほとんどの場合はね、自分で自分にウソをついちゃうのね。
「作戦」を自分で見破れなくて、
相手に対する「作戦」に、自分自身がひっかかちゃうの。
「作戦」に気づきたくないの。



なぜひっかかちゃうかっていうと、
それは「作戦」を悪いものだと思っているから。
「作戦」があることは汚いことだと思っているから。



でもこれは仕方のないことなの。
すべての人間に共通している「仕組み」なのね。
それを「悪い」「汚い」って思うと、
自分の「作戦」に気づかないようにしてしまうの。
でも、この「作戦」に気づいていないと、
ずーっと、自分で仕掛けた「作戦」に、
自分でひっかかっちゃって、だまされちゃうのね。



だから、ひそかな「作戦」をもっていること、
そのことに「ただ、気づいていること」が大切なの。
そして、「ただ、気づき続けている」と、
「作戦」に引っかからなくなって、
やがて「作戦」をたてることもなくなるの。
まず大切なことは、
自分の「作戦」に、ただ気づき続けることなのね。



この「心理的苦しみ」っていうもの正体はなにかというと、
それは「葛藤」なのね。



わたしたちは、つねに、「変わろう」としているの。
なにか自分ではない「別のものになろう」としているの。



「現実の自分」と「理想の自分」があるのね。
そのふたつの間で、ゆれ動く気持ち、
これが「葛藤」なのね。
これが「心理的苦しみ」なの。



「理想像」「パーフェクト像」が、現実と戦っている時、
「苦しみ」が生まれるの。



「怒り」がくる。「怒ってはいけない」って思う。
「嫉妬」がくる。「嫉妬しちゃいけない」って思う。

そして、「嫉妬なんかしない自分になろう」って思う。
あるいは「嫉妬なんかしていないよ」っていうふりをする。

相手に対してだけじゃなく、自分自身の内側でもウソをつくの。
「嫉妬なんてするわけないじゃない」って。



「現実の自分」つまり「なりたくない自分」が
出てくるとね、すかさず「理想」が出てくるの。
そして、実際には、どちらにも行けずに、
その間を、右往左往しているのね。



「苦しみ」は、「現実の自分」に対してではなく、
そこにある感情に対して生まれるの。



愛されないことそのものよりも、
「なぜ、愛されないの!」という思いに苦しむのね。



こんなふうに「心理的苦しみ」っていうのは、
自分を変えようとする「葛藤」のことなの。
あるいは相手や状況を変えようとする「葛藤」のこと。
いま目の前にあることへの、「抵抗する気持ち」が
生み出すものなの。



「自分が変わりたいのに変われない」
「状況を変えたいのに、変えられない」という
「心の努力」「葛藤」に、
わたしたちは疲れてしまっているのね。
そして、多大なるエネルギーロスをしているの。
「生きるためのエネルギー」を、
そこで、大量消費してしまっているのね。



「生きるためのエネルギー」を
自分にとりもどすためには、
まずは「気づいていること」。
それが大切なことなのね。




みっつめは、「精神的(スピリチュアル)な苦しみ」
「存在の悲しみ」


「肉体的苦しみ」と「心理的苦しみ」は、
なにかが欠けた苦しみなんだけど、
これは、欠けてないのに苦しい、
「得たのに苦しい」という「苦しみ」なの。


最初のふたつは「マイナスの苦しみ」なんだけど、
これは、「ゼロあるいはプラスの苦しみ」なの。



理由のない苦しみ、虚しさ、空虚さ、
あきあきした感じ、無意味さ、無益さ、
孤独感、無価値感、
そんなものたち。

愛している人といるはずなのに淋しい、
仲間とさわぎながらもひとりぼっちのような感覚。
そんな感じ。



例えばね、スポーツ選手が、優勝を目指して
いっしょうけんめいに努力して、
ついに優勝をして、たくさんの人にお祝いしてもらって、
その晩眠って、目覚めた朝に、
言葉にならない虚しさがやってくる・・・とか、
そういうお話は聞いたことがあるでしょう。
あるいは体験したこともあるでしょう。



これはね、人間の根底にある「苦しみ」なのね。



わたしたちは、もともと「ひとつ」の存在なんだけれど、
それが、別々のものとして現れているでしょう。
だからね、「ほんとうにひとつなんだ」ってことが
概念ではなくて、自分の真実としてわかるまでは、
この「苦しみ」は根底にあるのね。



これは、「分離感」「分離意識」からくる「苦しみ」なの。



仏陀はこれを「ドゥッカ」って呼んだのね。
すべてを手に入れてもある「苦しみ」。
「だからなんなんだ?」っていう、「苦しみ」のこと。


仏陀はね、「ドゥッカ」のことをこう言ったんだって、

「黄金の馬車に乗っている。
 でも、道はデコボコ、車輪は四角」って。


なんだか、わかるような気がするでしょ?


これはね「存在の悲しみ」とも言うのね。


どんなに欲しいものを手にいれても、
すべてが揃っていても、
心の奥底に流れる、「苦しみ」=「存在の悲しみ」


この「スピリチュアルな苦しみ」「存在の悲しみ」は
「自分」という感覚が生み出す「苦しみ」なのね。



「自分」と「それ以外のもの」を分ける感覚が
生み出す「苦しみ」なの。
誰の心の底にも流れている川みたいな感じかな。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


そしてね、このみっつの「苦しみ」には、
ある方程式があるのね。


それは、


「肉体的苦しみ」+「心理的苦しみ」+「存在の苦しみ」=一定


っていう方程式なの。


まどかは算数が一番苦手なんだけど、
このくらいは、わかるかな。
方程式っていうか、算数だよね。



たとえばね、
「彼女にふられて悲しみいっぱいで
 街を歩いていたら、電信柱にぶつかって、
 頭にたんこぶができました」っていう場合。

 
まずはぶつかった瞬間、
「肉体的苦しみ100」+「心理的苦しみ0」+「存在の苦しみ0」=100


しばらくして痛みが少しおさまってきたら、
「肉体的苦しみ60」+「心理的苦しみ30」+「存在の苦しみ10」=100


すっかり痛みがなくなって、たんこぶも引っ込んだら、
「肉体的苦しみ0」+「心理的苦しみ70」+「存在の苦しみ30」=100



そしてね、この「苦しみ」って、
前のほうへ、前のほうへシフトさせようとするの。


前っていうのは、「存在」→「心理的」→「肉体的」
の方向ね。


なぜかっていうと、そのほうがわかりやすからなの。


「存在の悲しみ」に対してどうしていいか
わからないでしょ。
理由のない「苦しみ」なんだから。
だからね、
「こんな気持ちになるのは、彼女が悪いからだ」
「社会が悪いからだ」「会社が悪いからだ」
って、理由づけをして、
「心理的苦しみ」に持っていこうとするわけ。



そして「心理的苦しみ」から逃れるために、
肉体を傷つけたり、肉体に負荷を与えたりして、
「肉体的苦しみ」にもっていこうとしたりすることもあるの。


これはね、からだが自然にやっていることもあるのね。
心理的に抱えきれないものは、肉体に現れてきて、
病気をつくったりしてしまうこともあるのね。



なぜこんなこんなことをするかっていうとね、
マインドは、いつも「わかりたい」からなの。
でも、マインドには、ほんとうのことはわからないのね。
だから、いろんなことに、自分がわかるように
「理由づけ」をしたり、「意味づけ」するの。
なんとか自分を納得させようとするのね。



そしてね、一昨日書いたように、
「3つのまぎらわし」をやるのね。



あのね、仏陀、もとの名前はシッダールタはね、
釈迦家の子どもとして生まれた王子さまだったのね。
シッダールタは、なにひとつ不自由のない環境の中で、
贅沢三昧で暮らしていたの。
たくさんの食べ物があって、ステキな衣服が着れて、
素晴らしいお城に住んで、なんでも好きなことができたのね。
願いはすべてかなう状態だったのね。


シッダールタは、「肉体的苦しみ」も「心理的苦しみ」も
たぶん、ゼロだったんだと思うの。
そして、「存在の悲しみが」100だったの。


シッダールタはその「存在の悲しみ」から自由になりたくて、
出家して、修行を続けたのね。
あらゆる苦行、修行を続けて、
ある時、菩提樹の下で「さとり」を得るのね。



こんなふうに、最後は必ず、
「存在の悲しみ」という「苦しみ」に向かうように、
人間はできているんだな、って思うの。




「苦しみ」ってね、自分で気づいていなくても、
どんなに逃げていても、そこにあるのね。
そしてね、しっかりと、ちゃんと気づいてあげない限りは、
心の中から消えることはないの。
そしてこの「苦しみ」が、人生を操作していくのね。




いま大切なことは、
見えてきたところから、ちゃんと気づいていることなの。
気づいていると、どんどんと奥底にあったものが出てくるからね。




「苦しみ」がそこにあったなら、発見したら、
ただ、それに気づいていてあげてね。
そうすれば、まずは、エネルギーロスが防げるの。
「生きるためのエネルギー」がたくわえられるの。




わたしたちにできることは、「気づいていること」
苦しみのない状態を自分でつくることはできないの。
苦しみのない状態になろう、なろうとすること、
それ自体が「苦しみ」なのね。




「苦しみ」シリーズ、まだまだ続きます。


みんなで、「ほんとうの幸せ」を見つけていきたいから、
まどかが知っていること、やってきたこと、
できるだけたくさん書いていくね。



いつまで続くかわからないけど、楽しみにしててね。





みんながいつも幸せでありますように。



最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




                   まどか with LOVEドキドキ


ペタしてね



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