第二百二十八話 猫彫り玄信(下) | ねこバナ。

第二百二十八話 猫彫り玄信(下)

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※ 前回 第二百二十七話 猫彫り玄信(上)

  第七十三・四話 猫は恨まず咽び泣く もどうぞ。


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「言ったのかい、確かに、あの男がそう言ったんだね、板倉重右衛門と」

おかみさんは、あたしに掴みかかって、そう叫んだ。

「は、はい、確かに」
「そうかい...やっぱりそうかい...」

そう言うが早いか、おかみさんは、ふらりとあたしから離れて、部屋の奥に設えた小さな仏壇の前に、どたりと手を突いた。

「ふっ、くっくくくくくくく」

笑っている。

「お、おかみさん」
「くっくっくっくっくっくっくっくっ」

やっぱりあたしは。

「けぁっはっはっはっはっはっはっはっはっ」

話しちゃ、いけなかったんだ。

「おかみさん」
「やっとみつけた、やっとみつけたよおおおお、おとっつぁん、おっかさん、じいさまああああああ」

仏壇に向かって叫ぶおかみさんの後ろ姿が、あたしには、獲物を狙う獣のように見えた。

「に、二十年、にじゅうねん...長かった、ながかったああああうううう」
「お、おかみさん」
「やっと、やっとこれで、かたきが、かたきがうてるよおおおおおお」

仇だって?

「えっ、じゃあ、おかみさんは」
「そおうさあああ」

ぐるりと振り向いたおかみさんの顔は。
此の世のものとは思えなかった。
歯をひん剥いて。
目をぎらぎらと光らせて。

「あたしゃ、あいつが話した、その名主の娘さ。あいつがおとっつぁん達を殺している間、押入の奥に隠れていたのさ」
「ええっ」
「あたしゃ、ちゃあんと見てるんだ。あいつが、おとっつぁんの財布を盗むのを。そうして」

おかみさんの顔が、醜く歪む。

「あたしのハナを殺すところをねえ」
「ハナ」
「あたしが可愛がっていた猫さ。それをあいつはあ、邪魔者でも払いのけるみたいにっ」

きい、と口から軋むような音が飛ぶ。

「許さない。あたしゃ絶対に許さないよ」
「でも、でも玄信さんは、賊の顔を見たって」
「信じられるもんかッ。あんたみたいな可愛い娘に、自分が人殺しだなんて言う筈無いさ。あいつぁそういう男なんだ。助けてもらっておいて、恩を仇で返すのさ。いずれあたしたちも、同じ目に遭うに決まってるッ」
「まさか。ちょっとおかみさん、落ちついて」
「五月蠅いねッ」

おかみさんはあたしの腕を払いのけた。そして、ぎらりと光る目で、あたしを串刺しにした。

「邪魔したら承知しないよ。そこをおどきッ」

怖ろしくて怖ろしくて、あたしは、へなへなと壁に寄り掛かって、崩れ落ちた。

「殺してやる、殺してやる....」

物凄い形相のまま、おかみさんは裏口から、何処かへ行ってしまった。
あたしは、がくがくと震えながら、へたり込んでしまった。

「どうしたね」

がらりと障子が開いて、誰かが入って来た。
あの客だ。町医者風の男が、あたしを不思議そうに見つめている。

「何か、揉め事でもあったのかね」
「え、あの、あの」
「おかみさん、何やら慌てた様子で、関所の方へ走っていったよ。ありゃ只事ではない。何かあったんだろ」
「いえ、いえ」

あたしは身体中が震えて、何も話せない。

「あ、あた、あたし...ひっ、えっ、う、うううう」

涙ばかりが、ぼろぼろ落ちて来る。

「大丈夫、さあ、気を楽になさい。何も心配する事は無いさ。ゆっくり息を吐いて...吸って...そう、その調子」

男はあたしの肩を撫でながら、優しく声を掛けてくれた。
あたしの震えは、だんだんと収まっていった。

「さて、もしよかったら、何があったのか話してくれんかね」

男は、あたしの目の前で胡座をかいた。

「あ、あの、あなた様は」
「俺は井上露庵。江戸で町医者をしている者だ。そしてこいつは」

男の後ろに、強面の武士が、ぬうと現れた。

「ひっ」
「怖くない怖くない。こら半兵衛、お前、もう少しそうっと出て来られんのか」
「出来るかそんなこと」
「全くこの仏頂面め。娘さん、こいつはな、剣術馬鹿の長内半兵衛と云う。二人で日光詣をする途中でな。しかし、困っている娘を黙って見過ごす訳にはいかん。さあ、何があったのか、話してはくれんものかね」
「は...」
「あのおかみさん、何を思い詰めているんだね。あんた、あの人に何を言ったんだね」

そう問い詰められては、しょうがない。
あたしは、自分の知っていることを、洗いざらい、話してしまう事にした。

  *   *   *   *   *

「なるほどねえ」

露庵と名乗った男は、顎に手を当てて得心したように頷いた。
半兵衛という武士は、相変わらず強面のまま立っている。よく見ると、右の腕が無い。それに刀が逆に差してある。

「半兵衛、お前どう思う」
「どうもこうもない。単なる逆恨みではないか。話の内容からして、その玄信という男の言ったことは嘘ではなかろう」
「何故そう言い切れる」
「思い詰めた人間が、楽になろうとして喋ったことならば、嘘はつけまい」
「なるほど。俺もお前と同じ意見だ。しかしだな。恨みを晴らすってんなら、何故おかみさんは、その荒れ寺に行かずに、関所の方へ走って行ったのだろうな」
「さてな」

半兵衛が眉を顰めると、露庵は首の後ろを掻きながら言った。

「あの関所の伴頭、玉田修吾郎という男、余り良い評判を聞かぬな。番人共も何処からかき集めて来たのか知らぬが、どうも焦臭い連中ばかりだ」
「なに? どうしてそんな事がお主に判る」

半兵衛は眉をつり上げる。露庵は涼しい顔をして言う。

「別に大した事では無い。道中奉行を兼任されている大目付様からな、関所の役人の素行を調べ、必要とあらば適切な措置を取れ、と命ぜられているのさ、俺は」
「何だと? じゃあ日光詣というのは」
「日光には行くさ。俺も楽しみだからな。只途中で少しばかり御役目を果たしても別に支障はあるまい」
「やれやれ、俺は役目を担ったお主のお守りか」
「そうではない。一人では湯治にも行けぬお前の為に、千代殿からお伴するよう仰せつかったのは、俺さ」
「ふん」

露庵は町医者と言った筈だが、何故そんな事を命ぜられるのだろう。
あたしには判らない話ばかりが続く。我慢出来ずに、あたしは声を上げた。

「あ、あのう」
「ああ、何だい」
「それで、おかみさんは、一体どうする積もりなんでしょう」
「そうだなあ。考えられる事は只一つ、関所の役人共を使って、その玄信とやらの仇を討つ、ってえところじゃないかね」
「そ、そんなことが」
「まあ、出来るのだろうねえ。どんな手を使ったのかは知らないが。互いに利害が一致するのか、あるいは彼等に利するところを教示したのか...。いずれにせよ、仕掛けるとすれば、今夜だろうな。なあ半兵衛」
「うむ」

あたしはまた怖ろしくなった。あのおかみさんが、人殺しだなんて。
いや、あの変わり果てたおかみさんの顔を見たら。
人殺しなんて、何の躊躇いも無く、やってしまうに違いない。
普段はとても優しいお人なのに。
それに玄信。
あの人は、やっぱり人殺しなど出来るお人ではないような気がする。
幸せそうに眠る猫を彫って、あの人は、可哀想な事をした、って言ったじゃないか。

「あのッ」

あたしは叫んだ。

「どうしたね」

露庵が訊く。

「おかみさんを、それから玄信さんを、助けてやってくださいまし。お、お願いします」

あたしはその場に平伏した。
この人達なら、何とかしてくれるかも知れない。そう思ったのだ。

「ふうむ。そうさなあ、どうする半兵衛」

露庵が頭をぼりぼり掻いて、半兵衛に声を掛けた。半兵衛は、

「ふん、お主、今回の騒ぎに乗じて、役目も済ませて仕舞おうと、そういう魂胆であろう」
「やれやれ、人聞きの悪い。ただなあ、どうも繋がっているようだからなあ。あの小役人のいかがわしさと、この一件と」
「ふむ」
「ならば、役目を果たす事が、屹度この娘の助けになるだろうよ。それに俺は、二度手間は嫌いでな」
「この策士め」
「褒められたと思って置こう。さあ、娘さん...ええと、何と言ったかな名は」
「タキと申します」
「そうかい、ではおタキちゃん、その荒れ寺に案内してくれんかね」
「は、はい」

望みはあるのだ。あたしは思わず顔をほころばせたが、

「しっ」

半兵衛が口に手を当てた。
少し離れたところで、がさがさと人の走る音が聞こえる。

「奴ら、もう動いたか」
「そのようだな」

あたしの胸は、ぎゅうと締め付けられた。これから、怖ろしい事が起こりそうな気がして。
そんなあたしの心を見透かすように、半兵衛が言った。

「安心せい、二人共、殺させはせぬ」

  *   *   *   *   *

おあつらえ向きに、月がこうこうと照っていた。
提灯を使うと奴らに見つかると露庵が言ったので、あたし達は、月明かりを頼りに、荒れ寺への道を急いだ。
浅間様の脇を抜けようとした処で、

「玄信、いいや板倉ッ、出ておいでッ」

おかみさんの声が聞こえた。
半兵衛と露庵は、あたしに後ろから尾いて来るよう手で合図をし、するすると坂道を、音も立てずに登って行く。あたしはそうっと、出来るだけ静かに、二人に続いた。
ようやく荒れ寺が見渡せる処まで来ると、提灯の明かりがぼんやりと見える。それに照らされて、おかみさんがお堂の前にぼんやりと浮き上がった。

「何か用かね」

ずずず、と音を立てて、お堂の扉が開け放たれ、玄信が現れた。
お堂の中から弱い光が洩れる。役人共の提灯が揺れる。

「サエ殿、これは一体」
「おとっつぁんの仇、おっかさんの仇、じいさまの仇、そして、そしてハナの仇、取らせてもらうよ」
「なんだと?」

ざああああああああああっ

強い風が辺りを撫でてゆく。その間、玄信とおかみさんの話は、あたしには聞こえなかった。
再び静かになった時、

「そうか、あのときの娘が、サエ殿とはな。なんという奇縁」
「さあ、覚悟おしッ」
「うむ」

玄信は、のそりとお堂から出て来て、

「仇というなら、致し方あるまい」

おかみさんの前に座った。

「好きなようにせい。そなたの恨みを晴らしてやれるのは、最早俺しか居らぬようだからな」

おかみさんは一瞬たじろいだが、

「はん、そんな風にしたって無駄だよ。お前は、お前は、命乞いをしながら平伏すおっかさんを、情け容赦なく斬り捨てたんだからね」
「...惨い事だ」
「おだまりッ! そんな芝居が、あたしに通用するもんか」

ぎらり、とおかみさんの匕首が光る。
その後ろでは、役人達がずらりと並んで、事の成り行きを見守っているようだ。

「いやあ、こりゃ玄信殿、北川玄信殿ではないかね」

素っ頓狂な声が、辺りに響く。
あたしはびっくりしてその声の方を見る。すると。
露庵が、ひょこひょこと草を掻き分けながら、何の躊躇いも無く、おかみさん達の方へと歩いて行く。

「あの野郎...」

半兵衛は、深い溜息をついて、

「此処から動くなよ」

とあたしに言い置いて、露庵の後を追った。あたしは木の陰に隠れながら、その後ろ姿を見送った。

「何方か」

玄信が、不思議そうに訊ねる。

「俺だ、日陰横町の井上露庵だよ。真逆こんな処で出会うとは、いやあ奇遇ですなあ」
「なんと、露庵殿」

大袈裟に振る舞う露庵に、半兵衛が後ろから声を掛けた。

「何だ、お主等知り合いか」
「ああ、北川玄信殿といえば、狩野家の養川院惟信殿に教えを受けた絵師でな。一頃江戸じゅうを賑わせた人気者だ。知らないのは剣術しか知らぬお前くらいのものだ」
「ふん」

半兵衛は不機嫌そうに鼻を鳴らす。おかみさんも、後ろの役人達も、只呆然と彼等を見ている。それを全く意に介せず、露庵は話し続けた。

「玄信殿の屏風絵を、俺はひとつくらいは手に入れたいと思っていたのですよ。その矢先、貴方は江戸を発たれてしまった。勿体ない事をしたものだ」
「そうか、それは残念」

玄信は、ふふ、と小さな声で笑った。そして、

「それももう、叶いますまいな。俺はこれから死ななければならぬ」
「ほう、何故です」
「昔の罪を、償わねばなりませんから」
「そうですか。どんな罪です」

「ちょっとちょっと、あんた達、いきなり何なんだい」

おかみさんが、たまりかねて大声で叫んだ。
露庵は間抜けな声で応える。

「え? 何と言われても。知り合いですよ、この男の」
「だから、どうしてあたしの邪魔をするんだい」
「邪魔なんかしてない。挨拶をしただけでしょうが」
「それが邪魔だって言うんだよッ」
「そんな...困ったなあ。おや、これは」

そう言うと、露庵はどすどす、とお堂に上がり込んだ。

「なんとまあ! これは素晴らしい出来ですなあ玄信殿。彫物の才もあったとは。ほら半兵衛! 見てみろ、お前の好きな猫がたんまりいるぞ」
「ぬ? おおこれは」

全く場の雰囲気を意に介せず、猫の彫物を褒める露庵も露庵だが、それに従って見に行く半兵衛も半兵衛だ。
あたしは気が気じゃなかった。一体この始末をどう付ける積もりだろう。

「おだまりったらッ!」

おかみさんは搾り出すように叫んで、地団駄を踏んだ。

「いい加減におしよッ。ほらあんた達、何ぼさっとしてるんだい。この邪魔者を何とかしたらどうなんだいッ」

おかみさんに怒鳴られて、陣笠を被った偉そうな男が、ずいと前に出た。

「やれやれ、お主のその剣幕も聞き飽きた。しかし屍体が一体から三体に増えるのでは、此方としても始末に困るのでな。で、確認しておくが、本当にこの玄信なる者、巨額の金子を貯め込んでおるのであろうな」
「ほ、本当さ」
「三百両とお主は言うたが、それに相違無いな」

「ほう、三百両! 玄信殿、田舎で彫物とは、そんなに儲かる商売ですかな」
「真逆な」

露庵が大きな声で叫び、玄信は、ふふふ、と笑った。

「謀ったのではあるまいな」

陣笠の男が、じり、と、おかみさんに近付く。

「な、何だいあんた達! あたしが色々世話してやったってのに、その恩を忘れて、挙げ句に、あたしの言う事も信じないっていうのかい」

おかみさんは、おろおろと辺りを見回しながら叫ぶ。その時。

「おや、関所の伴頭ともあろうお方が、この男の、持っているかも判らぬような金を、奪うお積もりで。まるで盗賊のような為さり様だ」

露庵が、お堂の縁側に腰掛けて立て膝をつき、じい、と陣笠の男を見る。

「何だ貴様」

陣笠の男は露庵を見返す。

「別に、只の町医者でございますよ。玉田修吾郎殿。いや、盗賊赤百足の首領、龍吾郎と言った方が、通りがいいかな」
「なっ」
「おう、矢張りそうか。あてずっぽうも、時には中るもんだ」

露庵の言葉に、陣笠の男は絶句してのけぞった。露庵は構わず続ける。

「龍吾郎よ、役目に就く途上の玉田殿を襲ってまんまと伴頭になりおおせたはいいが、以前の部下達までそのまま配下に引き込んだとあっては、それ、足が付くというものだろうよ。まあ、このサエ殿か、その助けが無ければ、こうもうまくはいかなかったのだろうがな」
「なにい」
「奥州一体を荒らし回り、日光街道の東往還まで出て来た処までは、公儀も調べがついていた。しかし真逆、こんな大胆な手に打って出るとはな。来月の城主様への参内前に、尻を捲くって逃げ出す積もりだったのだろうが」
「く、くそっ」
「それにな、お前の人相書は出来ていないが、部下共の人相書きは、ちゃあんとあるのだよ。それ、そいつと、そいつと、そいつ」

露庵は、ひょい、ひょいと役人の何人かを指差した。

「あっ、お、思い出したぞ!」

玄信が大きな声を上げた。

「貴様! あのとき、名主の家から出ていった、盗賊の一味だな!」

玄信が指を差したその先には。
左目の上に瘤がある、狐目の痩せた男が。

「なっ」
「此処で遭ったが百年目。斬り捨ててくれる」

鬼のような形相で、玄信はその男に向かって行く。

「ああ、玄信殿、そう焦ってはいけませんな」

露庵は相変わらずのんびりとした声で言う。

「しかし」
「どうせこの事は公儀の知る処となるでしょう。こ奴ら、全員磔のうえ、火焙りの刑ですよ。だから今手を汚さずとも良い、と言っているんです」

「けっ、勝手な事ぬかしやがって。おい野郎共!」

陣笠の男は、急に口調が変わった。そしてその合図と共に、役人達、いや盗賊一味が、一斉に刀を抜く。

「どうやら稼ぎはここまでのようだ。こいつら全員斬り殺して、とんずらするぞ」
「ほうら、正体現した」

露庵がにやりと笑う。その笑みは月明かりに映えて。
あたしには、凶悪なもののように見えた。

「ちょ、ちょっとお待ちよ!」

おかみさんが声を張り上げる。

「じゃ、じゃあ、あんたたち、あんたたちは」

陣笠の男が、おかみさんの前に立ちはだかる。

「今頃気付いてももう遅いわ。サエ、お前から話を打ち明けられた時から、ああこいつはあの時の名主の娘だと、俺ぁ判っていたさ。しかし、まあお前のお陰でこの三月というもの、いい稼ぎをさせてもらったぜえ。これでまた盗賊稼業に逆戻りだが、そろそろ潮時だとは思ってたんだ。そうなりゃ、お前もどのみち始末しなきゃなんねえからな」

ぎらりと刀が光った。

「あたしは、あたしはああ」
「恨むんなら、愚かな自分自身を恨みな。茶屋の婆さんには、冥土で詫びを入れるんだな」
「うそ、うそ、うそおおおおおおおおお」

おかみさんの絶叫が月まで届いて。
月がぎらりと光った、ように見えた。

「死ねやああああああ」

ぎいいいん

「ぐはっ」

光がおかみさんの頭上で煌めき、くるくると一本の刀が宙を舞った。
おかみさんと陣笠の男の間に割って入ったのは。
あの片腕の男。
長内半兵衛。

「こ、この野郎おお」

陣笠の男は、手を押さえて呻く。

「安心しろ、貴様等全員、殺しはせぬ」

左手一本で刀を構え、半兵衛が言った。
地獄の底から響くような声で。

「やかましいぃ! 野郎共、こいつは片腕だ。びびるこたぁねえ、やっちまえ!」
「おうっ」

「殺しはせぬが」

斬りかかる盗賊共の間を、半兵衛はすり抜けた。
すり抜ける度、枝を折るような音と、刃の光が、飛び散った。

「うぎゃあああああああ」
「げへええええええええ」

「それ相応の苦しみは、味わって貰おう」

半兵衛は見下ろした。
あっという間に薙ぎ倒されて、地べたにはいつくばる、盗賊共を。

「腕が、腕があああああ」
「げほっ、げほおおおお」

「さて、次は貴様だ」

半兵衛は陣笠の男に迫る。
男は一瞬たじろいで、

「けええええええい」

何かを、そこらじゅうに撒き散らした。

「ぐっ」

怯んだ半兵衛の隙を突いて、男はこっちに走ってくる。

「ひゃっ」

あたしは驚いて、立ち上がってしまった。

「お、おタキちゃん!」

露庵が叫ぶ。
半兵衛が走ってくる。だが。

「小娘えええええ」

男はあたしを羽交い締めにし、脇差を突きつけた。

「うううう動くんじゃあねえ! 動くとこっこの小娘の、いいい命はねぇぞ」

ぶるぶる震える手で、あたしの喉元に、刃を押し当てる。
あたしは声も出せずに、直立したまま、干鱈のように固まった。

「やってみるがいい」

半兵衛は。
構わずに向かってくる。

「おい半兵衛」

露庵が声を掛けるが、半兵衛は動じない。

「その娘を殺してみろ。此の世で最も激しい苦痛を、貴様にくれてやる」
「なにをおおお」
「俺は山田浅右衛門が弟子、長内半兵衛」
「お、長内」
「名前くらいは、聞いたことがあろう」
「くっ、山田一門の筆頭、首斬り半兵衛か」

とうとう半兵衛は、あたしの目の前までやって来た。

「どうするのだ」
「ひっ」
「この長内半兵衛に、首の皮一枚残して斬り捨てられたいか」
「ひいいいい」

かさっ

すぐ横で草の葉がすれる音がした。

一瞬、あたしに突きつけられた刃の、力が緩んだ。


つぴゅん。


あたしの目の前を、光が横切った。

一瞬の静寂の後。

「うぎゃあああああああああ」

耳元で物凄い絶叫が。
そしてあたしの喉元に突きつけられていた刃が、腕ごと、だらりと落ちていった。

「済まぬな」

半兵衛は。
あたしに向かって、憮然とそう言った。

あたしはそれきり、気を失った。

  *   *   *   *   *

翌日。

「サエ殿が番所で言うには、だ」

露庵が茶を啜って、先を続けた。

「盗賊に家族を殺されたあと、一時は親類縁者の許に預けられたが、十の時に江戸の大店に奉公に出た。そこでひょんなことから、あの玄信殿の姿を見かけるわけさ。なんでも、店の主人が注文した襖絵を描いて、持って来たのだそうだ。もしやこいつが親の仇ではないかと、サエ殿はその後もずっと、玄信殿の所在を欠かさず調べていたのだそうだよ」
「むう」

不景気な声で応じるのは半兵衛だ。あたしはふたりの湯呑に茶を注ぎ足した。

「しかしまあ、似ているというだけでは決め手に欠ける。何度となくサエ殿は、玄信殿の過去の名を突き止めようとしたらしい」
「それで、サエ殿は玄信殿の後を追って、江戸からこの関宿までやって来たというのか」
「そういうことさ。いやはや、その執念たるや、想像を絶するな」
「なんと...」

半兵衛が眉間に皺を寄せる。あたしはお盆をぎゅっと抱きしめて、半兵衛の傍らに座った。二十年もの間親の仇を恨み、ひとりの男を追い続ける。その凄まじさに、背筋が寒くなったのだ。

「そして、サエ殿は、やってはいけないことを、やってしまった」
「む」
「この茶屋で働き出してひと月経った頃、茶屋に賊が入ったのさ。サエ殿はここの元の持ち主、キヨという婆さんと一緒に住んでいたのだが、キヨさんは殺されて、サエ殿は助かった」

あたしは耳を疑った。

「えっ、ここの持ち主のお婆さんは、殺されたんですか」
「そうサエ殿が言うのさ。勿論、その時は、心の臓の病で死んだということになっていたのだがな」

露庵はそう言って、ううん、と唸った。

「名主の九兵衛さんの話だと、特に外傷が無かったそうだから、恐らく窒息死だったのだろうな。押し込んで来た賊に殺されかけた時、サエ殿は、奴らに取引を持ちかけたのだそうだよ。この茶屋をお前達の隠れ家にしてもよい、匿ってやるし、手引きもしてやる、とね。賊はその取引に応じたのさ。しかし、キヨ婆さんを生かしておく訳にはいかなかった」
「そんな...じゃあ」
「結局、サエ殿はキヨ婆さんを見殺しにした、いや、結果としては、取引の代償として殺させた、という事になるかな」

あたしは血の気が引いていくのを感じていた。真逆、あのおかみさんが。優しい笑顔の裏に、そんな怖ろしいものを隠していたなんて。

「蛇の道は蛇、か。盗賊に殺された親の仇を討つ為に、盗賊の味方をするとはね。しかしサエ殿は、彼等からの情報を欲していたんだろう。そしていざとなれば助力を乞う事が出来るしな。ともあれ、身寄りの無かったキヨ婆さんの代わりに、サエ殿は茶屋を継ぐ事になり、奴らの手引きをしてやるようになった。この協力が功を奏して、あの盗賊赤百足の一味は、一時的とはいえ、関所の役人になりおおせた、という訳だ」
「しかし、そんな事が可能なのか」

半兵衛が一層厳しい表情で露庵に訊く。露庵は、団子をつまんで、じいとそれを見ながら言った。

「なあに、今度御役目に就くはずだった玉田殿は、江戸から派遣されて来た若い役人でな。関所の役人達も会った事が無かったそうだ。関宿城主様への参内の前にすり替わってしまえば、誰も気が付かぬさ。未来永劫此処に居る訳でなし。まあ、至極手際が良かったのは事実だろうな。勿論玉田殿は、生きてはおるまい」
「その手際の良さには、やはりサエ殿が」
「大きな働きをしたのは疑いない。そうしてサエ殿は、着実に仇を討つ足場を固めていったのさ。ところが、土壇場になって、あの盗賊の頭、厄介事は御免だと、サエ殿の願いを拒むようになって来た。これではまずいと、サエ殿は、ありもしない三百両という金をちらつかせて、盗賊共の重い腰を上げさせたのだ」
「むむう」
「結局、サエ殿が恐るべき執念で追い続けた仇は、あの玄信殿ではなく、自分が味方と恃んだ者だったというわけさ。何と皮肉な話じゃないか。サエ殿は涙ながらに語ったよ。自分の愚かしさ故に、沢山の人を不幸にしたと。自分と同じような辛い目に遭わせてしまったと」

そう言って露庵は、ぱくり、と団子を頬張った。

「恨みとはかくも怖ろしいものよ。そして人の心とは...」

半兵衛が地面を睨む。そして、

「なんと弱いものであることか」

呟き、大きく息を吐いた。
この半兵衛という人、怖い顔をした人だけれど、案外優しい処があるのだろうな。
あたしは無礼にも、そんな事を考えていた。
そうして、

「あ、あのう」

ふと思い立って、あたしは露庵に訊いてみた。

「何だいおタキちゃん」
「それで、おかみさんと玄信さんは、これからどうなるんですか」
「それそれ、そこなんだがな」

すっかり団子を食べてしまった露庵は、串を振りながら言う。

「サエ殿は自分の罪を洗いざらい白状したが、それが事実なら死罪は免れぬ処だ。盗賊の一味に荷担したとあっては、厳しく処断されても仕方あるまい」
「そ、そんな」
「しかし、だ。サエ殿があの荒れ寺に一味を集めてくれたお陰で、悪名高い盗賊の一味を一網打尽に出来たわけだ。その功績をだな、ちょいと奉行殿のお耳に入れてみた。それに直接殺人を指示した訳では無いし、まあ、良くて重追放、悪くても遠島という処で、なんとかなりそうだよ」
「そ、そうですか...」
「玄信殿については、サエ殿の父君から財布を盗んだと自己申告があったが、二十年も前の事件で、仔細を確かめようがない。サエ殿も訴え出る事はしないと決めたようだから、こちらは無罪放免さ。調べがつき次第、荒れ寺に戻って来るだろう」

私はほっとして、頬が緩んだ。そんな私をじっと見ていた露庵は、

「ときに、おタキちゃん」

と、あたしに訊く。

「は、はい」
「お前さん、これからどうするね」
「どうするって」
「この茶屋で、働いていくのかい。どうせサエ殿は戻っては来ないし、まあ、後を継ぐ事は出来るだろうが」
「はあ...」

実のところ、あたしにはまだ判らない。しかし。

「たぶん、そうなると思います。此処のお団子、気に入ってくれるお客が多いし...」
「おお、そうだそうだ。此処の団子は実に美味い。無くなって仕舞うのは勿体無いぞ。なあ半兵衛」
「む、むう」

半兵衛は気の無い返事を返す。

「それに、玄信さんの事も、気になりますから」
「ほう、そんなに気になるかね」

悪戯っぽく、露庵は目を光らせる。しかし気になるのは本当なのだ。

「あたし、玄信さんと同じ、貧乏武士の娘なんです。同じように口減らしに出されて、色々働きながら此処まで来たもので...。他人事のように思えなくて」
「そうなのか」

半兵衛が驚いてあたしを見る。露庵は、ぱん、と膝を打った。

「なるほど。お前さんの冷静な目の正体が判ったぞ。武家の娘だったのか」
「はあ。父も母も、もう亡くなりましたが、躾には厳しい人達でしたから」
「そうかそうか。それなら尚更、玄信殿には似合いだ。うんうん」
「は?」
「玄信殿の才も又、失わせるのは勿体無いと云うものさ。良い猫の彫物だったなあ、あれは。躍動する様が真に迫っておった。なあ半兵衛」
「うむ、そうだな、俺は...」

半兵衛は何やら考え込んでいる。というより、思い出そうとしているようだ。そして、

「そうだ。俺はあの、眠る猫がいいな」

ぼそり、とそう呟いた。
あたしはなんだか可笑しくなった。やはりこのお人、根は穏やかな方であるらしい。

「眠る猫か? お前さんらしくもない」
「そうか?」
「そうさ。ああそうそう、東照宮には、かの左甚五郎が彫ったという、眠る猫が居るそうな。行ったら是非見てみたいものよ」
「ほほう」
「玄信殿も、勉強に日光へでも行ってみれば良いのだ。ああ」

露庵はそう言いかけて、あたしを見てぺろりと舌を出す。

「いやあ、すまんな。お前さんを置いて行け、と言っているのではないぞ」
「は?」
「ともかく、お前さん達はお似合いだ。おタキちゃん、玄信殿を宜しく頼むよ」
「は、はあ...」

あたしが呆気に取られていると、半兵衛が横槍を入れて来た。

「こら露庵。早合点して余計な事を言うな。そんなに焚き付けても、結局は本人どうしの問題ではないか」

しかし露庵は構わず脳天気に言う。

「ああそうさ。しかし、本人どうしが気付かぬことも多いのでな。半兵衛、お前と千代殿もそうだったではないか」
「うっ、五月蠅い」
「ははは、まあそういう訳で、だ。玄信殿が帰って来たら、宜しく伝えておくれ」

そう、あたしに言うが早いか、二人は同時に立ち上がった。

「さて、行くか」
「うぬ」

「あ、あのう」

あたしは訊いてみたかったのだ。

「井上様、長内様、あなた方は、いったい...どういうお方で」

半兵衛は憮然として言った。

「只の、首斬り役人さ」

露庵は飄々として言った。

「厄介事が好きな、お節介の町医者さ」

二人はそうして、北へと歩いていったのだ。
秋風が、二人の行く道に、くるくると渦を巻いた。



おしまい





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