第二百六十三話 山猫衆 其二 | ねこバナ。

第二百六十三話 山猫衆 其二

【一覧1】 【一覧2】 【続き物】 【御休処】 【番外】

※ 第二百六十二話 山猫衆 其一 もどうぞ。


-------------------------------

時は移り、永禄九年、正親町天皇の御代。
上野と信濃の国境、谷の奥に暮らす山賊共は、相も変わらず、商人や軍勢の補給隊を襲っては、日々を食いつないでおりました。
その中に、ひとりの若者。

「ぐはっ」

手練れの女に蹴り飛ばされ、鋭い目をした若者は、

「くっそう」

土にまみれた顔を、ぐいと手の甲で拭いました。

「どうしたね、そんなことじゃ、武田のシノビにゃ手も足も出ないよ」

若者の名はオウギ。年の頃は十七八というところ。山賊のもとで育てられ、殺し奪う日々に明け暮れておりました。
オウギに剣術の稽古をつけるはアカメという女。齢四十に届かんとし、円熟味を増した剣術は衰えを知らず。
アカメは、オウギの幼い頃から、熱心にシノビの術を稽古しているのでございます。

「おら、もうお終いかい」

アカメに挑発されて、オウギは奮い立ちました。

「けええっ」

鋭く踏み込み、一気に間合いを詰めてまいります。
アカメが左に躱すと見るや、左の手に持った短刀で斬り上げ、それが打ち払われると、

「もらったあ」

その反動で身体をぐるりと捻り、逆手に持った右手の短刀が、死角からアカメに迫ります。
オウギは勝ったと確信いたしました。しかし。

ぶうん

オウギの短刀は空を切り、

「ほう、やるもんだね」

背後にぴったりと吸い付くように立ったアカメの短刀が、喉元に突きつけられておりました。

「ぐっ」
「狙いはいいさ。考えも悪くない。ただ動きが無駄だらけだ。殺気ばかりが前に出ては、獲物は仕留められないよ」

どすんと背中を叩かれ、オウギは蹌踉めいてアカメから離れます。

「ほら、あれをご覧」

アカメが顎をしゃくった先には。
年老いた一匹のネコが、じいと何かを見つめて、座っておりました。
そうして、腰をひくりと震わせたかと思うと。
一瞬のうちに藪の中へと飛び込んで。

「ああ」

一匹のネズミを、得意げに咥えて出てまいりました。

「最短距離を無駄なく動き、少ない手数で相手を倒す。ようく見倣うこったね」

アカメは何度となく、ネコという生き物の狩りを、シノビの術に喩えるのでございます。

「さあ、今日はここまでだ。裏で薪を取って来な」

そう言い渡されて、オウギはぶはあ、と息を吐きました。
次第に厳しさを増すアカメの稽古に、オウギは疲れ果てていたのでございます。
何故自分だけに、アカメは厳しく教えるのか。他の男共は自分をただ虐めるだけなのに、アカメと頭のオグナだけは、何故自分を鍛えようとしているのか。
全く判らないまま、日々が過ぎてゆくのでございます。

よろよろと裏山へと向かってゆくと、あのネコが、丁度ネズミを食い終えたところでございました。

「オキビやい、もう飯は終わったのか、いいなあ」

オウギはそう言って、ネコの頭を撫でました。
うっすらと灰のかかった、ふさふさとした長い毛を持ったこのネコを、オウギだけが「オキビ」と呼んでおるのでございます。
囲炉裏の灰の色に、その毛皮が近かったからでございましょうか。
オキビは舌なめずりをしながら、オウギの手に顔を擦り付け、満足げにぐるぐると喉を鳴らします。

まだ赤子の頃、この山賊の住処に拾われたというオウギ。同じ頃、略奪した商人の荷にあったというオキビ。
似た境遇を思ってか、オウギは幼い頃から、オキビを遊び相手にして育ちました。毛皮の艶は次第に失われ、老境にありといえども、オキビは元気にネズミ獲りに精を出し、それがオウギの励みにもなっておりました。

「さあて、薪、薪と...」

オウギが再び立ち上がり、裏山へと歩を進めたその時。

「かっ、頭あああ」

遠目のガマと呼ばれる男が、山道を駆け上がってまいりました。

「なんでえどうしたい」
「サルにでも引っ掻かれたに違いねえ」
「イノシシに尻でも突かれたんだろうよ」

男共は、いつも臆病なガマを見てそう笑います。
しかし、ガマの慌て様たるや尋常ではございません。

「頭、きっ、来た、来た来た来た」
「慌てるねいガマ。何が来たんだ」

囲炉裏端に座す白髪の頭オグナに問われて、ガマは口を震わせながら言いました。

「たけ、たけ武田の、軍勢が、三百ほど」
「なにぃ」
「藪を分け入って、こっ、こっちに向かってきやす。」

オグナはぎろりとガマをねめ回し、ぐうと唸って、立ち上がります。

「何故だ。奴等、こんな辺鄙な処に軍勢を回す余裕があるのか」

じっとりと脂汗を滲ませるオグナに、アカメが応えます。

「露払い、って処かね」
「なんだと」
「武田の奴等、今度ばかりは本気で上野を、箕輪城を落とす積もりなのさ。何時ものように、あたしらに尻を突かれては、おちおち城攻めも出来ないって、そういうことじゃないのかぇ」
「くっそう、この間の斥候を殺しちまったのが祟ったか」
「過ぎたことはどうでもいいさ。頭、どうするんだい」
「抗うしかなかろうよ。それが俺達の生きる途だ。おい野郎共!」

オグナの号令に、男共は飛んでまいります。
谷を登る軍勢に石を落とす用意をし、弓使いは西の崖から狙い撃ち、斧使いは北の藪で待ち伏せ。それぞれが指示に従って動きます。

「アカメ、奇襲の指揮を任せる。オウギも一緒に行け」
「あいよ」

オウギとアカメは、山賊の剛の者達の殿について、藪の中に、身を潜めたのでございます。

  *   *   *   *   *

「来たぞ」

斧使いのゴウゾが低く唸ります。
藪の陰から見ると、漆黒の具足に身を包んだ武田軍の兵が、ざわざわと登ってまいります。
アカメが静かに手を挙げ、鋭く振り下ろすと、

がらがらがらがらがらがらがらどどどどどどど

激しい地響きを立てて、幾つもの大石が、転げ落ちて行きました。

「うわああああああああああ」

兵達は、大石に弾かれ轢き倒されて、散々に打ちのめされております。

「へっへへへ、やったぜ」

ゴウゾはほくそ笑んでおりますが、

「妙だね。奴等の先鋒はこれっぽっちかい。後続の部隊が見えない。孤立しているのか、それとも...」

アカメは訝っております。大石を落とされた敵兵は、奇襲に狼狽えておる様子。
すると、ゴウゾはがばと立ち上がり、

「ようし、そこでおたついてる奴等から、血祭りにあげてやる」

と叫びます。

「こらゴウゾ、およしよ。まだ始まったばかりなんだからね。伏せ勢がいるかも知れないだろ」

アカメが制しますが、ゴウゾは聞き入れません。

「何言ってやがる。こちとら奴等の頭をかち割りたくて、うずうずしてんだ。始末が済んだら直ぐに戻ってくるさ」
「お待ちったら」
「うるせえっ、おらぁ野郎共、いくぞぉ」

雄叫びを上げて、ゴウゾと斧使いの男共は、谷へと駆け下りて行きました。

「ちっ、血の気が多い男はこれだから困るよ」

アカメは舌打ちしながらも、不安を拭えぬ様子でございます。そして、

「オウギ、尾いて来な。あのイノシシ共を援護しなきゃね」

と、オウギを連れて、藪に隠れながら、谷を下りて行きました。

  *   *   *   *   *

ゴウゾと男共は、逃げ遅れた兵共を薙ぎ倒しておりました。

「わははは、武田の軍勢とはこの程度か」

返り血を浴びながら、ゴウゾは手斧で、すっかり怯えあがった兵共を叩き割ってゆきます。

「あのお調子者め」

アカメは苦々しく、その様子を見ておりましたが。
すいと目を細め、沢の北側の崖を、じいと見ました。

「あれは...なんだ」

アカメは気付きました。
そのとき。

「ふん、手応えがないのう」

ゴウゾは倒したばかりの兵を、足でごろりと仰向けに返しました。

「む?」

よくよく覗き込んで見ると。
その顔には見覚えがありました。

「これは...炭焼きのゴヘエ」

ふと、その横に斃れた男を見ると、

「こいつは、泥田のトメじゃねえか」

武田の先鋒と思っていた兵達は。
麓の村の住民だったのでございます。

「くっ、ま、まさか囮か!」
「ゴウゾ! かがんで頭を低くしな! 奴等が」

アカメの叫びが届く間も無く、

すだだだだだだだだだだだだだだん

鋭い爆裂音が鳴り響き。
何かに貫かれた男共は、ばったばったと斃れてゆきました。

「鉄砲か!」

アカメは目を見開きました。

「アカメ、鉄砲ってなんだ」

オウギが問います。

「南蛮渡来の武器さ。矢の代わりに鉄の弾を撃ち込むんだ。くっそう、あの距離じゃ、鳥打ちの弓では届かない」

搾り出すようにそう言うと、アカメは男共に叫びます。

「頭を低くして、藪に紛れるんだ! 奴等が撃って来るまで間がある」

しかし、得体の知れぬものの逆襲に、すっかり怯えてしまった男共は、

「ひゃああああああああ」

ある者は足をひきずり、ある者は斧を投げ捨てて、慌てふためいて逃げてゆきます。

再び、激しい音が谷間に響きます。
狙い撃ちされた男共は、血を噴き出して、崩れ落ちてゆきました。

すると、音のしたほうから、黒い具足の兵共がわらわらと湧き、こちらに向かってまいります。

「今度は本物の武田の兵だ。しかも百足衆とは。これでは勝てない」

アカメの押し殺した声に、オウギはただ驚くばかり。

「勝てないって、そんな」
「無理だ。奴等は武田軍の精鋭さ。もう逃げるしかない」

迫り来る武田の兵に、西の崖から矢が放たれますが。
前進して来た鉄砲隊から、二度、三度、鋭い音が鳴り響き、弓使いの者共は、崖から次々に落ちてゆきました。

「オウギ、時間を稼ぐよ。先頭の二人を仕留めな」
「う、うん」

オウギはアカメに言われたとおりに、藪の中を進みます。
音を立てずに。獣のように。一匹のネコのように。
そうして、列の先頭にいた兵に。
左脇から音もなく、斬り掛かります。

声を上げる間も無く、胴当ごと腹を割られて倒れゆく兵の陰から躍り出たオウギは、もう一人の兵の喉元をひと突き。
突然の襲撃に動揺する兵達に向かって、アカメは、目潰しの粉袋をぶつけます。

「うわっ」
「目が、めがいてええ」

先頭が混乱し、兵列が立ち往生する間に、オウギとアカメは藪の中を駆け上がり、頭オグナのもとへと、走ったのでした。

  *   *   *   *   *

「頭! 駄目だ、奴等には敵わない」
「なにぃ」
「ゴウゾもガマもやられた。早く逃げたほうがいい」

オグナは自慢の大太刀を掴み、立ちすくんだまま震えておりました。

「くそう、これまでか」
「頭、はやく」
「逃げて何処へ行けってんだ、おう、アカメよ」

ぎろりとオグナに睨まれ、アカメは言葉を失いました。

「お前やオウギは、生きてゆけるだろうさ。何処へ行ってもな。しかし俺は、生まれついての山賊よ。今のまんまで、山から下りて生きるなんざ、できっこねえ」

軍勢の迫り来る音が、山賊共の悲鳴が、近くなってまいります。

「オウギよ」
「な、なんだい頭」
「お前には、夢を見させてもらったぜ」

オグナの言葉に、オウギは首を傾げるばかりです。

「持ってゆけ」

オグナがオウギに渡したのは、一振りの短刀、それに細長い竹の筒でございました。

「お前の母が見た夢だ。俺もな、それに便乗させてもらおうと思ったのだが」

くっくくく、と、オグナは押し殺した笑いを発して、

「矢張俺には、こんな死に様がお似合いだ」
「頭!」
「アカメ、オウギを生かしてやれよ。後のことはお前に任せる」

と、アカメに申し渡します。

「ふん、勝手なもんだね」
「ほざけ」

言うが早いか、オグナは大太刀を、ずるずると抜きました。

「じゃあな」

そうしてオグナは、長い白髪を振り乱して。
武田の兵へと、躍りかかって行ったのでございます。

「頭ぁ!」
「行くよオウギ」
「だって頭が」
「さっさと行くんだよッ」

オグナが突進したことで、武田の兵に、僅かな隙がが生じました。
オウギとアカメは、その隙に乗じて、寄せて来る兵を斬り捨てながら、必死に血路を開き、逃げました。

オウギはこのとき初めて、ただ殺し合うだけの、戦場というものの中に、身を置いたのでございます。

  *   *   *   *   *

この谷の戦いで、山賊の住処に生きる者五十四名のうち。
生き残ったのは、僅か八名でございました。
オウギとアカメのほかは、年端もいかぬ子供が二人。乳飲み子とその母。そして深傷を負った遠目のガマ。
彼等は住処の裏山や林の陰に隠れて、九死に一生を得たのでございます。

「頭はね、お前を使って、山から下りる機会を窺っていたのさ」

焼き払われ崩れ落ちた小屋を見つめながら、アカメはオウギに話しました。
今まで黙っていた母のこと。
そして、頭オグナの狙いも。

「その竹筒に入った書付は、オウギ、お前の出自を明らかにするものだ。成長したお前を立てて、箕輪城の長野か、武田に与した真田か、どちらかに肩入れすれば、惨めな山賊暮らしから仲間を救えると、そう思ったんだろうね」
「そんな...俺が、殿様の子だなんて」

自分が、名高い猛将長野業正の庶子だと知って、オウギはただ驚くばかりでございます。

「信じる、信じないはお前の勝手さ。しかし、ここに証拠がある、そしてお前は、これを自分の考え如何で、どうとでも使える」
「俺の、俺の考えで」
「そうさ。お前が信じるようにやればいい。今どちらかにつけば、それなりの待遇は得られるだろうさ。勿論無視したって構わないがね」
「あ、アカメは、どう思うんだい」

問われて、アカメは目を丸くしました。

「あたしに、そんなことが判るもんかい」
「だって、アカメはいろいろ知っているじゃないか。薬売りに化けた女シノビや、山を回ってる木地師達から、いろんな話を聞いてるじゃないか。なあ、俺はどうしたらいいと思う」
「さあてねえ」

アカメは目を伏せ、少しの間考えておりましたが。

「箕輪城主の長野業盛、つまりお前の腹違いの兄だが、父の業正が死んでからは、家臣団をまとめるのに苦労しているよ。それにひきかえ、武田方は晴信の辣腕で着々と足場を堅めつつある。切れ者の真田幸綱もついている。どちらが優勢かは明らかだが、ね」
「おいこらっ」

頭に布きれを巻き付けたガマが、声を上げます。

「アカメ、お前何を言ってるんだ。武田は俺達を襲った仇じゃねぇか。なんでそいつらに味方しなきゃなんねぇんだおい」
「五月蠅いね。武田は目の前の石ころを蹴飛ばしただけだよ。あたしら石ころに、仇を討つなんてことが出来るもんかい。それよりも、明日生き延びることを考えな」
「ふんっ」

ふて腐れたガマを見遣って、オウギは頭を悩ませました。
手の中にあるのは、見事な造りの短刀。そして、長野業正の客人として迎えられ、その後武田に出奔した武将、真田幸綱に当てられた書状。
そちらに与しても、生きておられるかどうかは判らぬ。
それに、異母兄の業盛とも闘わねばならぬ。

しかし。

母は何故追い出された。
自分が望まれぬ子だったからか。
アカメは、母が必死に山を登って来たと言った。
襤褸を着て、泥まみれになって。
父とは何者だ。兄とは。

頭の中を、血腥い渦が巡りました。
頭を抱えて、オウギは、蹲りました。

どうすれば。

「なあおう」

鳴き声が聞こえました。
振り向くと、灰色の毛に煤をたっぷりつけて、ネコが。
オキビが、ひょこひょこと、歩いてまいりました。

「おう、オキビやい、無事だったのか」

オウギはオキビを抱きしめます。
オキビはぐるぐると喉を鳴らします。
アカメはそれを見て首を振り。
ガマは、へん、と鼻を鳴らします。

「なあおう」

そうだ。
こいつのように。
付かず離れず。
流れに任せて、生きてみよう。

オウギは、そう思ったのでございます。

「行こう、真田のところへ」

目指すは真田幸綱の統べる城。
吾妻の、岩櫃城でございます。



つづく





$ねこバナ。

いつも読んでくだすって、ありがとうございます


ねこバナ。-nekobana_rank
「人気ブログランキング」小説(その他)部門に参加中です


→携帯の方はこちらから←

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
「にほんブログ村」ショートショート(その他)部門に参加中です

blogram投票ボタン
「blogram.jp」に参加中です



駅長猫コトラの独り言

駅長猫コトラの独り言

価格:1,260円(税込、送料別)


佳(Kei)のおはなし、巻末に掲載! ぜひどうぞ
詳細は、( ≧ω≦)σこちら!


gonchan55をフォローしましょう
twitterでも、たまにぶつぶつと。