第二百八十四話 糸紡ぐ猫(其三) | ねこバナ。

第二百八十四話 糸紡ぐ猫(其三)

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華やかな祭の雰囲気から一転、シライトサワは、物々しい雰囲気に包まれてしまった。
社務所を兼ねたサクヤ家の風呂場に浮かんでいたのは、やはりミツの夫サクヤ・トオルだった。死因は溺死。布で巻かれて身体の自由を奪われたまま、風呂場に突き落とされたものとみられる。自殺や事故の可能性が薄いとみて、警察は殺人事件と断定した。
私は動揺するサトコをなだめようとしたが、彼女はいの一番に事情聴取に連れて行かれてしまった。
そして、たった一人で随分待たされた後、ただの闖入者である私に対しても、聴取は容赦なく行われた。

「ええと、祭の調査、ねえ。ふうん、女ひとりで」

県警の刑事を名乗るミギシマは、じろりと私をねめつけた。
正直、私はこういう、はなから人を見下したような態度の男は嫌いだ。

「はい。それが何か」
「何かってさ。不自然じゃないか」
「そんなことありません。大学からの公文書もありますし、地元の方の許可も得ています。なぜ不自然なのですか」

私はいらいらして、噛み付いた。

「ふん、まあいい。それで、ガイシャの死亡推定時刻、午前十時三十分、あんたは何処にいたね」
「拝殿と本殿の回りを撮影した後、ずっと境内にいて、村の皆さんから祭についての聞き書きをしていました。」
「その後は」
「祭が始まってからは、拝殿の前で、カグラを撮影していました」
「なるほど、ねえ。みごとなアリバイだこと」

いちいち勘に障る、この男。私は思いきり睨み返してやった。

「で、昨日泊まったんだね、宮司の家に」
「はい」
「何かおかしなことはなかったかね。変な噂を聞いたとか、不審な人物が出入りしたとか」
「いいえ」
「本当かね」
「はい」
「ふうん。では、クロサワ・タロウという男、あんた知っているね」

その名を聞いた途端、あの微かな声が、私の頭の中に蘇った。

「...駄目なの、駄目なのよう私は、タロウちゃんがいないと」
「...だって旦那はどうするんだよ」
「...あんな操り人形みたいな人、どうでもいいの。私は、私は」

「どうしたね」
「えっ、いえ」
「知っているね、クロサワを」
「はい。調査の口利きをしてくださいましたし、この神社まで案内もしてくださいました」
「ほう。彼の言動に不審な点は」
「は」
「不審な点はなかったか、と訊いているんだよ」

ミギシマは片眉を吊り上げ、じいと私の眼を覗く。負けない。何か意地のようなものが、私の中に巻き起こった。

「不審とはどういう意味ですか」
「なに?」
「私は部外者ですし、クロサワさんのことはほとんど何も知りません。何をもって不審とするのかが私には判りません」
「けっ、口の減らねえ女だなあ、おい」

ミギシマは、後ろに控えている村の巡査に、大きな声で呼びかけた。マユズミというその巡査は、はあ、と頭を掻くばかりだ。

「あんた、何様のつもりだ。部外者のくせに、真っ先に社務所ん中に飛び込んでったってえじゃねえか」
「悲鳴が聞こえたから、何かあったと思ったんです」
「それにしちゃ動作が機敏すぎるな。ひょっとして何か吹き込まれでもしたんじゃねえか」
「いっ、いったい誰に何を、吹き込まれたっていうんです」
「さあねえ」

突っ込んでははぐらかし、ボロが出るのを誘う。こういう奴等の常套手段だ。
奴等の思い通りになんかなるもんか。
それに、私は。
私は。

「まだ私の問いに答えてませんよ。いったいクロサワさんの、何が不審なんです」
「じゃあはっきり言おうか。クロサワという男と、殺された宮司の妻ミツとの関係に、俺は着目してるんだ。あんた、昨日の昼間に此処に来て、そして此処に泊まったんだろ。クロサワとサクヤ・ミツの間柄はどんなふうに見えたかね」
「どうって...親しく話してらっしゃいました」
「親しく話していた! そうだね。おいちゃんと書いとけマユズミ」
「なっ、何ですかいきなり」
「つまりだな」

ミギシマはにやりと口の端を上げて、さも得意そうに話した。

「クロサワ・タロウとサクヤ・ミツはいい仲だった。一方、どうやらミツと旦那のトオルは、さほど仲の良さそうな感じじゃあなかったという。調べによれば、この神社で執り行う大きな祭は、今日で最後にするってことらしいな。そうすりゃミツは、この神社ともおさらば、自分を縛っていた役目もなくなると。そこで二人は一緒になろうと考えた。しかしミツにはトオルという旦那がいる。旦那がミツと別れることを強硬に拒んだらどうなるね」
「どっ、どうなるって」
「そりゃあ邪魔になるよなあ。思い詰めた二人はトオルを殺した。モノイミとかなんとかいってぐるぐる巻にして、そのまま風呂の中でドボンさ。ひとりなら難儀だろうが、二人いればあんな細身の男、運ぶのは訳ない」
「そんな! だってミツさんは祭の準備で」
「準備で奥に籠もって、誰にも姿を見せてねえんだよ、あの女はさ。そしてクロサワも、聞き込みによると午前十時頃には、境内から姿を消している」
「あっ」

社務所に行く用がある、とクロサワは言った。それ以降は私も彼を見ていない。

「そして、サクヤ・トオルは本来、あの拝殿で祝詞をあげているはずだったそうじゃないか。ミツがすり替わっていたんだって? は、代々そうしてきた、ね。まあ誰にも判らねえんだから、何とでも言えるさ」

大きく手を広げて、ミギシマは皮肉たっぷりに言う。私はいきりたって叫んだ。

「だっ、だって、そんな、旦那さんを殺したって、すぐばれてしまうじゃないですか。現にサトコさんが」
「そうさ。あれは奴等にとっては計算違いだったんだな。まさか猫を抱えて逃げ、風呂場に隠れようなんていう娘が、あの時間にいるなんてな。まさにお猫サマサマだ。もし猫がいなくて、あのまま祭が順調にゆけば、だ。湯船で溺れちまった旦那を、後でゆっくり穴でも掘って埋めちまえば、誰にも判らねえよ」
「そんな...そんな...」
「公衆の面前で祝詞を上げていたはずの宮司が、忽然と姿を消す。誰にも知られずに。おいマユズミ、こういうのヨコミゾセイシか何かになかったか、ほらキンダイチとかいうタンテイが出てくる本さ」
「さあ、自分はあまり本読まないもんで」

信じたくないという気持ちはある。しかし。

「...ミっちゃん、落ち着けって」
「...どうせ何も聞こえないわ、ねえ」

あの声が頭にこだまする。
私は頭を抱えて、低く呻いた。

「やれやれ、お疲れのようだな。まあ、まだ断定したわけじゃねえんだが、俺はこの線以外はないと思ってる」
「...」
「クロサワとサクヤ・ミツは、重要参考人だ。じっくり話を聞くために街の警察署に移送するから、姪御にはそう伝えてくれ。明日また来るからよろしくな。おいマユズミ、この人もういいぞ、帰ってもらえや」
「は、はいっ」

そうして私は巡査に付き添われ、取調室と化した社務所の一室を、のろのろと出ていった。

  *   *   *   *   *

「サトコさん、入るわよ」
「...ハルカさん、私...」

サトコの部屋に入ると、彼女は私に飛びついて来た。小さな背中をさすりながら、私は大丈夫、大丈夫と繰り返すだけだ。

「どうしよう、私が、私が」
「落ち着いて。さっきも言ったでしょう。あなたのせいじゃないわ」
「だって、だって」

しゃくり上げるサトコを座らせて、私は必死になだめた。すると、

「入っていいかね」

障子の向こうで、野太い声がした。

「...どうぞ」

ずるりと障子を開けて入って来たのは、氏子総代のカミヤ・ヤヘエ。そして村の長老たちだ。

「何か御用でしょうか」
「...あんたら、とんでもないことを、しでかしてくれたな」

ヤヘエは口を震わせて言う。

「とんでもないこと?」
「猫を入れたからだ。この谷によう。だから宮司さんも奥さんも」
「ごめんなさい、ごめんなさい」

がばとサトコが平伏す。

「私がいけないんです。私があの子を村外れで拾って来たから」
「なんだとう」
「そんなに怖ろしいことがあるなんて、知らなかったです。ほんとうです」
「ちょっ、ちょっとサトコさん!」

私はサトコの肩を掴んだ。

「落ち着いて。そんなのおかしいわよ。猫が来たからトオルさんが死んだ? そんなこと、ある訳ないじゃないの。もっと冷静になって」
「私がいけないの、私が」
「そんで、どうしたんだ猫は。何処にいる」

はっとサトコが顔を上げる。そういえば風呂場の前で屍体を発見したとき、仔猫はもういなかった。サトコは震える声で言う。

「...判りません...」
「判りませんだああ」

ヤヘエが裏返った声を出す。私はたまりかねて、サトコとヤヘエの間に割って入った。

「ちょっと、いい加減にしていただけますか。人が一人亡くなったんですよ。それもこの子の近親者が」
「そうさ。俺たちにとったって大事な人だ」
「だったら、もう少し言葉を選んだらどうですか。いくらその言い伝えとやらが怖ろしいものでも、あなたたちに身の危険が及んでいる訳じゃないでしょう。なんです、小さい女の子ひとりに、大人が寄って集って。見苦しいったらありゃしない」
「なんだとう」

ふるふる、と、ヤヘエは頬の肉を震わせ、やがて低い声で言った。

「あんたにゃ、判らねえ。こういうことがあればな、谷の者はみいんな、出ていっちまうんだ。理屈じゃねえんだよ」
「...」
「禁忌を破るってこたあ、そういうことだ。もう此処はおしまいだ」

そうして、ヤヘエと長老達は、私たちを睨みつけ、ぞろぞろと部屋から出て行った。

「どうしよう、ハルカさん、私」
「大丈夫、あんな小さな猫が災厄だなんて、そんなことあるもんですか。私こう見えても、そういうことに詳しいのよ」
「...ほんと?」
「ええ大丈夫よ、心配ないわ。ミツさんたちの疑いだって、きっと晴れるわよ」
「...そうね、そうよね」
「仔猫は、あした探しましょう。きっともう何処かで眠ってるわよ」
「...はい、ありがとう、ハルカさん」
「さあ、今日は此処にはいないほうがいいわ。街のおうちにお帰りなさいな。誰か送ってくれる人を探しましょう」

そうして私達は、サクヤ家から、ひとまず離れることにした。
幸い、クロサワの友人のナカザワが、まずサトコを街の家まで、そして私を村の宿へと、送ってくれることになった。

  *   *   *   *   *

トラックの荷台の上で揺られながら、サトコは私に、事の顛末を話した。
昨日の朝、私がシライトサワに来る前に、サトコは集落の外れを散歩していたのだという。そこに、あの真っ白い、胴の長くて足の短い、不格好な仔猫が現れたというのだ。

「親猫の姿もなかったし、どうしてだろうって、不思議だったんです。だから私が拾ってあげないと、可哀想かと思って。猫の言い伝えは知っていましたけど、そんなの迷信だって思ってましたから」
「それで、猫は社務所の中で飼ってたの」
「いいえ、神社の本殿のずうっと後ろに、祠があるんです。そこなら誰も来ないし、見つからないと思って。鰹節とごはんを混ぜたのを餌にして、私が使っていたタオルを寝床にしてあげたんです」
「そう」
「それで、祭が終わったら、街の家に連れて帰ろうと思ってたんですけど...」

サトコは心配そうに谷のほうを見る。

「大丈夫。ごはんもあげてあって、寝床もあるなら、心配ないわ、きっと」
「そうですね」

夕陽に照らされて、サトコの笑顔が光った。
この子の心配を、なんとか取り除いてあげたい。私はそんな衝動に駆られた。そして、

「サトコさん、もう少し、教えてくれないかしら。今日の午前中のこと。警察に話したことを、私にも教えてほしいの。ううん、もし厭だったらいいのよ。辛いことかも知れないから」

と、頼んだ。

「はい...ええっと...」

サトコが話すミツとサトコ、そして亡くなったトオルの様子は、こうだ。

午前八時。食事を終えたミツは風呂で沐浴し、サトコは自分で化粧をし飾り物や衣裳の準備を整えた。
九時。沐浴後に本殿でカグラの前の神事を終えたミツは、サトコと共に物忌み中のトオルのもとへ行き、白い帷子に身を包んだ彼の顔と手足に布を巻き直した。

「でも、見た目はぐるぐる巻きですけど、そんなにきつく巻いてないんですよ。こう、引っぱればすぐにほどけるような結び方にしてありましたし」

と、サトコは布を引っぱるような仕草で説明する。

十時。笛と太鼓の演奏を務める長老二人が社務所にやって来る。彼等は御神酒を飲んで、玄関に待機。ミツとサトコは衣裳を着込んで、ミツは奥の間の近くで、サトコは玄関で、それぞれ待機する。
十一時。太鼓の合図とともに、長老二人とサトコがまず、渡り廊下を伝って拝殿へと向かう。そのあとをゆっくりとミツがついて来た、はずだ、とサトコは語った。

「はずだ、って」
「いえあの、刑事さんに何度も質問されたんですけど、私、衣裳を着てからは、おばさまの顔を一度も見ていないんです。おばさまは顔の見えない衣裳を着てしまったから、間違いなくあれはおばさまだ、って、言えないじゃないですか」
「ああ、なるほど。そういう意味ね。ってことは、最後にミツさんの顔を見たのは、笛と太鼓の係の方たちに御神酒をあげたところ、ってことよね」
「はい、そうです」

つまり、少なくとも十時から十一時の間、ミツにアリバイはないということになる。トオルの死亡推定時刻は十時三十分。これでは疑われても無理はない。

「ああ、そうそう」

私は大切なことを訊くのを忘れていた。

「あのね、クロサワさんは、社務所にみえたかしら、十時頃」
「クロサワさん? いいえ、私は見ていないですけど」
「そう...」
「ああ、婆やはいましたよ。ちらりと見ただけですけどね」
「婆や。ツネさんのことね。ツネさんは、ずっと社務所、あるいは家の中にいたのかしら」
「ううん、どうでしょう。そういえば、去年は境内で総代さんたちを手伝ってたんですけど...」

ツネか。また一人考慮に入れるべき人が出て来た。

「ああ、着きました」

トラックが、大きな造り酒屋の前で停まる。

「じゃあ、ハルカさん、ありがとう」
「いえ、こちらこそ。気を落とさずにね」

私はサトコの手を、ぎゅっと握りしめた。彼女は一瞬、泣き笑いの表情を見せたあと、足早に大きな門の向こうへと、走って行った。

「先生、助手席乗んなよ」

ナカザワが、私の背中に、明るい声を投げ掛けた。

  *   *   *   *   *

「ゆー、せーだっつぉーば、べいべー、ってか」

ナカザワは、ジャニスの曲を大声で歌いながら、トラックを軽快に走らせた。
この男、ほんとうにジャニスが好きらしい。

「音楽、お好きなんですね」
「あ、何だって」
「おんがく、が、おすきなんですね」
「ああ、そうさ。車に乗るときはよう、こうやっていっつも歌うんさね」

と、ノリにノってハンドルをさばくナカザワは、終始ごきげんのように見える。が、

「あんなひどい事件があったあとならよう、なおさらだんべ。好きな歌でも歌わねえと」

彼なりの、哀しみ方なのかもしれない。

「ナカザワさんは、谷で畑をやってらっしゃるんですか」
「そうさ。コンニャクとネギと、あといろいろな。米はあんまし作れねえけど」
「あの、ご家族は」
「俺と婆ちゃんの二人暮らしだ。父ちゃんも母ちゃんも、終戦前に死んじまったからな」

随分と明るい声で、ナカザワは言う。クロサワと同じくらいの歳だとすれば、三十と少しといったところか。
気さくに話に応じてくれそうなので、私は谷の集落のことを訊いてみた。

「シライトサワにお住まいの方は、カミヤ姓とナカザワ姓の方が多いんですね」
「ああ。カミの神社ん家だけが、代々サクヤなんだな。んでその下にカミヤがあって、その下にナカザワがある」
「場所によって違うんですか?」
「そうさ。だいたいな」
「総代さんもカミヤですよね」
「まあな、ヤヘエの家からしか総代にゃなれんもん。俺たちゃそういう生まれじゃねえから」
「そうなんですか」
「ヤヘエは県会議員だし、製薬会社の社長も、街の病院の理事長もしてるしな。あすこの家は代々そうなんだいね。けっ、いけすかねえ」

小さな集落でも、やはり人間関係は複雑なものらしい。
それにしても、ヤヘエのカミヤ家がそんな名士だったとは。人は見かけによらないものだ。

「そういえば、サトコさん家もカミヤ姓でしたよね」
「ああ。元々ヤヘエんとこの分家だそうだから、あの酒屋。でも今はそんなに付き合いはねえみたいよ。祭の酒をそこから持ってくるくらいかな。ああでも」

んん、とナカザワは首をひねった。

「神社のサクヤ家の男はよう、必ずカミヤの家の何処かに婿に行くことになってんだと。サトコちゃんの父ちゃんもそうだしな。ま、谷ん中の家に婿入りするのはアレだってんで、外の街に行くことが多いんだそうだけどなあ」
「はあ」
「サクヤの家はずっと女主人が仕切ってて、カミヤの家から婿が来るんさ。これも昔っから決まってるみてえだな」
「あっ、そうなんですか。じゃあサクヤ家とカミヤ家は」
「まあ濃いぃ血縁みたいよ。んでも、そんなに仲はよくねえな。へへへ」

なるほど。そういう関係だったのか。

「ミツさんのご主人は、ヤヘエさんのところから婿にいらしたんですか」
「いんや、あれはどこだっけ...。そうそう、ヤヘエが理事長やってる病院の院長がさ、これまたカミヤてんだ。そこの三男坊じゃなかったっけかな」
「ご親戚どうしなんですね。じゃあよくお知り合いで」
「いんや全然。ミツ姉さんは、結婚するまで顔も見たことなかったって言ってたで」
「まあ」
「可哀想によう、ミツ姉さん。知らねえ男と結婚させられてよう。いくら悪い人じゃねえったってさあ、今の時代、も少し考えてやったっていいだんべ。なあ先生」
「まあ...そうですね」

ナカザワはミツを「姉さん」と呼んだ。いかにも親しげなその言葉に、私は興味をそそられた。

「ミツさんとは、仲良しでらっしゃるの」
「え? 俺かい? いんやあ、谷の男衆はみんなミツ姉さんが好きさ。ヤヘエみてえなクソジジイはどうか知らねえけど」
「あら」
「俺なんか、餓鬼の頃、父ちゃん母ちゃんがいねえんで、よく神社で遊ばしてもらったり、ミツ姉さんのおっかさんにかわいがってもらったんさね」
「そうでしたか。じゃあミツさんとは幼馴染みで」
「そうだいねえ、餓鬼の頃からずうっと、いっつも優しくしてもらってるよう」

そう言ってナカザワは、遠くを見るような眼をして、

「あんなことになっちまって...。可哀想に」

独語のように、呟いた。
しばし沈黙が流れたが、私はナカザワにも訊いてみることにした。猫のことを。

「ナカザワさんは、言い伝えご存知ですよね。猫の」
「ああ、勿論さ」
「どう思います」
「どうって、何さ」
「猫、お嫌いですか」
「ああ嫌いさ。いんや、嫌いってえか、おっかねえな」

口をねじ曲げてナカザワは言う。

「ど、どうしてですか」
「どうしてって、先生は嫌いじゃねえの」
「はあ、別に」
「そっかい。すげえな先生は」
「あの、どうしてそんなにお嫌いなんですか」
「だってよう、おっかねえよ眼がぎらんとしてさ」
「はあ」
「俺ぁ婆ちゃんに、さんざ聞かされて育ったからさ。怖ぇ話をさ」

彼は肩をいからせて、ぶるぶると顔を震わせる。そうして、

「それにさ、婆ちゃん、言ったんだ。俺の父ちゃん母ちゃんも、猫に殺されたんだと」
「こっ、殺された?」
「ああ。戦争が終わる、ちょっと前だったそうだ。俺は小さかったから、ろくに覚えてねえけどさ」
「殺されたって、あの、まさかそんな」
「本当なんだって。婆ちゃんが言うんだから。この眼で見たから間違ぇねぇってさ」

真逆化け猫伝説でもあるまいに。猫に殺されるとは、どういうことだろう。
私がツネから聞いた言い伝えとも、何か関わりがあるのだろうか。

「あの、ナカザワさん」
「あん」
「申し訳ありませんけど、お祖母様のお話、聞かせていただけませんか」
「へ? 猫の話かい」
「ええ」
「どうしてさ」
「私どうにも腑に落ちないんです。今度の事件も、そしてシライトサワの猫伝説も」
「そうなんかい。何かの役に立つんかい」
「いえ、まだ判りません。ですけど、今あの谷で起こっていることの、何かしらの手掛かりにはなるような気がしますので」

ナカザワは呆れたような顔で私を見たが、やがて真面目な表情になり、私に問うた。

「先生、この事件、どう思うんだい」
「は」
「ミツ姉さんとタロウちゃんが、やっぱり犯人だと思うかい」
「...いえ、あの...」
「どうなんだい」
「...判りません。でも、あの刑事さんの見立てどおりとは、どうも思えなくて」
「そうかい」
「何か見落としてるんじゃないかと。もっと違う、眼に見えない糸が、張り巡らされているような、そんな気がして」
「じゃあ、ミツ姉さんとタロウちゃんは犯人じゃねえと、あんた、思ってるんだな」

私はこくりと頷いた。

「本当だな」
「ええ」
「そうか。んじゃ、俺に出来ることなら何でもすべえ。今日はもう遅ぇから、明日の朝迎えに来てやるよ」
「助かります」

トラックは村の小さな宿屋の前で止まり、私を降ろして、けたたましい音を立てて山道を登っていった。
橙から紫へと変わりつつある夕暮れの空に、だんだんだんだん、と鳴るエンジン音がこだましていた。

ぽつねんと空のてっぺんで光る星を見て、私はふう、と息をついた。




つづく







いつも読んでくだすって、ありがとうございます


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