第二百十八話 いつもの夏
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俺はいつものとおり、朝のうたた寝を楽しんでたんだ。
遠くで回る扇風機が、ちょうど、そよそよ風を運んでくれる、縁側の日陰。ここが俺の指定席なんだ。
誰にも邪魔されない、至福のひととき、ってやつなんだ。
しかし今日は、なんだか嫌な予感がする。
じいさんは朝からそこいらを掃除している。いつも綿埃ばっかりだっていうのに。
ばあさんは朝から台所で忙しくしている。俺の朝ごはんだってうっかり忘れてたんだ。
こんなことが、前にもあった気がするんだ。
俺はすぐ忘れちまうんだが。
あれは確か。
ぶろろろろろ
聞き慣れない車の音がした。
ばたむ
ばたむ
ばたむ
「おじいちゃーん!」
「おばあちゃーん!」
「おおタクヤにラン、元気にしとったか」
「やあ帰ったよ」
「こんにちは、お世話になります」
「いらっしゃい、疲れたでしょ、さあさあ」
やばっ。
そうだ思い出した。
確かあれは去年の夏。
そしてその前の夏も。
「ゴンベ!」
「ゴンベみーつけた!」
うわわっ。
出た出た凶悪コンビめ。
こいつらは、俺の昼寝の邪魔をする天才なんだ。
毎年夏になると現れて、俺はえらい目に遭っているんだ。
「ほらーなでなで」
「なでなでー」
なでなでって、うぉい、背中を掴むんじゃねえっ。
いたたた足踏んでる足。
しっぽ! しっぽはよしてくれええええっ!
「ふぎゃっ」
俺はたまらず逃げ出した。
「あーゴンベ-」
「まってー」
「こらこら、ゴンベをいじめちゃだめでしょ」
「ママいじめてないよう、なでなでしてるの」
「なでなでー」
「すみませんこの子たちったら」
「ははは、いいんだいいんだ。ゴンベも年だからな、たまに子供にかまってもらったほうがいいだろ」
じいさんは呑気にそんなことを言っている。
冗談じゃねえ、俺はもっとゆっくりしたいんだ。
食器棚の上に隠れて、俺は事の成り行きを見守ることにした。
* * * * *
「わはははは」
「それでさタクヤったらさ」
「まあ」
「ママーぼくジュース」
「あたちもー」
「はいはい」
がやがやと騒がしい夕食が続く。
俺はまだ食器棚の上にとぐろを巻いていた。全く、ゆっくりうたた寝もできやしない。
しかも、一歩食器棚を降りたら、あの凶悪コンビに捕まっちまう。
とはいえ、そろそろ腹が減って来たところだ。やつらの目を盗んで、俺も腹拵えをしないとな。
するするっと食器棚を降り、電話代の脇を通過する。
そうっとそうっと。見つからないように...。
ぷち。
ぴーーーーーー
「タダイマ デカケテオリマス」
うわっ。
「あ、ゴンベ、また電話のボタン押したな」
「ゴンベ-」
「わーい」
やばい見つかっちまった。
俺はさっさと逃げようとしたが。
じいさんに、むんずと捕まってしまった。
「お前はほんとうに、愛想がないなあ。ほれ、こっち来い」
そうして、じいさんの膝の上に乗せられてしまった。
酒臭いじいさんの息が。うわっ、たまんねえな。
「ほら、お前にもやるからな」
そう言ってじいさんが俺の鼻先に近づけたのは。
マグロの刺身だ。
おおお、マグロの刺身なんて、ななな何日ぶりだろう。
俺はすっかり夢中になって、
「みゃん、ぐるぐる、にゃむにゃむ」
マグロにがっついてしまった。
「うまいだろ、なあ」
そうだ、去年の夏もこうだった。
騒がしい夕食どき、じいさんがこうやって、マグロをくれたんだっけ。
なんだ、凶悪コンビが来ても、いいことあるじゃないか。
そんなことを考えながら、はぐはぐ、にゃむにゃむ、がっついていると、
「ゴンベーぼくのもたべる?」
「あたちのもー」
凶悪コンビがマグロのきれはしを持ってやって来た。
「はいたべてー」
「たべてー」
うわこらちょっと何すんだ。
今こっちを食べてんじゃねえか。
押し付けるな! マグロを押し付けるなって!
だあああああああっもう、やってらんねえっ
「うぎゃっ」
俺は我慢できずに、じいさんの膝の上から逃れた。
まったく凶悪コンビめ、ろくなことをしねえな。
俺は縁側のすみっこに隠れて、顔をべろべろ洗った。
騒がしい夜は、まだまだ続くみたいだ。
* * * * *
「さあもう寝る時間よー」
「はーい」
「はーい」
風呂に入ってパジャマを着た凶悪コンビは、二階の部屋に引き揚げていったようだ。
やれやれ、俺もようやく、自分のペエスで過ごせるってもんだ。
ひんやりした廊下の上で、俺はごろりと寝そべって、うーんと伸びをした。
やっぱりこの開放感がないとな。どうも客があると、家が狭くなって困る。
「ママーおしっこー」
「はいはい」
俺はただ。
開放感に浸ってたんだ。
「その先よ」
「うん」
廊下の感触。
たまんねえ。
「ふわあああ」
むぎゅっ
「ふぎゃーーーーーー!」
「何だ何だどうした」
「うわーーーーーん!」
「ゴンベ、なんて声出してんだ」
「どうしたのいったい」
どうしたもこうしたもあるかい!
俺のしっぽ、思いっきり踏みやがって!
思わずキンチョーのポーズを作っちまったじゃねえか!
「うわーんママー」
「もう、あんたがよく見てないからでしょ」
「ランちゃんごめんなさいねえ。ほらゴンベ! こんなとこに寝そべってるあんたが悪いよ!」
っておい、なんで俺のせいなんだ!
俺はもう腹が立って腹が立って。
一目散に駆け出して、
がりがりがりがりがり
ちょっと開いてた押入の戸を押し開けて、無理矢理中に入ってやった。
「ああゴンベやめてくれよ」
「いいじゃないの。放っておけば」
「しょうがねえなあ...」
「さて、俺も寝るわ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」
そんな声を聞きながら。
フンマンやるかたない俺は、布団をひっちゃかめっちゃかにして、そのまんま眠ってしまった。
* * * * *
それから三日間というもの、ずっとこんな調子だ。
俺はなんだか頭がくらくらして来て、ろくに眠れなくなっちまった。
そりゃあ、じいさんやばあさんはいいだろうさ、孫だもんな。
でも俺にとっちゃ、ただの凶悪コンビなんだ。
「明日何時ころ出るんだ」
「ええっと、どうせ渋滞だしな。十時ころに出るよ」
「そうか、じゃあたっぷり呑めや」
「お父さん! あんまり呑ませないでよね、ユウキは運転手なんだから」
「いいじゃないか。またしばらく来られないんだからな」
「ママー、からあげとってー」
「あたちもー」
「はいはい」
そんな会話が聞こえて来る。
俺は縁側のすみっこで、不貞寝をしていた。
ふん、マグロなんかで釣られるもんか。
と、背後に気配を感じた。
この匂い、この足音。
「ゴンベー」
うわ、妹のほうだ。
しかし疲れ切っている俺は、最早逃げるのも面倒臭い。
ぷいっと顔をそむけて、寝たふりをした。
「ゴンベー」
すると妹は、俺の顔の前までにじり寄って、
「たべる?」
何か俺に差し出した。
「ねえたべる?」
これはっ。
ひっ、ヒラメじゃねえか。
なななな何年ぶりだろう。
い、いいや待て待て。
そんなに簡単に媚びないぞ俺は。
俺のしっぽ踏んどいて、謝りもしねえじゃねえか。
そんな刺身ひと切れで。
くんくん。
俺は。
くん、くんくんくん。
「あーん」
あーん。
がぶり。
う、うめええええええ
「ぐるぐる、にゃむにゃむ、にゃむにゃむ」
「おいしい?」
「にゃむにゃむ」
「ラン、なにしてるの」
「ゴンベにおさかなあげたのー」
「えー、ずるいぞぼくもー」
どたどた駆け寄る音がして、兄のほうが現れた。
「はいゴンベ」
これは、たたたたたタイだ!
「うみゃーんぐる」
「あーん」
「がぶ、にゃむにゃむ、にゃむにゃむ」
「おいしい?」
「にゃむにゃむにゃむ」
「ママ-、おいしいって」
「もうやめときなさい、ゴンベは疲れてるのよ」
「えーなんでー」
「あんたたちがかまい過ぎるからよ」
「ははは、いいんだよ、年に一回のことだしな」
「そうそう、少しはいい運動になったでしょ」
何か喋っていたらしいけど、俺には聞こえない。
必死になって刺身にがっついた。
凶悪コンビめ。
少しはいいとこ、あるじゃねえかよう。
* * * * *
「じゃあな」
「お世話になりました」
「じいちゃん、またね」
「ばあちゃん、バイバイ」
「はい、バイバイ」
「気を付けていけよ」
ばたむ
ばたむ
ばたむ
ぶろろろろおおおおおおお
「...ふう」
「...行っちゃったねえ...」
家の中に、いつもの静けさが戻った。
じいさんもばあさんも、あいつらが帰ったあとは、妙にしんみりしている。
俺はいつものとおり、のんびりするだけなんだけどな。
「来年はタクヤも小学生だねえ」
「早いもんだなあ」
しみじみした会話をして茶を飲むじいさんとばあさん。
去年もこんな感じだったよな確か。
しょんぼりしちまって。
どんどん年をとっていくみたいだ。
やれやれ、しょうがねえ、俺が少し元気づけてやるか。
「うみゃーうん」
「おおゴンベ、お前、やっぱり疲れたか」
「でもねえ、もうちょっと、愛想良くしてくれるといいねえ」
「ほうれ、こっち来い」
じいさんとばあさんに撫でてもらいながら、俺はぼんやり考えた。
来年の夏も、きっとこうなるよなあ。
安眠を邪魔されたり、尻尾を踏まれたり、大変なことばっかりだけど。
それはそれで、いいことなのかも、しれないなあ。
これがこのうちの、いつもの夏なんだよなあ。
なあ、じいさん、ばあさん。
外からじいじい聞こえていた蝉の声に、いつのまにかコオロギの声が混じっていた。
もう、夏も終わりなんだ。
おしまい
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