第三百十五話 かぼちゃ猫 | ねこバナ。

第三百十五話 かぼちゃ猫

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娘が、孫を連れて帰って来た。

「ほら、こんにちは、しなさい」

そう言われても、こんな小さな子供が、初めて目にする老人、しかもこんな強面の男に、素直に挨拶などするはずがないだろう。
案の定、孫は娘のスカートの後ろに隠れてしまった。

「やだもう、ちゃんとご挨拶なさいよ」
「いいから、そんなとこに突っ立ってないで、あがれよ」

私は娘にそう言った。十年ぶりに帰って来た娘は、気のせいだろうか、少し小さくなっていた。
娘にそっくりな孫は、我が家の高い上がりかまちを、よじ登るように上がってくる。
そういえば娘もそうだったか。

「なくなっちゃったんだ、バス」
「ん? ああ、三年前にな」
「そう」
「ほら、座れよ」
「お茶淹れるよ。ああ、変わってないねえ、台所」

台所へぱたぱたと小走りに向かう娘の後を、孫は急いで付いてゆく。
母にべったりとくっついて歩く娘の姿を見て、私は妙なおかしみを覚えながら、それでも憮然として、炬燵に手足を突っ込んだ。

十年前、東京の専門学校に行ったきり、娘は一度も帰って来ることがなかった。盆も正月も。
七年前からは、連絡先すら判らなくなっていた。
興信所でも何でも雇って探せばいいと勧めてくれる人もあったが、私はそうする気にはなれなかった。
この寂れてゆくだけの田舎と、辛気くさい両親のもとから抜け出して、それで幸せならば問題はない。
それで幸せならば、ここに戻ってくる必要はない。
振り返りもせずに家を飛び出ていった、決然とした娘の後ろ姿を見た時、私はそう思うことに決めたのだ。
決めた、のだったが。

「…で、これからどうするんだ」

娘が炬燵に入るなり、私は切り出した。

「どうするって…まだはっきりとは」

孫を傍らに座らせて、茶碗を両手で包んだまま、娘は口籠もった。

「こんな田舎に引っ込んで来ても、仕事なんぞありゃしない。保育園だって街に出なきゃあならん」
「わかってる」
「俺は小さな子供は苦手だ。世話なんぞろくに出来んぞ。それも判ってるはずだろう」
「…」
「男のほうとは、まだ連絡がとれんのか」
「…うん」

娘はきっと、昔から変わらない。派手で快活で、そして性急だ。何事にも愚痴の多い私と、極端に物静かだった妻を、娘はきっと苛立たしく見て育ったことだろう。
だからこそ、素性の判らぬ男を好きになり、突然捨てられるなどということになるのだ。
三日前、突然娘から電話があった。さんざん怒鳴り合ったが、結局、私は娘の帰宅を許した。
ともかくも、娘にはして貰わねばならないことがある。

「まったく、お前、母さんに何て報告するつもりだ」
「…」
「生きている間なら喧嘩も出来たろうに、もっとも、母さんなら何も言わずに困った顔をするだけだろうけどな」
「あ、あたしだってまさか、そんな」
「真逆とは何だ。手紙にだって、母さんの病気のことは書いておいたはずだ。それなのに」

娘が真っ赤な目で私を睨んだ。

「だって、だってそのあと何も知らせてくれなかったじゃないのよ」
「何年もろくに連絡を寄越さないで、今更何を言う」
「調べようはいくらでもあったでしょう。あたしだって、母さんが、そんな」
「都合のいいことを言うな! お前がどう思っていたか知らんがな、母さんは」

「うう、うええええええええええ」

突然孫が泣き出した。
どうも子供の泣き声は苦手だ。
私は炬燵から這い出て、

「畑を見て来る。お前の部屋はそのままにしてある。自分で掃除して使え」

娘に背を向けて、

「それから、母さんにはちゃんと謝っておけ」

そう言って、居間からのろのろと出て行った。
仏間の妻の遺影が、寂しげに私を、ちらりと見た。
孫の泣き声と、娘の嗚咽が、寒々とした家に響いた。

  *   *   *   *   *

玄関を出ると、一匹の斑猫が、庭先でとぐろを巻いていた。
何年前から来るようになったのか、もう憶えていない。たまに家にあがり込んで来るのだが、どうせ年寄りの一人暮らし、特別かまうでもなく、好きにさせている。
猫は私を見るなり、

「ぎゃーう」

と、濁声で鳴いた。
餌をたんまりやる訳でもないのに、どうもこいつは、この家が気に入っているようだ。
尻尾をぴんと立て、足元に纏わり付く猫を、私は蹴飛ばしてしまわないように、よろよろと歩いた。

「ああ、先生」

道端の軽トラックから声を掛ける人がある。
近所に住む、昔の私の教え子だ。無愛想な私を嫌う生徒が多い中、この男だけは、どういう訳か卒業した後も私を慕って、度々尋ねて来る。

「ミツルか、どうした」
「いやあ、これから家に戻るとこで。街の保育園から頼まれたんですよ。これを」

見ると、軽トラックの荷台には、色々な形や色をしたかぼちゃが、何個も乗っている。
その中には、目や口のような形がくり抜かれているものもある。

「なんだこれは」
「ハロウィンで使ったんですよ。もう終わったから処分してくれって。先生、ひとついかがです」
「そんなもの、いらん」
「いやいや、くりぬいたオレンジの方じゃなく、食べられるやつですよ」

ミツルはトラックから降りて、小さいがずっしりと重いかぼちゃを私に差し出した。

「いいのか」
「もちろん。実を言うと、今年は豊作でしてね。駄目になってしまわないうちに、配って歩いてるんです」
「そうか。じゃあ、有難く」
「どうぞどうぞ。あ、あれ…」

陽に焼けたミツルの顔で、大きな目が、ひときわ大きく見開かれた。
私の背後にある、何かを見て。

「ミツコさん…ですよね先生」
「ん? あ、ああ…」

振り返ると、娘と孫が、縁側に出て来るのが見えた。
そういえば、ミツルと娘は同級生だったか。そんなことも私はとうに忘れていた。
娘は私とミツルに目を留めると、サンダルをつっかけ、とことこと歩いて来る。

「サイタくん…でしょ? うわあ久し振り…」

娘の言葉に、ミツルは酷く緊張していた。
大きく目を見開いて、かぼちゃを私に差し出した姿勢のまま、固まって娘に向き直った。

「う、うん、ひさ、久し振り…」
「元気そうねえ。うわ、これ何? かぼちゃ? ハロウィンの?」
「う…」
「すごーい! おっきいねえ! ねえね、これもういらないの?」
「う…」
「じゃあ、ひとつ貰っていいかな? このおっきいやつ」
「も、もち、もちろん」
「ありがとう! 娘が喜ぶわあ」

私は堪らず口を挟んだ。

「こら、そんなもの持ち込んでどうするんだ」
「だって勿体ないじゃないの。どうせ捨てちゃうんでしょ。家の中に飾ったら華やかでいいわよ」
「邪魔だから止せ。それにそんな派手なもの、煩くてかなわん」
「私の部屋に置くんだからいいの。じゃあ、これね。よっこら、しょっと」
「お、重いよ! 俺が持つ、俺が持つから」

ミツルは慌てて、娘から巨大なかぼちゃをひったくり、肩の上に乗せて歩き出した。
娘はその隣で、親しげに、快活に、ミツルに話しかけている。
私は、小さなかぼちゃを抱えて、その場に取り残されてしまった。

「ぎゃーう」

足元で、猫がじれったそうに、鳴いた。

  *   *   *   *   *

結局、大きなオレンジ色のかぼちゃは、娘の部屋に上がることなく、縁側の隅にどっしりと置かれてしまった。
文句を言うのも面倒になってしまった私は、憮然としたまま、台所でかぼちゃを煮ていた。

「手伝うよ」

娘が後ろから声を掛けてきた。

「いいから座ってろ。今日は疲れたろう」
「大丈夫」

孫を足元に貼り付かせたまま、娘はいそいそと食器の準備を始めた。
手伝いなんぞ頼まれてもしなかった娘が。

「ほら、これ母さんにあげてこい」

私は小さな椀にうどんを、小さな皿にかぼちゃを盛り、娘に差し出した。
娘は、

「母さん、父さんの煮たかぼちゃ、好きだったよねえ」

と呟いた。

「そうだな」

私がぼそりと言葉を返すと、娘は黙って椀と皿を受け取り、神妙な面持ちで仏間へと運んだ。
孫は娘の足にへばり付いたまま、時折私をちらちらと見る。
そんな孫の視線を受け止められず、私は茶色に煮込まれたかぼちゃに、視線を落とした。

「こっ、こんばんわあ」

玄関で裏返った声が響いた。

「はあい…あらっ、サイタくんどうしたの」

娘の驚いた声が続く。

「いやっ、あの、これ、さ、よかったら使ってもらおうと思って」
「なあに…わあ、いいのこんなに貰って?」
「いいさ、う、うちの娘はもう使わないからさ」
「ありがとう…父さん! サイタくんが」

玄関では、ミツルが緊張したまま立ちすくみ、その前には大きな段ボール箱が置かれている。
箱の中には、子供の服やらおもちゃやらが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

「おい、いいのかこんなに」
「い、いいんです本当に」
「そうか、すまんな。どうだあがっていかないか」
「い、いえいえそんな」
「いいじゃない遠慮しないで」
「いや本当に! し、失礼しますっ」

ミツルは叫ぶようにそう言って、すたすたと出て行ってしまった。

「…なんだ、あいつは…」

「ぎゃーう」

ミツルの代わりに、あの斑猫が、ひょいと上がりかまちを飛越えて、

「ぎゃーう」

悠然と、家の中に上がり込んだ。

  *   *   *   *   *

子供向けのテレビ番組は、どうもやかましくていけない。
食事の後、私は仏間に避難して、かぼちゃをつまみに酒を呑んでいた。
ぼんやりと盃を重ねているうち、何時の間にか居間は静かになり、電気が消され、娘がコップを持ってやって来た。

「あの子はどうした」
「もう寝た」
「そうか、疲れたんだろうしな」
「うん」

ずい、と娘がコップを差し出す。

「お前、飲めるのか」
「まあ、そこそこ」
「ふん」

私は酒をたっぷりと注いだ。
それをひと口、美味そうに飲んだ後、娘はぽつぽつと話し始めた。

「サイタくん、娘さんがいるんだね」
「ああ。お前、何も聞いてないのか」
「うん」
「去年小学校にあがった、はずだな」
「そうなの。いつ頃結婚したの」
「確か七年前か。でもな」
「でもって、なに?」
「お前ほんとに何も聞いてないんだな」
「うん」
「奥さん、亡くなったんだよ。一昨年、病気でな。もともと身体が弱かったらしいが」
「…え」
「可哀想にな。あすこはご両親ももういないし、男手一つで、健気なもんだ」
「…そうだったんだ」
「ちゃんとお礼に行けよ、明日にでも」
「うん、そうだね」

ふっと妻の遺影を見遣り、娘は俯いて、私に打ち明けた。

「父さん、あのさ」
「なんだ」
「母さんのことなんだけど」
「…」
「母さん、あたしの住所、知ってたんだよね」
「…そうなのか」
「あの子が生まれる前まで、だから四年前か。それまで、いろいろ送ってくれてたんだ」
「…そうか」
「あの子が生まれて、あの男がいなくなってしまってからは、あたしもいろいろこんがらがってさ」
「…」
「新しい住所、知らせる間もなくってさ」
「母さんは」
「うん」
「母さんは、その、病気のことは、何も書いてなかったのか」
「うん、何も。だから…」
「…まったく」

私は恨めしげに妻の遺影を見た。
全く、秘密主義にも程がある。
しかし。

「なんかさ、母さんの手紙ったらさ」

娘が可笑しそうに言う。

「食べ物と猫のことばっかでさ」
「猫?」
「うん。たぶんあの猫」

「ぎゃーう」

呼ばれたかのように、あの斑猫がやって来た。
不意に、私の脳裏に、猫の前にしゃがみ込む妻の姿が、浮かんだ。
ああ、そうだ。
よく縁側で、猫を撫でていた。

「面白いんだよって。野菜が好きなんだよって」
「は」
「ほら、お食べ」

娘は、皿からかぼちゃの煮物をひとかけ取り出して、猫に差し出す。

「おい、そんなもん」

と私が言いかけたとき、

「にゃむ、にゃむ、にゃむ」

猫は嬉しそうに、茶色の甘辛いかぼちゃに食らい付いた。

「ほらねえ」
「…」
「かぼちゃの煮たのが好きなんだよって」
「…」
「父さんの煮た、かぼちゃが…」
「にゃむ、にゃむ、にゃむ」

かぼちゃを食べる猫の舌の音に、娘の低い嗚咽が混ざり合う。

「…母さん、料理が下手だったからな」

私はそう言って、杯をあおった。

「そうだねえ」

涙声で、娘が笑う。

「しかし、それで合点がいった」
「え」
「この猫のことも、そして、あれのこともな」
「あれのこと?」

娘は首を傾げる。
私は立ち上がり、仏壇から封筒を取り出した。
そうして、娘の目の前に滑らせた。

「…なあに」
「三年前、母さんが亡くなる時にな。頼まれたんだ。お前に渡してくれとさ」
「…」
「お前の名義の通帳だ。印鑑もほら、ここにある」

娘は真っ赤な目を見開いて。
大粒の涙を、ぼろりとこぼした。

「まったく、母さんには呆れたもんだ。俺に内緒で」
「…」
「ともかく、母さんが遺してくれたんだ。大事に使え」
「…かあさん…」

娘は封筒に縋って、泣いた。
男親というのは損なものだ。私はそんな、どうでもいいことを思いながら、自分の煮たかぼちゃを頬張った。
いつもより塩気が強すぎだ。なあ母さん、そう思わないか。

遺影の妻は、何故か可笑しそうに、私を見ていたのだった。

「ぎゃーう」

舌なめずりをした猫は、悠然と私の前を横切り、
さも、それが当然であるかのように。

「ああ」

縁側の、あの大きなかぼちゃの中に、潜り込んだ。
私は、涙まみれの娘と、顔を見合わせて。

「ふふん」

頬を引きつらせて、笑ったのだった。



おしまい








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文:佳(Kei)/絵:大五郎 絵本『ねこのまち』