第百九十四話 ヴァニラ・アイスの憂鬱 | ねこバナ。

第百九十四話 ヴァニラ・アイスの憂鬱

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※ 第五十四話 まさかの猫(35歳 男) もどうぞ。

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口の端に微かな笑みを浮かべて、俺はゆっくりとスプーンを手にした。
陽が傾きかけた午後三時。外を行き交う人々は心なしかせわしなく見える。
アンティークの家具が揃えられたこの老舗の喫茶店では、時間の流れが違うようだ。
擦れたシャンソンの歌声が、わずかな音量で俺の耳を刺激する。
店内に充満した珈琲の香り。上質なひとときだ。
幾つもの死線をかい潜った次の日、こんな贅沢な午後を過ごすのも悪くない。

俺はそうっと、目の前に置かれたガラスの器へと、スプーンを動かす。
ふんわりと霜を纏った柔らかな肌。
そこへ、軽くスプーンを差し込む。
ごくりと喉が鳴る。
口へと運ぶ手が、微かに震えた。

「むふっ」

美味い。
流石に此処のヴァニラ・アイスクリームは格別だ。
チョコレートパフェの誘惑を斥けて正解だ。
控えめな盛り付けに、ちゃんとウエハースが付いてるところが素晴らしい。
堪らない満足感に俺は目を閉じ、口の中で広がる甘みと、鼻腔を満たすヴァニラの香りを楽しんだ。

「で、猫は確保できたのか」

その言葉に、俺はぴくんと反応した。
隣のボックス席の会話が聞こえて来たのだ。
しかも俺は猫というワードに敏感だ。
自他共に認める、無類の猫好きなのだからな。

「ああ、なんとかな」
「そうか。じゃあ今日中にやるぞ」

何やらヤバい雰囲気だ。
横目でボックス席をちらりと見る。作業服姿の男と、ちゃらちゃらした遊び人風の男がふたり、珈琲を前にして話しているのが見える。

「しかし、ほんとうに大丈夫なのか」
「任せろって。調べたところでは、あの家では猫を随分かわいがってるからな。身代金を要求すれば必ず出す。人間と違って、誘拐の罪には問われないから警察も動かないだろう。へっ、ちょろい仕事だぜ」

誘拐だと?
奴ら猫を誘拐して、飼い主に身代金を要求するつもりなのか。
俺は奴らの言葉を聞き逃すまいと、耳に神経を集中させた。

「んで、金を巻き上げたら、どうすんだあの猫」
「そうだなあ...あ、動物実験やってる会社にでも売るか。最近は高く売れるという噂を聞いたことがある」
「へえ」

なんだとう?
俺の中で怒りがふつふつと沸いてきた。
誘拐したうえ、そんなところに売り飛ばすなんて。
この外道どもめ。
俺は拳をぎゅうと握りしめた。今すぐにでもぶん殴って蹴倒して引きずり回してやりたいところだ。
いや待て。そうしたとしても、可哀想な猫ちゃんは救われない。
何とかしなければ。

「さて、行くぞ」
「ああ」

奴らは席を立った。
俺は。

「くっそう」

じっと、テーブルの上のヴァニラ・アイスクリームを見つめた。
今日はこれを、じっくり楽しみたかったのに。
滑らかな舌触りと、可憐な冷たさと、優しい甘さと、魅惑的なヴァニラの香りを、思う存分楽しみたかったのに。

悲しい。

悔しい。

「許さん」

それもこれも。
あの野郎どものせいだ。
ただではおかん。

俺はテーブルに千円札を叩き付け、足早に店を出て、奴らの後を追った。

  *   *   *   *   *

ちょっと前に潰れたプレス工場。此処が奴らのアジトらしい。
俺は物陰に身を潜め、奴らの様子を窺った。

「へえ、こんな猫がいるのか。不細工だな」

と、遊び人風の男が言う。脇には小さな檻があり、その中には。

「みゃあお」

大きな耳と目。三角形の顔に、しわっしわの、ほとんど毛のない身体。
あれは、スフィンクスじゃないか。なんと珍しい。

「かっ、かわいい」

俺は思わず声を出してしまった。

「ん?」

作業服の男がこちらを見る。
俺は慌てて身体を隠した。

「みゃあおう」

「どうした?」
「いや...気のせいか」

やれやれ。なんとかごまかせたか。
それにしても、あんなかわいい猫を不細工などとぬかしやがって。
貴様等外道のほうがよっぽど不細工だ。
さて、どうやって天誅をくれてやろう。
あんなチンピラは俺の敵ではないが。
それなりの報いというものが必要だ。

「みゃあおう」

「なんだこいつ、震えてやがるぜ」
「毛がねえから、寒いんじゃねえの」
「それとも、俺達が怖いのか」
「へっへっへっへっへ」

貴様等。それ以上その子を脅かしたら、只じゃすまんぞ!

む?

そうか。
恐怖には恐怖だ。
おあつらえ向きに陽もすっかり落ちた。

俺はにやりとして、コートのポケットから携帯用のボイスレコーダーを取り出した。
指向性マイクがそのまま指向性スピーカーになるという、スグレモノだ。
そしてこのレコーダーには。

むふふ。

俺は指向性マイクを、工場の天井に向け、スイッチを押した。

「まあお」

「ん?」
「どうした」
「今、猫の鳴き声が」
「は? 猫ならここにいるじゃねえか」
「違うって。別の猫の鳴き声だ」
「野良猫くらい、ここらにだっているだろ」

「なあお」

「ほらまただ」
「ああ」

奴ら少しビビってきたな。
俺は方向を変えながら、猫の鳴き声をどんどん流した。
天井や壁やらに反響して、あちこちから猫が鳴いているように聞こえる。

「なあお」
「まあお」
「にゃーごる」
「まあ」「びゃあ」

「お、おい」
「ななな何なんだ」

俺は音量をさらに上げた。

「まうー」「びゃおー」「ふー」「しゃー」
「みゃああああああああおう」
「みゃああああああああおう」
「なあああああおおおおおお」

「ひ、ひえっ」
「どこだ、どこにいやがる」

奴らは辺りを見回して、あたふたしてやがる。
これで済むと思うなよ。貴様等には。
もっと大きな天罰をくれてやる。
俺は懐に手を入れ、一丁の銃を取り出した。
もちろん本物の弾丸なんか使わない。
俺の武器は、奴らへの天罰にぴったりだ。

ゆっくりと狙いを定め、俺は遊び人風の男の顔を狙った。

ぱしゅっ

軽い空気音がして、奴の顔めがけてカプセルが飛ぶ。
その中には。

ぱしん。

「ぬあっ」

猫の小便が。

「ぬぎゃあああああああああああ」
「くっ、くせええっ」

そしてもう一発。

ぱしゅっ

作業服の男、貴様もだ。

ぱしん

「うわ、おわああああああああ」
「なっ、何だこんちくしょう」

そろそろお仕舞いだ。
俺は音量を最大にし、指向性スピーカーを男達に向けた。

「にゃーーーーーーーーごる」

「ひっ」

「にゃあああああああああああごる」

「ひ、ひええええええええええええ」

奴らは闇雲に逃げ出した。
当然、俺は奴らを逃がさない。
暗闇の工場跡を俺はすいすいと歩き。

「ひゃあああああ」
「くらえっ」

叫びながら走る遊び人風の男の、顔面に蹴りを喰らわし。

「ぐえええ」
「貴様もだっ」

作業員風の男の後頭部に、踵落としを決めてやった。

「どはっ」

奴らは一瞬で伸びてしまった。ふん、チンピラどもめ。
しかし。

「うっ、くさっ」

自分の武器とはいえ、やっぱり臭いな。
俺はハンカチで鼻を押さえて、急いで猫のもとへ走った。

「みゃあおう」

猫は、俺を見て鳴く。
その慈愛のこもった目。
しわっしわの肌。

「ね、ね」

きゃわいい。

俺はたまらず、檻を開けて猫を抱きしめた。

「ねねねねね猫ちゅわ~~~ん、かわいしょーに、かわいしょーに」
「みゃあう」
「寒くないでしゅか、怪我してましぇんか、おーよしよし」
「ぐーるぐる、ぐーるぐる」
「こんな人なつっこい子を誘拐だなんて、ひどい奴らでちゅね~~」
「ぐるぐる~」
「奴らもうおねんねしてまちゅからね、さあ、おうちに帰りまちょーね~」

そう言って、俺は猫に頬ずりした。
猫の体温を感じる。喉の音を感じる。
至福の、時だった。

きゃわいい。

  *   *   *   *   *

奴らのポケットに入っていたメモから、猫の飼い主の家はすぐに特定出来た。
高価な猫を買うだけあって、さすがに豪邸だ。
俺は猫を段ボール箱に入れ、ちらりとその家の入口を見る。
誰もいないな。

「じゃあ、ばいばいでちゅよ~」

俺は猫にそう挨拶し、箱を抱えて走り出した。

すたたたたたたたたたたたたたた

勢いよく走りながら。
門の前で。
優しく箱を起き。

ピンポーン

呼び鈴を鳴らし、そのままダッシュする。
まるで小学生の悪戯のようだが。
俺は表に出ないほうがいいんだ。

俺は通りの先まで走り、電柱の陰に身を潜めた。
ちらりとあの家の方を見る。呼び鈴に気が付いた家人が出て来る。

「ば、バニラちゃん!」

家人は猫をそう呼んだ。
そう呼んで、抱きしめた。
良かった。
俺は微笑みながら、いいようのない幸福感と、一抹の寂しさに浸った。

中折れ帽を目深に被り直し、コートの襟を立てる。
俺は陰で生きるのがお似合いさ。
幸せにな。

そう心の中で呟いて。
俺は空を見上げた。

星空さえ俺を哀れんでいるかのようだ。
ちっ、センチな気分になっちまった。
俺は目を伏せて歩き出した。
そして決意したのだ。

明日こそは、ヴァニラのアイスを、がっつり食おうと。



おしまい




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