◎番外◎ ひとりごと(5)
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皆様こんにちは。
ある夏の日、山手線の電車の中で、私の隣に空いていた座席スペエスを見て、ある母親が、
「ほら、そこ座んなさい」
と娘さんに言いましたが。
小学校低学年くらいの娘さんは、私の顔を二度見したあと。
ぶんぶんぶんぶんぶん
と、物凄いスピードで首を横に振りました。
激しいブロークンハートの衝撃。
涙目で、隣の連れ合いを見たところ、
「髭をそらないあんたが悪い」
と、冷然と斬り返された佳(Kei)でございます。
いや、髭をそっても、たいしたかわりはないかも知れぬ。
このサングラスがいけないのか。いやこれは最早必需品だから外すわけにはゆかぬ。
それともこの、つながりかけた眉毛が。
いやそれとも飛び出た鼻毛が…。
いやいや…。
はい、そんな風貌とともに、私は今日も、マターリ生きておるのでございます。
* * * * *
昔は「強面だ」と言われたことはなかったのですが。
持病が酷くなるにつれ、面相が若干変わって来たもよう。
はい。
毎日しかめっ面をして、ウンウン唸っていれば、そりゃ面相も変わろうというものです。
数年前に更新した免許証の写真など、派出所前の貼り紙より恐ろしい。
これは正直な感想でございます。
ただ、打ち解けてくると、それなりに子供には好かれるようで。
以前の職場でも、ガキんちょにたかられ、その重みで潰れたりしておりました。
自分に子供がいないので、正直、どうやって接していいものやら、いまだによく判らないのですが。
それでも、どういう訳か、酷くナメられるということは無いらしく。
それはそれで良いことなのだと、先輩や同僚に言われました。
「ナメられる」ことと「仲良くなる」ことの間には、数万光年の距離があるようす。
はき違えては、いけないことなのでしょう。
* * * * *
「◎◎ちゃん、お母さん、ちょっと遅れるって、電話あったよ」
仕事の後の片付けをしていた時、スタッフのひとりが、ある女の子に近付いて来て、そう言いました。
「ママ遅れるの?」
「うん、だから、ここで待ってれば」
「いいの?」
「ええもちろん。ねえケイさん」
「ああ、いいよ。じゃ、お絵かきでもして待ってれば」
「うん、そうする」
彼女はリュックをテーブルの上に置き、そこらに積んであるコピーの裏紙を掴んで、クレヨンでぐるぐるとお絵かきを始めました。
年齢よりも身体が小さくて、かなり甘えん坊な彼女は、よく私の脇に貼り付いて、あれこれねだっていたものでした。
「ねえ先生」
ふと手を止めて、紙をじいっと見つめたあと、出し抜けに彼女は私に問いました。
(そう、この時私は「先生」などと呼ばれるような仕事をしていたのです。
ちなみに教員ではございません)
「なんだい」
「鳥ってどうやって描けばいいの」
「鳥? どんな鳥」
「ハクチョウとか~」
「ああ、じゃあ一緒に描いてみようか」
私はそんなに絵が得意ではありませんが、それでも割と真剣に、彼女のお絵かきに付き合っておりました。
「おお、いいね。そんな感じ」
「ほら先生、小さいハクチョウさん」
「ほう」
「これはねー、マーくん」
「マーくん?」
「あたしのおとうと。二さい」
「ふーん」
甘ったれな彼女が、お姉さんだったことを、私はその時初めて知ったのでした。
「ねえ先生」
「なんだい」
「先生は、おとうと、いる?」
「ああ、いるよ」
「かわいい?」
「かわ…かわいい…かなあ。どうだろう。もうオジサンだしね」
「そうかー。いもうとは?」
「いるよ」
「かわいい?」
「うーん…ち、小さいころは、かわいかったと思うよ」
「今は?」
「そうだねえ。かわいいといえば…いえなくも…ない」
「そうなんだ。けんか、する?」
「今はしないよ。小さいころはしてたけど。毎日」
「ふうん」
「◎◎ちゃんはしないのかい」
「たまにするけどー、でも、お姉さんだからー」
「ああー、そうか」
「だって、マーくん、ずるいよ。いろんなもの投げてくるんだよ」
「ありゃ、それはダメだな」
「そうなのダメなの」
むすっとほっぺを膨らませたあと、紙にクレヨンを走らせながら、彼女はぽつりぽつりと話しました。
「マーくんはね、アトピーなの」
「そうなんだ」
「手とか足とか、すごいの。ボロボロって」
「うわ、痛そう」
「そうなの。昨日は泣いちゃって眠れなかったの。今日はママといっしょに病院なの」
「そうか、大変だねえ」
「うん、だからあたしが、マーくんに絵を描いてあげるの」
「そう」
「でもね、マーくん、すぐ怒るよ。あたしの絵びりびりってやぶいちゃうの」
「ありゃりゃ」
「でも、あたしはまた描いてあげるの。お姉さんだから」
「そう」
「ママはマーくんに怒っちゃダメだっていうの。パパはいっつも夜遅いの。だから」
ずり、と、くちばしの黄色がずれました。
ほう、と、小さな溜息が、小さな口から洩れました。
そのあと、彼女は、一生懸命、紙のなかにハクチョウを描きました。
時折ちらちらと私を見ながら。
私がうん、と頷くたび、彼女はまた、ハクチョウの世界に飛び込んでゆくのでした。
* * * * *
「これはママで、これはパパで、マーくんと、あたし」
「おお、すごいねえ」
「ねえ先生」
「なんだい」
「これ先生ね」
彼女はそう言って、紙のはじっこに、小さなハクチョウを描きました。
「へえ、これが私」
「そうだよ」
彼女は、うふふ、と笑って、ハクチョウのほっぺたに髭を描きました。
目の上には、太い眉毛を描きました。
「ああ、なるほどねえ」
「うふふふ」
「あれー、◎◎ちゃん、なに描いてるの」
他のスタッフが寄って来ました。
「あーいいね~、ハクチョウ」
「うん。これね先生」
「あははは、似てる-!」
「ほんとー」
彼女の描いたハクチョウ=私は、スタッフになぜか大うけなのでした。
「じゃあ、ほかの先生も描いてあげるー」
彼女は私たちスタッフの真ん中で、さも嬉しそうに、ハクチョウを描いてゆきました。
紙のなかにはハクチョウが満ち満ちて。
にぎやかな、冬のひとこまが生まれてゆきました。
「◎◎ちゃんすごいねえ」
皆に褒められ、彼女はたいそう誇らしげに胸を張りました。
集団の中ではあまり目立たない彼女は、その時初めて、主役になったのでした。
「◎◎ちゃーん、ママ来たよー」
スタッフの声に反応し、彼女は急いでリュックを背負い込みました。
見ると、夕陽に沈む街路樹のなかを、子供を抱いて歩いて来るひとの姿がありました。
「じゃあ、また来月ね」
「うん」
くるりと振り向いて、
「どうも、ありがとうございましたっ」
ぺこりと頭を下げる彼女は、何時もより、ちょっと大人びて見えました。
「ああほら、絵」
私はテーブルに置き忘れられた、ハクチョウの群れを取り上げて。
「ママに見せてあげなきゃね」
彼女に渡すと、彼女はにこりと笑って、
「こんどは、先生おっきく描いてあげるね」
と宣言したのです。
「ほんと。楽しみにしてるよ」
にいっ、と彼女は、顔をくしゃくしゃにして、
「ばいばい」
私に手を振って、
「ママー」
母と弟のもとへと、走っていったのでした。
びらびらと、彼女の手のなかで、ハクチョウの群れたちが、風に踊っておりました。
「ママー」
小さくなってゆく彼女の輪郭は。
母と重なりあって、街路樹のなかへと、溶けてゆきました。
* * * * *
そのあと、残念なことに、私は「おっきく描いて」もらう機会を逸してしまいました。
最後に彼女と挨拶を交わしたとき、
「ねえね先生、来年もまた来るからねえ」
と言って、目を輝かせてくれたのです。
「ほんと? ありがとう」
私は彼女とハイタッチをして別れたのですが。
彼女と再び会う機会は、巡って来ませんでした。
彼女はきっと、あの頃よりずいぶん背が伸びて。
おとなびた表情で、弟に絵を描いてあげているでしょう。
私などのことを、憶えてくれているものやら判りませんが。
あの時描いたハクチョウたちが、彼女のなかで消え去っていなければ…。
重苦しい意識のなかで、そんな勝手な妄想を、してみる、今日このごろなのでございます。
そして今日も。
からんからん
「いらっしゃい、ま…」
ドーナツやさんのお嬢さんに絶句されるような面相の佳(Kei)でございます。
へなちょこな私をお許しください。
私は、こんな人間です。
おしまい
いつも読んでくだすって、ありがとうございます
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ぶん:佳(Kei)/え:海野ことり 絵本『ねこっとび』
文:佳(Kei)/絵:大五郎 絵本『ねこのまち』