第二百八十六話 糸紡ぐ猫(其五・終) | ねこバナ。

第二百八十六話 糸紡ぐ猫(其五・終)

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しんと静まりかえった社務所の奥。
此処は、恐らく、この神社に関わる人間しか立ち入ることを許されぬ場所だった筈。
なのに、偶々この谷に居合わせただけの私が、女主人のミツに付き従って、今、此処にいる。
その部屋には、沢山の文書と思しき紙の束が積み上げられていた。

「祭を終えるにあたって、永らく封印されていた神社の記録を、ずっと調べ直していました。それがこんな形で役に立つなんて」

何故か悲しそうに、ミツは言いながら、帯をほどき始めた。私はそれにぎこちなく手を貸しながら、彼女の張り詰めた雰囲気を感じていた。

「ヨシムラさん、いえハルカさん、あなたは」

やがて白い襦袢だけの姿になったミツは、椅子に座って私に尋ねた。

「真っ先に、サトコを助けに走ってくださいましたね。そして今度の事件のことも、随分私たちの親身になって、考えてくださっているとか」
「は、はあ」
「何故なのです」

僅かに首を傾げて、少し困ったような表情を、ミツは私に向ける。

「なぜ、と言われても」
「出会ったばかりの、田舎者の私たちを、何故そのように思ってくださるのです」
「...」
「差し支えなければ、教えていただけないかしら」

「友達を...亡くしたのです」

私はぼそりと呟いた。

「お友達」
「はい。学園紛争の最中、親しかった友達を」
「そうですか」
「彼女は気の弱い子でした。私なんかと違って、華奢で物静かな。でも学生運動には彼女なりに共鳴して、気勢を上げる男たちの陰で、一生懸命働いたんです。それこそ寝食を忘れて」
「...そう」
「憧れていた男性がいたんです。私と彼女、同じ人を好きになったんです。でも私じゃかないっこないから、彼女の思いが成就するようにって、私は応援していたんです。一緒になって考えて、笑って、泣いて、歌って」

あの子はジャニスの「リトル・ガール・ブルー」が好きだった。何度一緒に歌っただろう。

「それなのに」
「...」
「あの子は炊事洗濯だって掃除だって不平も言わずやってたんです、彼のために。女は言われたことやってりゃいいんだって、いつも蔑まれて。私は抗議したのに彼女は笑って大丈夫よって言うんです。なのに、なのにあの子は機動隊に立ち向かう人の壁の最前列に」
「ハルカさん」
「不平ばっかり言ってた私は駆けつけるのが遅かったんです。機動隊が突入して、男共が一斉に暴れて、あ、あの、あの子あんなにか細いのにもみくちゃにされて踏みつけられて、私が、わたしがついたときには、わたしがもっとはやくいってればそうすればあのこあのこはああ」
「...」
「ごめん、ごめんよごめんよううう」

心の奥底からとめどなく流れる黒いものを、私は押し止めることが出来なかった。
ミツの細い膝に縋って、私は泣いた。

「...大丈夫、あなたの所為じゃないわ」

ミツは私の肩を撫でながら、何度もそう言った。そして、

「そのお友達の影を、私たちに重ねてくださってるのね、あなたは」

そうなのかも知れない。私は呼吸を整えた。

「...戦争が終わっても、学生が理想を掲げても、世の中はちっとも変わらない。女だからというそれだけの理由で、蔑まれ隅に追いやられる人がいるのは何故でしょう。私が学問に没頭したのは、それを知りたかったからなんです」
「民俗学、ですか」
「はい。古くからの伝承には、女性と男性の性差をおおらかに包み込むような、そんなものが沢山あるのです。私はそれを追うことで、この国のほんとうの姿を、人々に根ざすほんとうのありようを、見つけられたら、と思って、でも...」
「そうね、それは容易なことではないわ。でもねハルカさん」

すう、とミツは背筋を伸ばす。

「あなたならきっと出来るわ。その答えを見つけることが」
「は」
「だから私も...自分で決着を、着けなければね」

そうして彼女は、頭を掴んで、ぐいと持ち上げた。

「あっ」

黒々と光る、結い上げられたミツの髪の毛が、塊のまま宙に浮いた。
そしてミツの頭皮には、白くて細いちぢれ毛が、僅かに残っているだけだった。

「多分、身体に溜まった毒の所為でしょう。私は気付かないうちに、何年もそうしたものを、摂り続けていたのです。恐らくは食事に混ぜられて」
「そ、そんな」

食事に混ぜられて。
ツネは言った。ミツの茶碗を私から取り上げて。

「間違うといけねえから、間違うと」

間違うと。
じゃあ、あの茶碗の底の印は。

「まさか、まさか」
「そして私は、私の役目さえも奪われました。子を成すという役目さえも」

私は狼狽えた。
ミツの濁った瞳が、虹色に揺らめいている。
それは怒りによるのか、それとも。

「それが何故なのかは、判りません。しかし、どうしてこうなったのかは、判った気がするのです。だから私は、祓をしなければなりません」
「祓を」

一体何を、祓うというのだろう。

「ハルカさん、その箱を、取ってくださいませんか」

ミツが部屋の隅に置かれた箱を指差す。私は言われるがままに、その箱をミツの膝に置いた。
彼女はゆっくりと箱の紐をほどき、蓋を開ける。
そこにあったのは。

真っ白な、猫の面だった。

   *   *   *   *   *

午後三時。
陽の光が赤味を増してきた頃、谷の住人は、うち揃って神社の拝殿前に現れた。
戸板を全て開け放った拝殿を、人々は固唾を呑んで凝視している。
程なくしてミツは社務所から現れた。渡り廊下を伝って、ゆっくりと拝殿へと進む。
頭には金色の冠、白塗りの顔にきりりと紅をひき、手には大きな三方。白と赤の襲が美しい衣裳を纏い、腰に付けられた鈴が、時折、しゃらりしゃらりと音を立てる。
やがて拝殿の中央に至ったミツは、本殿を向いて深く頭を下げ、観衆に向き直った。彼女の前には社務所より持って来た三方、そしてあの、カイコ石を乗せた台がある。

「ヤヘエさん、どうぞこちらに」

良く通る声に一瞬びくりと身体を震わせたヤヘエは、全く乗り気がしないという風で、おずおずと拝殿の隅に上がり込む。そして、

「こんな茶番は、さ、さっさと終わりにして貰いてえもんだ。俺ぁ忙しいんだ」

と、氏子総代らしからぬことを言う。しかしミツは穏やかに、

「祓はすぐに終わります。只その前に、少々昔語りをいたしましょう」

そう言って、口をぱくぱくさせるヤヘエに構わず、観衆に語りかけた。

「では皆さん、これは本当は、昨日お聞かせする筈だったお話です。神社の祭が絶えるにあたり、古より伝わるクシマ神社の秘儀、長らく封印されていた秘儀にまつわるお話を、どうぞ聞いていただきとう存じます」

   *   *   *   *   *

「この地は遙か昔、大陸からの渡来人が、時の朝廷に命ぜられて棲み着いた処と伝えられております。神社の記録によれば和銅六年、今から千二百六十年前、石造と養蚕の技術を携えて、此処に移り住んだとあります。真偽の程は定かではありませんが」

ミツは、カイコ石を覆っている紫の布を取り払った。あの奇妙な形の石が、初めて観衆に披露されたのだ。おお、と響めきが起こる。

「この石は、先人が移り住んだ際に拵えた養蚕の守り神とされております。これは永らく、おカイコそのものを象ったものとされて参りましたが、このたび紐解かれた秘儀にまつわる木簡から、その本当の姿が、明らかになったのです」

そう言うとミツは、懐から白く細長いものを取り出した。

「これは、神社の奥の祠に、長いことお祀りされていた、カイコ石のカタワレです。これは丁度ここに、このように付くのです」

その白く細長い石は、カイコ石の尻、あの欠けていた部分に、ぴたりと嵌った。

「なんだぁ、そりゃあ」
「へんな形だいのう」

観衆の言葉に、ミツは穏やかに応えた。

「これは本当は、白い猫の像なのです」

「なにい」
「ねっ、猫だって」

ざわめきを手で制して、ミツは続ける。

「口も眼も無い、白い猫の像なのです。記録によればこの石に絹の羽根をつけたものを、カグラの際に高く掲げて舞ったのだといいます。恐らくはカイコの成虫に擬した猫の姿を祀ることで、豊作を願ったのでしょう。他の地域がそうであるように、この地でも、もともと猫は恵みをもたらす存在だったのです」

「ほんじゃあよう、猫はこの神社の神さんだってのかい」
「そんな馬鹿な話があるかい。猫はおっかねえもんだって、昔から」

「そうですね、皆さん不思議に思うことでしょう。何故神様であった猫が、忌み嫌われ虐げられることになったのか。そこで皆さん思い出してください。シライトサワに伝わるあの言い伝えを」

「ああ、娘と猫の話だ」
「おっそろしい」

「この谷は、戦国時代、武田と北条の争いに巻き込まれて荒らされ、神社は焼失してしまいます。神社が再建されたのは江戸時代になってから。そして再びおカイコが盛んになるのは、江戸中期を過ぎる頃のことです。しかし、ようやく復興を果たしたこの谷を、大きな災害が襲いました。天明三年の、浅間山の大噴火です。谷は火山灰に埋もれ、作物は育たなくなり、多くの人が飢饉に斃れました。困窮し為す術がなかったこの谷に、ある人々が現れました。田畑を立て直し鉱物や薬種の知識に長けた彼等は、この谷を統べていたサクヤの一族と契約を交わし、共にこの地で支え合って生きていくことになります。それが、総代さんの一族なのです。そうですねヤヘエさん」

ほおう、と再び響めきが起こる。しかしヤヘエは、拝殿の床を凝視したまま動かない。

「あの言い伝えの原型は、その頃作られたらしいことが判ります。この種の言い伝えに似たもので最も古い記録は寛政年間のもので、灰に埋もれた谷を救うために、谷にやって来た男と、神社に住んでいた雌の猫が交わりカイコを為した、というものです」

「ありゃあ、娘でねえんかい」
「しかもなんだい、カイコを為したってえ」
「今のおっそろしいのとは、全然違うじゃないのさ」

「そう。言い伝えは次第に変質していった。それが何故なのかは判りません。しかしその変質は、江戸から明治へと激しく移り変わる社会の様子と符号しています。この神社も、江戸期までは私のような女性が神事を司っていましたが、明治以降は男性が表に立つことになります。総代さんの血筋から婿を迎えて。これは皆さんご存知のとおりですね」

「そっ、それが何だってんだ」

いきなりヤヘエが立ち上がり、ミツに向かって怒鳴り散らした。

「今そんな古い話を持ち出して、何になる。今更猫が怖くねえだとう。じゃあ、じゃあこの谷で起こった怖ろしい事件は、どどどどう説明をつける積もりだ。

「落ち着いてヤヘエさん。別にあなたを否定している訳ではないし、此処で起きた不幸な事件を煙に巻こうという訳でもありません。只、今までこの谷が、神社がどうであったかを、皆さんに知っていただきたいだけなんです。これが最後なのですから」

「そうだい、いいじゃねえか昔話くらいよう」
「黙って聞いてれやあ」

野次が飛び、血走った眼で観衆をねめつけて、ヤヘエはまだどっかと腰を下ろした。

「さて皆さん。もともとこの谷では、猫が信仰を集めてきたこと、そしてそれが何らかの理由で変質していったこと、お判りいただけたと思います。ですからどうぞご心配なく。猫はこの谷に災厄をもたらす存在ではありません。もし災厄があるとすれば、それは猫を畏れる人の心そのものです。ですから私は、それをこれから、祓うことといたしましょう」

そう言うとミツは立ち上がり、一度本殿に向かって深々と礼をし、ゆっくりとヤヘエの脇に近付いてゆく。

「ときに、ヤヘエさん」
「な、なんだい」
「この谷で、鉱物を採掘する計画があるそうですね。ベントナイトとかいうものを」
「そ、それは」
「役場のクロサワさんが教えてくれました。まだ表だってはいないけれど、財閥系の会社が用地買収の準備をされているとか」

ヤヘエの額に脂汗が滲む。

「なんだあ、そうなんかい」
「俺たちゃ知らねぇで、そんな話」

観衆は口々に不安を洩らす。

「大規模な露天掘りをするためには、谷に住む人全員を立ち退かせる必要があるそうですね」
「お、俺はそんな」
「いいのですよ。それで谷に住んでいた人々が潤って、皆幸せになるのなら。私ももう、子を成して後継ぎを産むことが出来なくなりましたから、此処に居る価値はなくなりました。そうですよねヤヘエさん」
「い、いや俺ぁそんな」
「私が失ったものは、元には戻らないのです。ええ決して、戻らないのですよヤヘエさん」
「ひいっ」

ヤヘエは畏れおののいている。
ミツは虹色に輝く瞳で、ヤヘエを凝視していたが、やがてすいすいと戻り、社務所から持って来た三方を運んで、ヤヘエの前に置いた。

「皆さん、これから祓をするにあたり、総代であるヤヘエさんに、皆さんを代表し、清めの盃を受けていただきます」

そう観衆に言うと、ミツは三方に乗った茶碗を取り出す。

「これは私が日頃使っていた茶碗。ほうら、此処にその印があります。赤い点が」

そして小さなガラス瓶を持ち上げて言う。

「これは、亡くなった婆や、ツネさんが、私のために毎日毎日、ご飯に混ぜてくだすったお薬です。ヤヘエさんが手渡してくだすったと仰っていました」

ガラス瓶の蓋が開けられ、茶碗にその中の液体が、ちょろちょろと流れ落ちる。
そして更に、その中には赤い酒器から酒が注がれる。

「さあ、お飲みくださいな。私がカグラを舞っている間に。いにしえの秘儀、猫のカグラを」
「な、な、な、な、な」

滝のような汗が、ヤヘエの額から落ちる。
ミツは微かに笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がり。

「あっ、あれは」
「猫か」
「そうだ猫だいね」

猫の面を付けて、ゆっくりと、舞い始めた。

しゃらん、しゃらん

腰に付けられた鈴が鳴る。
手には絹糸の束があり、光沢を放ってふわりと揺れる。
緩急のある滑らかな、そして艶やかな舞に、私は、観衆は見とれた。
楽の音もないというのに、これ以上ない華やかさと荘厳さをもって。
ミツは。

しゃらん、しゃらん、しゃらん

一匹の、糸紡ぐ猫に、なっていた。

しゃらん、しゃらん、しゃらんしゃらん

しゃらしゃらしゃらしゃらしゃらしゃら

「ええええいっ、なんだこんなもん」

がたん、と大きな音がした。
ヤヘエが三方を、手で弾き飛ばしたのだ。

「おおい、なんだ何やってんだ」
「おいヤヘエよう、なんで飲まねんだよう」

「ううう五月蠅ぇっ」

汗にまみれたヤヘエの顔は、土気色だ。
ミツは構わずに舞を続けている。

「やめろっ、やめねえかあああああ」

ヤヘエがミツに掴み掛かる。太い手を伸ばす。

「なっ」

私は拝殿に駆け上がろうとした。

「ああああああっ」

「こらヤヘエなにするんだ」
「奥様っ」

がばとヤヘエがミツに覆い被さった。その時。

「きいいいいいっ」

するりとミツはその身を躱し。
持っていた絹糸で、ヤヘエの首を、締め上げた。

「けへっ、げへ、げへえええええええ」

猫の面が、がたたんと床で跳ねる。

「み、ミツさん」

私は拝殿の階段に足をかけたまま、硬直した。
怖ろしさのあまり、足が動かなかった。
顕わになったミツの顔は、歯を剥き出した猫のようで。
その眼は、虹色にぎらぎらと光っていた。

「私の総てを奪った、私の」
「げええええええええええ」
「許さない、許さないいいいいいい」

観衆も私も、その怖ろしさに。
微動だに出来ず。
悪夢のような光景を、凝視していた。


「ミッちゃん、やめろっ」

境内に大きな声が響く。
振り返ると、そこには、

「街の病院の院長が、ミッちゃんの病状を隠していたと白状した。ヤヘエの差し金だったことも。だから止めるんだ」

クロサワ・タロウが、頭に包帯を巻いたナカザワと共に、立っていた。

「タロウちゃん...」

ミツの顔から凶悪さが消えた。だが手の力は緩んでいない。

「ミツ姉さんっ」

ナカザワが声を張り上げる。しかしミツは。

「もう遅いのよう」

ミツの眼から涙が落ちる。

「私は婆やを、私は、私は」
「駄目だっ、そいつを殺したって、ミッちゃんは幸せになんかなれないッ」
「いいのもう私の幸せなんて」
「よくない、よくないよ」

クロサワは拝殿へと駆け寄る。

「来ないでッ」
「げえええええ」

ミツがヤヘエの首を締め上げる。ヤヘエの顔は紫色に変化して。

「やめろおおおおおおお」

クロサワの叫びがこだまして。
ミツの涙は、とめどなく流れて。


「きゃあう」

素っ頓狂な鳴き声がした。

「ああっ、あれ」
「あの猫だ」

観衆が指差すその先に。
ちょこちょこと歩いてくる、猫がいた。
白くて足の短い、不格好なその猫は、拝殿の奥からやって来て、

「きゃああう」

ミツを見上げて、啼いた。

「きゃああああう」

ずるりとミツの手が緩む。
ヤヘエは、どたりと床に崩れる。

「ミッちゃん」

クロサワがゆっくりと、ミツのもとへ歩く。

「うう、うわあああああああああああああ」

ミツは啼いた。
白い猫に縋って啼いた。

拝殿のそこら中に散らばった絹糸は、まるでミツを、そして猫を包むように。
風に吹かれて、ゆらゆらと、漂っていた。

   *   *   *   *   *

「それで、結局どういうことなんだい、その事件の全体像は」

エノキ教授は丸眼鏡をずり上げ、私に尋ねた。

「まだ警察の調べが途中なので、断定は出来ませんけれど」

と私は前置きし、事の次第を話した。

「カミヤ・ヤヘエの家は、恐らく天明年間に女系であるサクヤ家に取り入ったあと、実質的なシライトサワでの権力を手中にしました。当初はサクヤ家と良好な関係だったのでしょうが、江戸末期になり絹糸が海外に輸出されるようになると、ヤヘエは谷の主要産業である養蚕を完全に掌握しようと画策したのだと思われます。もともとは神事と切り離せなかった谷での養蚕から、サクヤ家の関与を排除するために、猫を祀っていた従来の祭祀を変更させたのではないかと。あのカイコ石に象徴されるような、畸形の猫を豊穣のシンボルとする信仰が変質したのは、その現れだと思うのです」
「ふむ」
「それにはおそらく、大教宣布や廃仏毀釈といった、明治政府の宗教改革が関係していると思われます。そして、そうした社会改革にヤヘエの家が上手く乗っかった、というか、利用したんでしょう。神社の装飾をチョウナで削り取ったり、猫の形をしていたカイコ石の尻尾を裁ち落としたりという実力行使は、そうした政治的圧力なしには実現しなかったでしょうから」
「なるほど。では戦時中の事件については」
「今となっては確かめる術がありませんが、ナカザワの家の水瓶には何らかの毒物が混入されていたと考えていいでしょう。後で判ったことですが、当時陸軍がシライトサワ全体を接収して参謀本部の避難所を作ろうと画策していたこと、カミヤ家がその誘致に携わっていたこと、そしてカミヤの家には一切被害が出ていないことなどを考え合わせると、その事件にはカミヤ家の関与があったと考えるのが自然でしょうね」
「ふむ。しかし都合良く猫が出てくるもんだねえ、そこに」
「はあ、それは確かめようがありません...」
「そこまで猫に拘るんだねえ。何か強迫観念でもあるのかねえ」

教授は首を捻った。私は迷った挙げ句、私見を述べることにした。

「確たる証拠がある訳ではありませんけれど、江戸末期から明治初年にかけての社会改革の最中、カミヤ家は、男性上位社会を誇示することで、谷での実権をより強めようとしたのではないでしょうか。猫は女性性を象徴するという側面があります。それを否定するのがまず重要な情報操作だっただろうと、私などは思うのですが」
「ふうん。それも一理あるかも知れない。そこで漸く、今回の事件だが」
「は、はい」

私も実は、まだ完全に整理が出来た訳ではない。ひとつひとつ話しながら整理してゆこう、と私は決めた。

「まず、カミヤ・ヤヘエは、恐らく三年ほど前から、シライトサワで産出されることが判ったベントナイトという鉱物の利権を手中に収めることを画策していました。しかし採掘に関わる企業は、大規模な露天掘りにしないと採算が合わないといいます。そのためには谷に住む人々を全員、何処かに移住させなければなりません。ところが神社じたいが篤い信仰を集めているので、急いで事を運べない。移住地もいい場所が確保出来ず、ヤヘエは焦っていたようです。無理矢理にでも移住させる手はないものか。そのためにはまず、神事を司るサクヤ家の影響力を排除してしまうことが必要だったのです」
「具体的には?」
「サクヤ家は基本的に女系です。女性が後を継いで神事の一切を取り仕切ります。そのためには必ず女性を産まなければなりません。ゆえに多産であることが、一族を継ぐものに求められるのです。事実サクヤ家の女当主は代々多産でした。そして長女がカミヤ家から婿を迎える。そうして命脈を保って来たのです。しかし子どもが産まれなくなってしまえば」
「ほう、神社の後継ぎがいなくなる。つまりは途絶えると」
「そうです。そこでヤヘエは、ツネさんをうまく使って、ミツに毒を盛ることを考えついたのです。じわじわと身体に蓄積される毒を」
「怖ろしいね。具体的には何なんだい」
「水銀や鉛など重金属の類かと。製薬会社を経営しているヤヘエにとって、そうしたものを手に入れるのはそう難しいことではなかったでしょう。そして具合が悪くなったミツさんを、自分が理事長を務める病院に入院させ、そして」
「そして」

気分が悪くなるのを必死で堪え、私は言葉を接いだ。

「卵巣と子宮を、全部摘出させてしまったのです」
「...惨いことを...」
「それでもサクヤ家は谷の人々から慕われていました。最後の祭と決まったあの日、決定的にあの谷から人々の心を放す方策を、ヤヘエは巡らせたのです。怖ろしい猫の伝説を使って、金輪際谷に関わらないという心を、人に植え付けようとしたのです」
「それで殺人事件を?」
「はい。最初の殺人はヤヘエが仕組んだものであると、警察は結論づけたようです」
「おいちょっと待ってくれ。殺されたサクヤ・トオルは、ヤヘエの親族ではなかったのかね」
「それが、随分遠縁にあたる方を、無理矢理養子に迎え、サクヤ家に婿入りさせたのだそうです。身寄りがないうえ、実は発達障害のあった方で、人の言うことは何でも聞き入れてしまうような方だったとか」
「なんと」
「ミツは三年前にトオルと結婚しましたが、以前から村の寄合で知り合っていたクロサワに、想いを寄せていたそうです。勿論そのことも、ヤヘエの耳に入っていましたから、彼は上手く利用しようと考えたのでしょう」
「では、どんな手順でサクヤ・トオルは殺されたのだね」

教授の問いに、私はううん、と唸り、細切れになった思考を必死に繋いだ。

「四月十五日の朝食後、ミツと姪のサトコは、物忌みをしているトオルに白い布を巻き直し、それぞれの準備に入ります。十時頃、ミツに身代わりを頼まれたナカザワと、同じくミツに呼ばれたクロサワが、社務所の裏口にやって来ます。ナカザワは裏口からミツの部屋に入り、クロサワは外で待ちます。ミツはクロサワに、神社奥の祠まで一緒に来て欲しいと頼む積もりだったのだそうです。しかしその前に、婆やと呼ばれていたツネが現れ、裏手の奥、林の中にある石塔の前で待っていてくれと、ミツの言付けを伝えます。しかしそれは嘘でした」
「おや、どうしてツネが嘘をつく必要があるんだい」
「ひとつは、ミツと彼を会わせないようにするため。もう一つは、犯行に及ぶ際、少しでも社務所と家の近くから人を排除しておくためです」
「犯行」
「はい。トオルが物忌みをしている奥の間に、ミツとサトコのほかに、誰からも疑いをかけられず、入ってゆける人物がひとりだけいました。それがツネです」
「じゃあ、ツネがトオル殺害の実行犯だと?」
「そうです。ツネはトオルに声を掛け、足の布をほどいて立ち上がらせ、風呂場まで連れて行ったのです。彼は誰の言いつけでも、すぐに従う人物でした。そして足の布は、簡単にほどけるように縛ってあったと、サトコはそう話していました。そうしてその後は」
「また足に布を巻き直し、風呂にドボンと突き落とす、か」
「はい。遺体発見時、足の布の結びが他の部分と違ったことが、この推測を裏付けています」
「なるほどねえ」

ふう、と教授は息を吐き、大きな湯呑みから茶を飲んだ。そうして私に更に尋ねる。

「それで、ナカザワに宮司の身代わりをお願いして、ミツは裏の祠に行ったと。何をする積もりだったんだね彼女は」
「その祠には、例のカイコ石のカタワレ、具体的には猫の尻尾の部分が安置してあったそうです。それを取りに行き、彼女は神社の歴史を、観衆に明かそうと考えていたとのことです。翌日私が、ショッキングな形で見聞きしたような内容のことを」
「そうか。彼女なりに、祭を終わらせる覚悟をしていた、ということなんだね」
「そうです」
「そのナカザワの証言は、警察に採用されたのかね」
「まあ、立証出来る人が他にいないので、あくまで参考に過ぎませんが。それでも重要視されていることは間違いありません」

ナカザワは私に言ったものだ。警察なんぞ信用出来ないと。しかしあのミギシマという刑事、減らず口を叩く割に、仕事はきちんとやってのけるタイプの人間だったらしい。

「しかし、第一の殺人についてミツとクロサワの疑いは晴れるかもしれんが、第二の...」
「はい、それはミツが自供したとおり、彼女の単独犯行です。彼女は台所で食事の準備をするツネを問い詰め、毒の入った瓶を奪おうとして激しく抵抗され、絹糸の束でツネの首を、締めたのだそうです」
「ミツにとっては、まさに裏切られた、という気持ちだっただろうね」
「はい。小さい頃から世話をしてくれた人が、自分に毒を盛っていたなんて...。ツネはもともとヤヘエの叔父の嫁だったそうで、ヤヘエとの繋がりは強かったそうですが...」

言いながら、私は虚しさが込み上げて来るのを感じていた。信じていたものに裏切られる心持ち。
ミツの心情に自分を重ね合わせ、私は深い溜息をついた。

「ああそうそう、肝心なことを聞き忘れていたよ」

教授が裏返った声で言う。

「は?」
「猫だよ猫」
「猫」
「そのほら、小さな白い猫。うまいこといろんな場所に現れるもんだが、それは全て偶然だったのかね」
「いいえ、あの猫は、ヤヘエが人を使って、東京のペットショップで買ったものだそうですよ。それを谷の入り口で放したんだそうです。サトコに見つけさせるために。まあ、見つけて貰えなかったときは直接拝殿に忍び込ませる予定だった、とは、ヤヘエに雇われた人の証言ですが」
「ほう」
「ですから、サトコがカグラを舞っているときに現れたのも、ヤヘエの企てによるものです。雇われたのは麓の村の若者ですが、奥の祠で眠っていた仔猫を捕まえて、タイミングを見計らって拝殿の脇から放したのだそうで」
「ほう、なるほど。その他は」
「その他は...偶然としか、考えられませんね...」
「ふうむ、不思議なもんだ。つくづく猫づいていたんだねえ、今回は」
「はあ...」

本当にそうだ。いくらなんでも今回は、猫に振り回されてしまった。
いや、猫とはそうした生き物なのかも知れない。掴まえたかと思えば、するりと逃げてしまうような。
まるで私の幸せのようじゃないか。

そういえば別れ際、クロサワが言っていた。

「ミッちゃん、いや、ミツさんのことは、心配しないでくれよ。彼女が罪を償ったら、ちゃんと僕が支えるから」

そしてナカザワも。

「ミツ姉さんの居場所は、あすこしかねえんだ。俺ぁずっと、此処でミツ姉さんを支えて暮らすんだぜ」

烈しくも悲しい運命に見舞われたミツ。しかし、ちょっと妬ける。
それが彼女の、強さの証なのだろうか。

「ああ、こんな時間か。すまなかったね話し込んじゃって」

教授は湯呑みを持って立ち上がる。

「いえ、こちらこそ話を聞いてくださって、ありがとうございました」
「じゃ、報告書、頼んだよ」
「はい」

そうして教授は、私の研究室を出て行こうとしたが、

「ああ、そうだ。これこれ。国会図書館から電子複写が届いていたよ。例の天明三年の浅間大噴火の記録だ。図版が面白いから、参考になるだろう」

と、大きな封筒を私にくれた。
ひとり研究室に残った私は、椅子にどっかりと座り直して、ぷう、と天井に向かって息を吐いた。

あの桃源郷のような谷の風景。
美しいサトコの舞。
クロサワの笑顔。
ナカザワの歌。
そしてミツの、最後の舞。
全てが刺激的すぎた。私にとっては。

ふと、頭にジャニスのあの歌が浮かぶ。

Trust in me, baby, give me time, gimme time, um gimme time.
I heard somebody say, oh, "The older the grape,
Sweeter the wine, sweeter the wine."

 私を信じてよ ベイビー
 もう少し時間を ねえ少しだけ時間を 時間を頂戴 
 「ブドウの木が古いほど ワインは甘くなる」
 って 誰かが言っていたわ

私に足りないのは、時間だろうか。
あの美しく怖ろしい時間を消化するだけの時間。
あまりに私のこころに、強く突き刺さった日々を。

報告書にまとめ切ることが出来るだろうか。ぶんぶんと頭を振る。そうして

「ああ、そういえば」

教授の置いていった封筒を、開けてみた。

粗い電子複写の一頁目には、噴煙を噴き上げる浅間山が。
そして。

「えっ」

大きく羽根を広げた、カイコガが。
猫の頭をしたカイコガが。
逃げ惑う人々を導くように、悠々と、飛んでいた。




おしまい







いつも読んでくだすって、ありがとうございます


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