第二百四十一話 黒猫タクシー・こども編
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ぼくは両手を広げて、ぴょんぴょんと飛びはねた。
道行くタクシーに向かって。
でも、なかなか、ぼくを見つけてくれない。そりゃそうだ。あたりは暗くなってきたし、ちっちゃいぼくを見つけてくれるタクシーは、そうはいない。
パパは「タクシーくらい自分でひろえよ」なんて言って、いつもぼくをおっぽって行ってしまうけれど、これはけっこう大変なんだ。
「おうい、おおうい」
大きな声をあげても、気づいてくれない。
タクシーはどんどん通りすぎてゆく。
ぼくはだんだん、かなしくなってきた。
すると。
ぼくの前に、女のひとがすいっとあらわれて、細い手をあげた。
そこに、するするとタクシーがすべりこんできた。
大きな猫の顔がついてるタクシーだ。
「さあ、どうぞ」
女のひとは、ぼくにむかって、にっこり笑ってそう言った。
きらきらした服のむねのあたりには。
長いしっぽの、黒猫のブローチがついていた。
僕はどきどきして、ぺこりとおじぎをするだけだった。
* * * * *
「お客さん、どちらまで」
おでこの広い運転手さんは、にっこり笑って僕に聞いた。僕はいつものとおりに、ママの家の住所を言った。
タクシーはするすると走り出し、車のむれの中にまじっていった。
「今夜は寒いですねえ」
運転手さんが言う。
たいていの運転手さんは、何も話しかけてこないから、ぼくはゲームに夢中になるんだけど。
今日はちょっとちがうみたいだ。
「うん」
ぼくは短く答えた。
「おひとりで、ロッポンギですか」
「ううん、パパと」
「そうですか。何かおいしいものでも食べられましたか」
「うん...まあ」
「そりゃうらやましい」
明るい声で運転手さんは言う。
「べつに...」
うらやましいって言われてもなあ。ぼくは少しフクザツな気分だ。
「おや、すみませんねえ、立ち入ったことを聞いて。到着までずいぶんありますから、ビデオでも見ますか? トムとジェ○ーの」
運転手さんがそう言うと、前のイスの背もたれがくるっと回って、ちいさなテレビがあらわれた。
ああ、これ見たことがある。クリスマスのおはなしだ。
プレゼントがいっぱいの家のなか。いつものおっかけっこが始まって...
ジェ○ーが外におんだされて...トムが心配になって助けに行って...
さいごは、めでたしめでたし...
「...ほんとかなあ」
ぼくは声に出して、そう言った。
「え?」
「ううん、なんでもない」
運転手さんが聞き返したので、ぼくはふつうにごまかした。
そうさ、こんなにうまくいくんなら、ぼくだって苦労しないよ。
「お気に召しませんかねえ。じゃあほかのやつを...」
「ううん、もういいよ」
ぼくはそう言ってことわった。
クリスマスかあ。
今年のクリスマスは、いったいどんな感じだろう。
そんなことを考えただけで、ぼくは、ゆううつになってしまう。
「そうですか。いやどうも、あいすみません」
この運転手さんは、ぼくみたいな子どもにも、ちゃあんとていねいな言葉をつかう。
こんなおとなは、はじめてだ。
「ねえ運転手さん」
ぼくは、いろいろ聞いてみたくなった。
「はい、なんでしょう」
「お仕事、楽しい?」
「はは、楽しい、でしょうかねえ。まあ嫌いじゃありませんがね。時には嫌なこともありますよ」
「そうなんだ」
「それでも、家族や仲間のためにね、まあ、がんばろうと思ってますよ」
「ふうん」
やっぱり、ふつうだな。ぼくはそう思った。
「お客さんの、お父さんやお母さんも、きっとお仕事いそがしいんでしょうなあ」
「うん、まあね」
「きっと、お客さんのために、毎日がんばってるんでしょうよ」
「それは...どうかなあ...」
「おやどうしました? 何かお悩みでも?」
「ううん、べつに」
ぼくはまた、ふつうにごまかした。
にぎやかな通りの交差点で、信号が赤になり、タクシーは止まった。
お店のショーウィンドウには、ハロウィンのかざりが、きらきら光っている。
「ああ、もうすぐハロウィンですか。ハロウィンが終わると、もうクリスマスですなあ。いやはや、一年の過ぎるのは早いもんで」
運転手さんが外を見ながらそう言う。
そうだ。あれは、去年のハロウィンのときだった。
* * * * *
「どういうことなんだ」
「だってしょうがないじゃない」
「しょうがないで済ませるなよ。そんな勝手に」
「もとはといえばあなたが」
「どうして俺のせいなんだ」
「ちょっと大きな声出さないでよ」
「...トモキはどうするんだ」
「...それは...」
「どうやって説明するんだよあいつに」
「それは、それは」
「あとさき考えずに、勝手なこと言うなと俺は言ってるんだよ」
「だってもう、もうどうしようもないのよ」
「ああそうかい、なら何もかも勝手にすればいいさ」
「ちょっと何よその言い方」
「俺がいなけりゃすべてうまくいくんだろ」
「そんなこと言ってないわよ」
「じゃあ何だよ」
「どうしてそんなに責めるのよ」
「自分の胸に聞いてみろよ」
「あたしだって、あたしだって」
ばん。
「...ちょっとどこ行くの」
「関係ないだろ」
「だってまだ話は」
「だから勝手にしろよ、俺は知らない」
「なっ、何よそれ、なに」
ばたむ。
「...何よう、何よなんであたしばっかり」
「ママ」
「...トモ、ああトモごめん、ごめんよう」
「ママ、どうしたの、ねえ」
「わああああああああああ」
* * * * *
ぼくはぼんやりと、窓の外を見ていた。
「お客さん、寒くはありませんか」
運転手さんがそう言ったので、ぼくはそれに答えずに、
「ねえ、運転手さん、子どもいるの」
と聞いてみた。
「え? あたしですか? まあ、いるといえば、いますがね」
「いるといえば?」
「ああ、もう会わなくなって、ずいぶん経ちますからねえ」
そうなんだ。ひょっとしてぼくみたいな。
「あたしらの子どもは、早くに親元を離れるのが決まりでしてね。もうすっかりおとなになってるでしょうな。小さい頃はコロコロ転がってばっかりだったのに、今じゃどんなツラをしているのやら」
「そ、そうなんだ」
なんだかぼくよりもフクザツみたいだ。
「会ってみたいと思う?」
「そうですねえ、会ってみたいような、みたくないような」
「今でもかわいいと思う?」
「かわいい、ですかねえ。はは、どうもよくわかりませんな」
運転手さんは、頭をかいて、ごまかしたみたいだ。
ぼくは少しフマンだったけれど、それ以上聞いてはいけないような気がした。
すると。
「あたしが子どもの時のことは、ようく憶えてますよ」
運転手さんのほうから、話し始めた。
「あのころは幸せだった。あったかくて、やわらかいものに包まれているようでしたな」
「ふうん」
「しかし、独り立ちするころになれば、世間の厳しさばかりが感じられるようになっちまいましてねえ。兄弟もみなバラバラになりましたし、たぶん今会っても気付かないでしょうなあ」
「お父さんやお母さんは?」
「さてねえ。もう生きてはいないでしょうなあ」
さびしそうな声で、運転手さんは言った。
ぼくは、何も言えずに、運転手さんのほうを見ていた。
「でもねえ、今でもときどき思い出すんですよ。親父のおっかない顔とか、母親の優しい手とか。兄弟の足やら腹やらの感触をね」
遠くを見ながら、運転手さんは話す。
「あったかい母親の胸に、顔を埋めてねえ」
なんだろう、じんわり、あったかい。
「ふかふかの、やわらかい毛が、なんとも気持ちよくて」
ぼくは、びっくりして周りをみた。
座っているシートが、黒いふわふわの毛皮に、変わっていた。
「あたしゃ、すぐに眠っちまうんですよ」
毛皮はぼくをつつみこんだ。
ふわふわでやわらかな毛皮。
おおきな舌が、べろりとぼくの顔をなめる。
ざらざらしていて、くすぐったい。
「なあおう」
大きな手がのびてきて、ぼくの頭をなでる。
やさしく、やさしく。
そうか、これは。
「さあトモ、もうねんねよ」
ママ。
「ほうら、たかいたかい」
パパだ。
「俺に似て、かっこいいじゃないか」
「ちがうわよ。あたしに似て、かわいいの」
「ふふん」
「うふふふ」
あったかい。
あったかいなあ。
ぼくはそのまま。
ゆっくりと、あったかいものにつつまれて。
ゆらゆら、ゆらゆら、ゆられていたんだ。
* * * * *
「...んですよ。ってお客さん、聞いてます?」
「ふぇ?」
よびかけられて、ぼくは目をさました。
はっと気づいてあたりを見回す。でもシートはもう、ふわふわの毛皮じゃない。
そして、ぼくはひとりだ。
運転手さんは、ずっと話し続けていたみたいだ。
かんじんのところを、ぼくは眠ってて、聞きそびれたみたいだけど。
「だからその、なんというか、ええ、うまく言えないんですけどね」
また頭をかいて、運転手さんは言う。
「ですからねえ、あたしゃ、産んでもらってよかった、って思ってるんですわ」
「...ふうん」
ぼくは、ただそう言って、また窓の外を見た。
雨はいつのまにかあがって、月が出ていた。
外の空気は冷たそうだけれど。
ぼくのからだは、まだ少し、あったかいものに、くるまれているようだった。
* * * * *
お金をはらって、タクシーをおりようとすると、
「あ、これ、あたしのメイシです」
運転手さんが、ちいさなカードをぼくにくれた。
「また呼んでくださいまし。すぐにかけつけますからね」
そう言って、運転手さんは、にかっと笑った。
まるで。そう、まるで。
「トモ!」
後ろで大きな声がした。
ママが、マンションの前で、手を広げていた。
「どうもありがとう」
ぼくはそう、運転手さんに言って、いちもくさんに。
「ママ!」
ママのところへ、走っていった。
「なあおう」
鳴き声がしてふりむくと。
タクシーにかかれた、大きな猫の顔が。
にんまりと笑って、ウインクした。
僕はなんだか、うれしくなって、
ママにおもいっきり、とびついたんだ。
おしまい
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