第二百八十三話 糸紡ぐ猫(其二) | ねこバナ。

第二百八十三話 糸紡ぐ猫(其二)

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※ 前回 第二百八十二話 糸紡ぐ猫(其一)


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「...まだ持ってんのかよ、そのヘルメット」

あんたが私にくれたんじゃないの。

「...何が自己否定だよ。結局ただのブームだったんだよ。お笑いだ」

あんたあんなに一生懸命だったじゃないの。

「...内ゲバで何人死んだって? 馬鹿馬鹿しい」

あんたの知り合いもいたのよ。

「...ふん、メルセデス・ベンツかよ。耳障りな声だなそれ」

あんたがジャニスを教えてくれたのよ。

「...俺は役人になる。日本を変えるなら内側からだ」

なんでそんなに簡単に変われるの。

「...だからこんな写真捨てちまえって」

厭よ。

「...どけよ」

厭よ。

「...どけったら」




  *   *   *   *   *

「...はあっ、はあ、はあ」

うっすらと、障子の向こうが明るくなっていた。
厭な夢を見た。
どうして今頃思い出すんだろう、あの男。とうの昔に振り落としたはずなのに。
学生運動が高ぶりをみせていたあの頃。私は拳を振り上げるあの男に、夢中だった。
必ず理想へと、導いてくれると思っていた。
学業なんかより大事なものがあると思っていた。
それなのに。

「しっかりしろ、ハルカ」

独語して、ぱんぱん、と頬を叩く。朝の冷たい空気が、上半身を包んでゆく。
一九七三年四月十五日。その日を、私は迎えた。

  *   *   *   *   *

お膳の並べられた居間で、私はミツとサトコと共に朝食をとることになった。
ミツはにこやかに私に礼をし、サトコはぎこちなく頭を下げる。
私はミツに前日の無礼を詫びたが、ミツは何でもないと言って笑った。

「それより、今日はしっかり取材してくださいな」
「はい、それはもう」

ミツの笑顔に励まされたが、またしても気になった。夫のサクヤ・トオルがいない。
余計なこととは思ったが、たまりかねて訊いてみた。

「あのう、旦那様は今どちらに」
「ああ、あの人は、物忌みをしております」
「モノイミ、ですか」
「ええ。この祭のなかで、男が関わる大事な儀礼のひとつです。精進潔斎して奥の間に籠もり、祭が始まるまで、外に出てはいけないのです。そのあと、彼が拝殿で祝詞をあげて、カグラが始まります」
「そうでしたか」
「...と、表向きはそうなっておりますけれど」

ミツは、一瞬表情を曇らせたが、やがて思い切ったように、言葉を接いだ。

「昨日お話いたしましたとおり、神事の殆どは私が司っておりますから、彼に祝詞はあげられません。ですから拝殿で祝詞をあげる役目は、夫になりかわって、私が行うのです。烏帽子の下に布を垂らして、顔を隠しておりますので、参拝者には見えないのですが。これも表向き男が祭祀を司るという形式を整えるための、苦肉の策なのです」
「そうですか、では、その間旦那様は」
「奥の間で物忌みを続けます。目隠しをし、耳と口を塞ぎ、両手両足を白い布で巻いたままにします。まるでおカイコが繭にくるまれるように。これもまた、大切な意味を持つものなのですよ」
「はあ」
「勿論その間は、飲食することも、用を足しに行くことも出来ません。ですから、相当に厳しい行なのですが、三年に一回、彼はこれに耐えて貰わねばなりません」
「いつからその状態に」
「昨日のお昼過ぎから、ですわね。ヨシムラさんを蚕屋にご案内して、そのすぐ後のことです」

ということは、かれこれ十数時間、サクヤ・トオルはそんな状態でいるわけだ。彼が白い布でぐるぐる巻きにされている様子を想像し、私は少し気分が悪くなった。

「おじさま、かわいそうなんです。前回のお祭の時なんか、布をほどいて差し上げたら、急いでお便所に駆け込んで」

サトコが苦笑するように言う。

「こらサトコ、はしたない。何ですお食事中に」
「あっ、ごめんなさい、おばさま」

どうやらサトコは、昨日のことは棚に上げて、私に接しようとしてくれている。私はそれに応えなければと思い、精一杯の笑顔を作った。
しかし。

「...どうせ何も聞こえないわ、ねえ...」

昨日漏れ聞こえてきた、ミツの言葉が、頭にこだまする。
あれは一体。

「さあ、私たちは準備がありますから、ヨシムラさんは、祭が始まるまで、どうぞゆっくりなすってね。もうそろそろ谷の人達が集まって来る頃ですから、色々お話を聞くといいですよ」

ミツはそう言って立ち上がり、サトコはすいとその脇についた。

「はい、ありがとうございます」
「十一時にはカグラが始まります。ああそれから、申し訳ないのですけど、これからは大事な神事がありますので、社務所の奥と拝殿への立ち入りは、ご遠慮くださいな」
「承知しました」
「では、のちほど」

と、ミツとサトコは、家の奥へと消えていった。
私がぼんやりと座ったままでいると、

「おさげしますよ」

と、ツネがひょこひょこと現れた。

「ああ、お手伝いします」
「いいですよお客様なんだから」
「いいえ、どうも落ち着かなくて。ぜひ手伝わせてください」

私は無理矢理、ツネについて台所へとお膳を運んだ。そうして洗い物を手伝いながら、神社や宮司の一家、谷の集落について聞くことにした。

「ツネさんは、いつ頃からこちらに」
「ああ、先代の大奥様がお若いときから、ずっとここで働かせていただいてるんです。奥様はこーんな、ちっこい可愛い娘ッ子だったんですよう」
「ミツさんは、おきれいな方ですねえ」
「そりゃあもう。奥様はお若い頃、とてもおもてになったんですよ。盲学校を出てから、本当は大学に行きたかったそうだけど、家を継がなきゃなんねえんで、諦めなさったんです。おかわいそうに」
「そうですか」
「ああ、そのお茶碗、こっちにくださいな」

ツネは、私の持っていた茶碗を、ひょいと取り上げた。茶碗の底には、赤い点がひとつ付いている。

「あら、それはどなたのお茶碗ですか」
「これはね、奥様のなんです」
「それだけ印がついてるんですねえ」
「そうです、間違わねえようにね」

と、ツネはさっさと茶碗をゆすいで、他の食器とは別の洗い駕籠へと入れた。

「間違うといけねえから、間違うと」
「そうですか」
「ええ」
「お祭が終わりになってしまうの、残念ですねえ」
「まあねえ、ますます人が集まんなくなっからねえ。若い人たちがここから離れていくのは、やっぱり淋しいもんでさあねえ」

あまり表情を変えずに、つらつらと話をする人だ。この人からは、例の話が聞けるだろうか。

「そういえば、あの、猫のことですが」
「は、猫」
「ええ、怖い言い伝えがあるとかで」
「そうですよう。そらあ怖ろしいんですよう」

ツネは洗い物の手を止めて、ぼつりぼつりと話し始めた。

「あたしも、あたしの婆さんから聞いた話だし、ぜんぶ覚えてっか、知んねえけど」

  *   *   *   *   *

むかしむかし。
シライトサワでは、ほそぼそとおカイコをやってたんだと。
売るわけでもなく、ただ自分たちのために、すこうしずつ、おカイコを育ててたんだと。
そうしたら、あんまし、ええ糸がとれるもんで、遠くの街から買い付けに来たんだと。
それがうわさになって、まあ、都のほうからも、絹糸を買いにくるようになったんだと。
あんましたくさん、ほしいほしいって言われるもんで、手が足りなくなってきた。
とくに、ネズミが悪さするもんで、それを追っぱらうのがたいへんだったんだと。
そこに、東のほうから猫が連れられてきた。真っ黒で、しっぽのぴいんと立った、いい猫だったんだと。
よくネズミをとるもんで、たいそうかわいがられていたんだと。

それがよう。
神社の娘っこと、いい仲になっちまった。猫だよ。猫が人間と、いい仲になっちまったんだよ。
そうしてよう。娘っこは、猫の子どもを生んじまった。

眼も口もない、まるでイモムシみてえな子だったそうだ。

神社の神職はたいそうおこって、娘っこを太刀で斬り殺してしまったんだと。
そうしたら、その娘っこに、猫がよりそってよう。
さんざ、神職に恨み節を吐いたんだとよう。
なんで猫じゃいけねえのかって。
なんでこの娘っこ、殺さねばなんねえのかって。
神職はまたまたおこって、猫の眼と口を火箸で焼いたんだと。
眼も見えねえ、物も食えねえ猫は、苦しみながら、神社の裏山によじ登って、そのまま死んでしまったんだと。

あとに残った猫の子は、背中に白い羽根をはわして、ばたばた飛んでいったんだと。
その羽根の粉が、谷じゅうに降り積もって。
谷で飼っていたおカイコは、いっせいにガになっちまって、東の空に、ぜえんぶ飛んで行ってしまったんだと。
あとに残されたひとたちは、おカイコがいねえんで、ひもじい思いをしたんだと。
粉が降り積もった畑は、使いものにならなかったんだと。
無事に冬を越せたひとは、片手ほどもいなかったんだと。

それからというもの。
おカイコは飛んでは逃げねえけれど、猫が来たときだけ、そのことを思い出して、飛んでいくんだと。
だから、猫はぜったい、谷に入れちゃなんねえって、そういうことだ。

  *   *   *   *   *

「それはまた...ずいぶん具体的な...」
「そうだよう。だから怖ろしいんでねえですか」

私は身震いした。
またあの石が頭に浮かんで来る。
あれは猫、いやカイコなのだ。カイコで猫なのだ。
頭の中がぐらりと揺れる。

「どうしなすった」
「い、いえ何でも」
「大丈夫かえ」
「はい、す、すみませんお忙しいのに。失礼します」

私はよろよろと台所をあとにした。
確かに怖ろしい。しかも救いのない話だ。だが、どうにもひっかかる。
もやもやと考えながら、私はあてがわれた部屋に戻り、カメラを首にかけ、取材の準備を整えた。

  *   *   *   *   *

午前九時を待たずして、谷の人々はぞろぞろと神社の境内に集まり、テントを張ったり机を揃えたりしている。
氏子総代のカミヤ・ヤヘエの姿も見えたが、私は彼の眼に届かぬよう、そろそろと陰に隠れるようにして、社殿のまわりを歩きながら、その建物をカメラに収めた。
現存する建物は江戸後期のものだという。所々彩色の痕跡はあるが、長いこと塗り直しはされていないようだ。そして奇妙なことに、割に立派な建築であるにもかかわらず、装飾的な彫刻が一切ない。
いや、あったのかも知れない。というのも、軒や突き出した柱の先を、チョウナのようなもので削り取った痕が何カ所もあるのだ。
まるで、そこにあったものを剥ぎ取っていったかのような、そんな不自然な姿。
私はますます、この神社の奇異さを感じていた。

「おや、ヨシムラさん、おはよう」

と後ろから声をかけてきたのは、クロサワだ。
私は昨日のことを詫びたが、彼もまた、笑いながら気にするなと言う。

「それより、もう大丈夫ですか」
「ええ、このとおり」
「そうですか、よかった」

にこにこするクロサワを、私はしばし観察した。快活な性格、陰に籠もることのない言葉遣い。女の子には人気がありそうだな、と、ふと思ったのだが、

「...どうしました?」
「いっ、いえ何でも」

あまりじろじろ見るのも不自然だ。昨日漏れ聞こえた会話のことは気になるけれど、それも彼等どうしのことだから、私のような余所者が関わる筋合いのことではない。
それより気になることを、私はクロサワに訊いてみることにした。

「クロサワさん、あのう、猫の言い伝えは、ご存知でしたか」
「猫? ああ、総代さんが血相変えたやつ。まあだいたいのことはね。でもどうせ迷信でしょう。猫なんて、麓の家じゃけっこう飼ってますよ」
「そうですよね...。でもやっぱり気になって。どうしてそんなに怖ろしがるのか」
「僕は、化け猫伝説みたいなもんかと思ってましたが」
「化け猫の類は、たいてい主君や飼い主の仇、みたいな話が多いんです。蚕にまつわる娘と動物の話なら、他にもあるんですが。例えば『遠野物語』にもあるオシラサマの話」
「オシラサマ、ですか」
「ええ、東北地方に伝わる民間信仰です。それに関して、馬と村娘との恋の話が残っているのです。馬と娘がいい仲になってしまい、娘の父親は怒って馬を殺し、桑の木に吊してしまう。娘はそれにすがって悲しんだので、父親は馬の首を切り落としてしまう」
「...それも怖いですね」
「娘がその首にすがると、首は娘ごと空に飛んでいってしまうんです。その馬と娘が、オシラサマという神様になったと」
「神様に?」
「ええ。特に養蚕の神様として信仰をあつめています。つまり悲恋を遂げた彼等は、いわば豊穣のシンボルになったんです」
「なるほど」
「この例に限らず、男女の交わりは、どんな種類のものであれ、多産や豊穣へと繋がることが多いのです。しかし、この谷の言い伝えは、それとは明らかに違います。まるで何かを排斥しようとするような感じがして」
「排斥、ですか」
「そう、猫に象徴される何かを...」
「ふうん...言われてみれば、ねえ。そんなこと、考えたこともなかったなあ。すごいねえ、やっぱり学者先生は」

クロサワは妙に感心している。私は照れてよいものやら判らず、ただ俯いて、考えを巡らせていた。

「おっと、いけない。僕はちょっと社務所に用があるので、これで失礼」
「あ、はい、すみませんお引き留めして」

私が頭を下げると、クロサワは手を振って、小走りに社務所へと向かった。
境内には次第に賑やかになり、団子を焼くいい匂いが、漂ってきた。

  *   *   *   *   *

午前十一時、どん、どん、と太鼓が鳴り、社務所から渡り廊下を伝って、煌びやかな衣裳に身を包んだサトコが現れた。
すでに村人への取材をひととおり済ませておいた私は、ここぞとばかりにカメラを構える。養蚕の神として摺物にもよく現れる「キヌガサミョウジン」に扮したサトコは、開け放たれた拝殿へと進み、あのカイコ石の前で、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
その後に、烏帽子を被り顔を布で隠した宮司、つまりミツが続く。すっぽりと顔も後頭部も隠れているし、大きめの衣裳をまとっているので、それがミツとは全く判らない。サクヤ・トオルであると言っても、誰も疑いはしないだろう。
拝殿の一番奥、本殿に向かってミツが座し、幣束を振って祝詞を上げる。まるで男性の声のように太く、低く響いて来る。それに祝詞の文句は聞き取りづらく、まるで真言宗のお経のようだ。
低い唸り声のような祝詞が途切れると、太鼓と笛だけの簡素な楽が鳴り始め、ゆっくりとサトコのカグラが始まる。白塗りにきりりと紅をひいたサトコの顔は凛々しく、面を付けるまでもなく、神に近い存在となってそこに在った。
しゃりん、しゃりん、と両手に持った鈴が鳴る。
その動作は、神から蚕を授かり、その世話から収繭までの一切を示しているといわれる。
そして時折、しゃんしゃんしゃん、と早いリズムを刻み、くねくねと手首を返す動作がある。
まるで何かを狙っているように。
ああ、それはまるで、ネズミを狙う...。

優雅で荘厳な舞は、参拝者の視線を釘付けにした。
私もファインダー越しに、サトコの挙動ひとつひとつに、見とれていたのだった。

「きゃあう」

突然、気の抜けた何かの鳴き声が聞こえた。
サトコがびくりと震えて舞を止める。そして眼を見開く。

「ああっ、な、何だあれは」

参拝者が指差す先には。

「きゃあう」

ちいさな生き物が。

「だっ、駄目っ」

サトコが叫ぶ。
社務所のほうから、拝殿の奥にしつらえられた祭壇の脇へと、ひょこひょこと歩いてくる、その生き物は。

「ね、猫だっ」
「猫だって」

足の短い、不格好な、真っ白い仔猫だった。

「うわあああああっ、ねっ、猫だっ」
「掴まえろっ」
「外に放り出せ」

氏子総代のヤヘエと、数名の男が拝殿に駆け上がる。

「やめて、やめて」

サトコが冠をかなぐり捨て、仔猫を抱き上げて走り去る。
参拝者はざわめき、ぞろぞろと拝殿へと近付いてゆく。

「こらっ、駄目だあがっちゃ駄目だ」
「だってよう、一体何があったんだ」
「なんでこんなとこに猫が」
「ちょっと押さないでよっ」

「静かにしろっ。おい何をしている、さっさとあの娘追いかけて、猫ふん掴まえろっ」

狼狽するヤヘエが怒鳴ったその時。

「きゃあああああああああああああああ」

怖ろしい叫び声が響いて、私の耳をつんざいた。
私は反射的に、靴のまま拝殿にあがり込み、

「おいこらあんたっ」

怒鳴るヤヘエなどに構わず走った。
渡り廊下を抜けて、

「ああ、ああ、あああああああああああ」

叫び声のする、奥のほうへと。

「あああああああああああああああああ」

サトコは土間にへたり込んで、叫んでいる。
湯気が立っている。あれは風呂場か。

「サトコさんっ」
「あああああああああああああああああ」
「どうしたの、何、何があったの」
「ああああ、あれ、あれ」

震える手でサトコが指差した先には、開け放たれた五右衛門風呂がある。
そして、

「ひいっ」

風呂の中には、真っ白な、人が。
真っ白な布でぐるぐる巻になった人が。
まるで、鍋で煮られたカイコのように。

ぷかりぷかりと、浮かんでいた。






つづく







いつも読んでくだすって、ありがとうございます


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