第三百二十一話 知らせ | ねこバナ。

第三百二十一話 知らせ

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お父さんへ

お元気ですか わたしは元気です
きのう雪がたくさん降っておばさんといっしょに雪かきをしました
ハヅキは遊んでばかりでぜんぜん手伝いません
今年はユキムシがたくさん飛んだから雪が多いかもしれないとおばさんがいいます
東京はあったかいですか
東京にユキムシはいますか
はやく春になって帰ってきてほしいと思います
お正月は二人でばあちゃんの家に行きます
ユキもつれて行きます あったかくしてあげるから大じょうぶです
かぜ引かないでね
おみやげ待ってます

ヤヨイ

  *   *   *   *   *

薄汚れたベンチに腰掛けて、男は手紙を読んでいた。
爪に泥が入り込んだままの太い指先は、神経質そうな鉛筆の文字をゆっくりとなぞった。
娘の名前の辺りで止まった指先が、がさ、がさと不規則に紙を擦った。
何度も何度も、紙を擦った。
びゅうと乾いた強い風が、紙を裏返しにしてしまっても。
男の視線は虚空の文字を追い、指先は娘の名前を、撫でていた。

やがて男の背中に、切れかかった蛍光灯の明かりが、ぶぶぶぶぶと降って来た。

「うう寒い。どっこらしょ」

男が座っていたベンチの端に、杖を突いた老人が座った。
もわりと吐く白い息が、斑に伸びた髭に絡み付く。
老人は息を整えると、ちらりと男を見遣ったあと、暮れかかった空を見上げながら、独語するように言った。

「お前さん、昨日も居たね」

男は答えない。

「いや昨日だけじゃない。一昨日も、その前も。涼しくなった頃から、お前さん毎日来とるね」

老人は横目で、も一度男をちらりと見た。
男はのろのろと手紙を折畳み、防寒着のポケットに押込んでいた。

「手紙はいいもんだ」

老人の言葉に、男はぴくりと反応する。

「顔を合わせると、言わなくていいことまで言っちまうからな」

男はしかし、まだ虚空をぼんやりと見つめている。
老人は構わず、擦れた声で続けた。

「言わなきゃいけねえことなんて、案外少ないもんさね」

ゆっくりと男の顔が上がり、視線は紫色の空へと向けられた。

「そこのタワーの工事かね」
「ああ」
「あすこはいっぱい来とるなあ。出稼ぎに」
「ああ」

短く応えて、男はふう、と空に息を吐いた。

「北のほうかね、クニは」
「ああ、ずっとな」

老人は肩を竦め、シミだらけのコートの襟を立てた。
男はようやく、老人を横目で眺めてみる。

「なあ、じいさん」
「なんだね」
「東京にゃ、ユキムシってのは、いるべか」
「ユキムシ」

老人は首を捻って唸る。

「さて、聞いたこたぁねえな」
「そうかい」
「なんだねそのユキムシってなぁ」
「虫だ。ただの白い虫だ」
「ほう」

ずんずん暗くなってゆく空の色を、男は未練がましく凝視したまま、ぼそぼそと話す。

「雪が降るのを知らせるってなあ」
「ほう」
「初雪が降る頃になると、白い綿毛をつけた虫が飛ぶんだ。そこら中に、一杯」
「ほほう」
「ちょっとでも手に触れたり、綿毛が取れると、死んじまう。まるで雪を知らせるためだけに、生きてるような、ただの虫だ」
「ふうむ」
「ほんとに、いねぇんだべか、ここらには」
「いねえなあ。見たことも、聞いたこともねえな」

老人の言葉に、男はようやく、空を追いかけるのを止めた。

「昔はここらも、年に一度か二度は雪が積もったもんだがな。最近じゃ大して降らなくなった。たまに風花が舞うくらいさ」
「なんだその、かざはな、ってのは」
「空が晴れてるのにちらちら舞う雪のことさね。おや、お前さん知らないのかい」
「俺のクニにゃ、そんなものはねえ」

ふん、と鼻息を飛ばして、男は不機嫌そうに言った。
その横顔を、老人はじいとねめつけて、ふふふん、と笑った。

「こっちは長いようだね」
「そうでもない」
「春にゃ帰るんだろ」
「さてね」

男の口から、重い塊のような言葉が落ちた。

「帰っていいもんだか、どうだか、わかりゃしねえ」

老人はぶるっと身体を震わせた。

「そうかい」

そうして、暗闇に沈みかけた公園の隅に、ぴたりと視線を止めた。

「さてな、ユキムシなんてえのは知らねえが」

視線の先に、何かを見つけた。

「ことによると、雪が降るかもしれんな」

老人はゆっくり立ち上がり、二三歩進んで、ずりずりとしゃがみ込む。

「どうしてだ」
「人恋しさに、あいつがやって来たからな」

男が眼を凝らして見ると。
老人に向かって、暗闇から青白いものが、近付いて来る。

「おう、よしよし。今日は一緒に行くかね」

老人の手に顔を擦り付ける、それは一匹の、白い猫だった。

「ユキ」

男の独語に、老人は振返る。

「おや、お前さん、こいつを知っとるかね」
「…いや、違う。よく似たのが、いるんだ。クニにな」
「ほう、そうかい」
「そうだ。丁度そんな眼をして」

男は無意識に手を伸ばす。
猫はひらりと老人の脇をかすめ、男の指に湿った鼻面を擦った。

「若い頃の、ユキにそっくりだな、お前」

猫は男の言葉に、ざらざらの舌で返事をした。
ざらざらに荒れた男の口許が、微かに、緩んだ。

「ほうれ、じゃあ、行くか」

老人は猫を抱き上げ、シミだらけのコートの胸元に押込んだ。

「今夜は冷えそうだからな。温めてやるからな」
「じいさん、その猫」
「あ」
「…いや、なんでもない」

男は言葉を飲込んだが。
不意に空を見上げ、呟いた。

「雪が、降るかもしれんな」
「ほう、お前さんそう思うかい」
「ああ」
「どうして」

老人の胸元で、猫がぴすぴすと鼻息を立てた。

「雪の、匂いがする」

男は立ち上がって空を見た。
天頂の小さな星から、ちいさな点がふらりと分かれた。
男の背後からぶぶぶぶぶぶと照らす蛍光灯に揺られて。
ひとつ、またひとつ。
白い綿毛が、降りて来る。

「おや本当だ」

老人が呟くその下で、白い猫が首を伸ばして、白い綿毛のような雪を嗅ぐ。
雪は猫の鼻先で、一瞬にして消え去って。

「びゃう」

猫は情けない声を上げて、老人のコートに潜ってしまった。

「ふふん」

男はそれを見て笑う。
そうして。

「雪の知らせ、か」

ちらちらと舞踊る無数の白いものたちを、欲するように。
空に向かって、手を伸ばした。

例年より二十日も早い、東京の初雪だった。



おしまい








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