第二百六十二話 山猫衆 其一 | ねこバナ。

第二百六十二話 山猫衆 其一

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時は後奈良天皇、将軍足利義輝の御代。
戦乱続く世の出来事でございます。

上野国から信濃国へと通ずる裏道を歩く、ひとりの女の姿がございました。
その背には大きな袋がひとつ。両の肩には振分けの荷があり、足取りは大層重うございました。
身には襤褸を纏い、汚れ窶れた顔をしておりましたが、きりりと固く結ばれた口許には、並々ならぬ決意が、込められておりました。

暗い道の端に、ちいさな沢が流れているのを見つけた女は、その脇でひと息つくことにいたしました。
振分けの荷をどさりと落とし、背の袋を、そうっと前抱きにして、沢に屈んで水を飲みました。
そして、その袋の中を覗き込み、微かに笑みを浮かべたのでございます。

その時でした。

「おう、女だ、女だ」

背後の藪から、声がしたのでございます。
女が仰天して振り返ると、そこには、獣のような姿をした、ふたりの男がおりました。
黒く煤けた顔にらんらんと光る眼。手には大きな鉈を持っております。
女は袋を抱きかかえ、走って逃げようといたしますが。
男等は手を大きく広げて、女を囲みます。

「おおう、女だ。ほんとに女ひとりだな。連れはいねえな」
「そうだひとりだ。ひひひ、こんなこたあめったにねえ」

男等はじりじりと女に近付きます。
その怖ろしさに、女はとうとう、ぺたりと座り込んでしまいました。
両の手には、しっかりと袋が、抱きしめられておりました。

「おれが先だぞ」
「なにをぬかす。おれが先だ」

男等が今にも飛掛らんとしたその時。

「おまちよ」

沢の上で、声がいたしました。
凛と響き渡る女の声。

「なんでえアカメじゃねえか」
「邪魔するねい」

男等が言う間も無く、アカメと呼ばれたその女は、ひらりと舞って男等と女の間に降り立ちました。

「お前等の眼は節穴かい。こんな裏道を女ひとりで通るなんざ、余程の事さ。いい金蔓になるかもしれないよ」

じろりとアカメに睨まれて、男等はぐうと唸ります。

「いいじゃねえか、ちっとくらい遊んでもよう」
「そうだ、頭だってそんくらいは許して」
「お前等の遊びが過ぎて、この女を殺しちまったら元も子もないじゃないか。おら、とっととその女ふん縛って、頭ん処へ連れて行くんだよ」

男等をぴしゃりと叱りつけると、アカメはかがみ込んで、女の顔をじろりと眺めます。

「ふうん、やっぱり只者じゃないねえ」

そうして、女が持つ袋に手を掛けようといたします。

「ぶっ、無礼者ッ」

女は鋭く叫んで袋を庇います。
その時。

「おんぎゃあああああああああ」

大きな泣き声が、響いたのでございます。

「なんだあ」
「赤子かえ」

男等は度肝を抜かれて、立ちすくみました。

「...なるほどねえ」

アカメは、目を細めて、にたりと笑ったのでございます。

  *   *   *   *   *

山深い谷の奥底に、小さな集落がございました。
そこは裏街道を通る者共を襲う、山賊共の住処。
どの村々からも遠く離れ、道は藪に隠されて、容易に辿り着ける処ではございません。
陽がとっぷりと暮れて、ひとつの小屋にだけ、灯りが点っておりました。
粗末な小屋の囲炉裏端には、醜い顔をした男共が集い、酒をあおって騒いでおります。
土間には、先に拐かされた女。その腕の中には赤ん坊。
直ぐ後ろには、アカメが腕組みして、立っておりました。

「それで、アカメよ、お前の見立てはどうだ」

囲炉裏の奥に座する髭だらけの男。山賊の頭オグナがそう声を発しました。

「さあてね、まだこの女、何も話してくれないのでね」

不機嫌そうにアカメが言います。

「へっ、身ぐるみ剥いじまえば何かわかるさ」
「そうだそうだ」

男共が下品に笑います。

「お黙りよこの山猿共」
「なんだとう」
「いい気になるんじゃねえぞこの」

アカメの挑発に男共が吼えます。

「やかましいわい」

オグナが盃を、男のひとりに投げつけます。一同しんとなりました。

「言っておくがアカメよ、もし身代金でもせびり取れそうなら、さっさと仕事をすることだ。そうでなければその女、ここに置いておく必要はないからな」

オグナは不機嫌そうに、アカメに申し渡します。

「判ってるよ」

アカメも不機嫌そうに、返事をいたします。

「おら酒だ酒だ」

男共はまた騒ぎ始めます。
土間にへたりこんだ女は、じいとその様子を見ておりました。
が、やがて、妙なものに、気が付いたのでございます。

「なあお」

オグナの膝の上で、柔らかそうな毛皮が、むくり、と動きました。
そうして、妙な声を発して、女のほうを向きました。
ふたつの眼が、きらり、と光ったのでございます。

「あ、あれは」

思わず女は声を上げました。

「どうしたんだい」

アカメが聞きますと、

「あれは...ネコ」
「ネコ?」
「ほう、女、この奇妙な生き物を、知っておるのか」

オグナがその生き物を撫でながら、女に話しかけました。

「先だって、街道を通る商人の一団を襲ってな。その荷の中に、これが居たのさ。初めは暴れるわ引っ掻くわで難儀したが、ほうれ、今ではすっかり俺のもんだ」

ネコと言われたこの生き物は、オグナに撫でられて、眼をゆっくりと細めました。

「俺ぁこんな生き物を見たことがない。タヌキでもなければオオカミでも、キツネでもない。すっかり人に懐くでもなし、かといって離れて山に帰るでもなし。まこと、不思議な生き物よ」

女はオグナが語るのを、じいと聞いておりました。

「頭、そいつ、裏山でヘビを食うてましたぜ」
「ネズミもな、頭からがぶりとな」
「その顔といったら、おおこわいこわい」
「まるでアカメの怒り顔だぜ、えへへへへへ」

男共がまた騒ぎ出します。
それに構わず、オグナは女に語るのでした。

「女よ。お前は、どこぞの武家の娘か何かだろう。それがそんな襤褸を着て重い荷を背負って、一体何処へ行く積もりだったんだ」
「...」
「女の足で、この峠を越えて佐久の郷まで辿り着くのは辛かろうて」
「...」
「大人しく身の上を明かすなら、このアカメが間に立って取引してやる。お前もその赤子も、金さえ貰えれば傷ひとつ付けずに送り届けてやろう。どうだ」
「下賤の者と取引などせぬ」

女が初めて口を開きました。
オグナはじいと女を見据えて、話し続けます。

「ふん。確かに俺達は、地べたを這いずり回るムカデ同然だ。生きるためにゃ何でもするさ。商人だろうが武士だろうが、坊主だろうが朝廷の使いだろうが、何でも襲う。勿論、大軍を差し向けられちゃ敵わねえから、程々の稼ぎで我慢するのさ。そうやって日々殺し殺される獣共の群れの中に、お前は今居るんだぜ」

ぎらぎらと、男共の眼が光って、女を睨みます。

「もし取引に応じねぇんなら、お前は只の慰み物だ」

がばとオグナが立ち上がり、膝の上のネコはひょいと板の間に降り立ちます。
男共もオグナに続き、ぞろりぞろりと立ち上がり。
じいと女を睨みます。
女は怖ろしさにすくみ上がって、赤子を掴む手を不意に緩めました。

「そらっ」

すかさずアカメが、赤子を袋ごと取り上げます。

「何をする」

縋る女をアカメは蹴り飛ばし、袋から赤子を取り出すと。
紫紺の産着に縫守。その懐には、一通の書付が、挟んでありました。
勢いよく進み出たオグナが、その書付を囲炉裏端に照らします。

「ふうむ...成程な」

にたりと笑ったオグナは、

「この赤子は使える。女は薪小屋にぶち込んでおけ」

と叫びました。
男二人が女を抱え上げます。
女は激しく暴れ、喚きながら、男共に連れて行かれました。
そうして赤子を抱いたアカメが、その後に続きます。

月が細い谷を照らし、フクロウの声が、響いておりました。

  *   *   *   *   *

薪小屋に放り込まれた女は。

「あたしはこの女と話がある。あんたらは戻りな」

そう言って男を下がらせたアカメに掴みかかります。

「その子を、返せ、かえして」
「五月蠅いねッ」

平手で打たれて、女は地べたに伏し、低く嗚咽を漏らします。

「あんた、馬鹿だね」

アカメは低い声で、女に語ります。

「あたしらみたいな山賊に捕まらなくとも、この先、難所だらけさ。オオカミに襲われるか谷底へ落ちるかして、この子もろともおっチんじまうのが関の山だよ。あんた本気で、その細い足で、山越え出来ると思っていたのかい」

女は返す言葉無く、只伏して泣くばかりでございます。

「それにこの子が、猛将の名高い長野業正のご落胤とはね。書付の宛名の弾正忠ってのは、武田に寝返った真田幸綱かい」

はっと女は顔を上げ、アカメを見遣ります。

「益々判らないね。武田晴信がその子を生かしておく筈が無いじゃないか。あんた、それを何とか出来る見込みがあったのかい」

「なあお」

何時の間にか、アカメの足元には、あのネコという生き物が居りました。
時折きらりと光る眼で、女を静かに、見据えております。

「...僅かの望みがあればこそ、其処に賭けるしかない。戦とはそうしたもの。戦とは、男共だけのものではない」

低く呟くように、女は言います。
そうして、アカメを見遣って尋ねます。

「...そなた、山賊風情で、何故そのような事を知っておる。このような山奥で、何故武家の内情まで」
「さあてねえ。あたしらも只奪うだけでは飯が食えないのでねえ。ま、峠を行き来するのは人や物だけではない、と言って置こうかね」

ふふん、とアカメは鼻で笑って、足元のネコを見て言います。

「あたしは、こいつと一緒さ。上野のさる城主の屋敷に潜り込むために山越えをしていた時、山賊どもに襲われた」
「えっ」
「十になる頃だった。他の仲間は皆殺されたけど、若い女手が欲しかったのだろうねえ。鎖で繋がれて、さんざん働かされたよ」
「...」
「だがね、あたしゃ小さい時から叩き込まれた狩りと殺しの術で、頭に認められたのさ。今じゃあたしに楯突く男共はいないよ」
「...まさか、そなた」
「そうさ。物心ついた時から、諏訪湖のほとりで鍛えられた。あたしはシノビの者さ」

呆然と、女はアカメを見ております。
するりとアカメは屈み込み、女をじいと見て、囁きます。

「ここに居ても、あんたは殺されるだけだ。判ってるんだろう。なら何故取引に応じないんだい」

女は唇をぎゅうと噛み締めます。

「...私には...助けなど来はしない。長野も真田も、私などはどうなっても...」

眼からは大粒の涙が零れます。

「...そう、私は名もない虫けらに過ぎぬ。そなた達と同じ、いやそれ以下の...」

アカメは女の涙が、月明かりに光るのを見ておりました。
ネコも、涙の落つるさまを、見ておりました。
女は言います。

「しかし、この子は違う。いずれ世に出て大きな働きをする。私はそのために今日まで、堪えてきたのだ。頼む」

女はアカメに縋ります。

「頼む、この子は、この子だけは殺さずにいておくれ。お願いだから」
「安心しな、この子は死なせないよ。頭が使えると決めたんだからね」
「信じて良いのか」
「それはあんたの勝手さ。ただこの子には、どうやら、生きる理由がありそうだ」

アカメは立ち上がり、腕の中の赤子を見て言います。

「三日前に赤子を亡くした女がいる。それに面倒を見させよう。山賊の生き方、人の斬り方は、あたしがみっちり仕込んでやるさ」

そして、再び女に言います。

「逃げたいなら逃げるがいい。男共は、あんたが逃げられないと踏んで、見張りも付けないようだからね」
「...そなた、何故そのような...」
「ふん、あのいやらしい男共に、あんたが手込めにされるのを見るのが嫌なだけさ。それに、ここから出たところで、生き延びられる保証はないからね」
「...」
「運がよけりゃ、生きて佐久まで辿り着けるだろうさ。せいぜい、頑張ってみるこった」

そう言って立ち去るアカメの姿を、女は只黙って見送りました。
そうして。

「なあお」

ネコは、女の顔を一瞥し、尻尾を揺らして、出て行ったのでございます。

  *   *   *   *   *

明くる日。
山賊の男共が、谷底で何かを見つけました。

「ああ、こりゃ昨日の女だ」
「落ちたのか」
「けっ、死んじまっちゃ何にもならねえ」

男共は、口々にそう言い合って、女の屍体を見ておりました。

それを遠くの木の上から。
アカメが見つめておりました。

「まったく、神も仏も、ありゃしないね」

そう冷然と言い放つアカメの眼には。
謎めいた光が、宿っておりました。



つづく





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