◎番外◎ 春遠からじ
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冬が好きなのだ。
雪に閉ざされた静寂の夜が。
美しく恐ろしいその季節が。
ひとは生きるために懸命になる。
働き、食べ、飲み、眠る。
光と熱を求めて。
冷たさと寒さに苛まれるたび。
記憶はくっきりと輪郭をなしてゆく。
冬から春へと移ろうとき。
世界はぞわぞわと動き出す。
地面の奥で何かが裂けて、ちいさな音がはじけ出す。
雪解け水が長靴の中に飛び込む。
ぼんやりした湿気が、地上を支配する。
土の匂いが、鼻腔に沁み込んでくる。
そわそわした、名残惜しくも忙しいひととき。
ぐいぐいと空に向かって伸びる。
何もかも空を目指すのだ。
届くはずもないのに。
春の陽気にあてられて。
ねじが一本ゆるんでしまったように。
そうなのだ。
春は何かを弛緩させる。
緩めば緩むほど、ぐいぐいと。
きらきらと。
もぞもぞと。
咲く。
散る。
伸びる。
ひらく。
憂鬱と焦燥が入り交じった季節。
明るさのなかには。
冬のあいだに置き忘れてしまった、何かが潜んでいるような気がする。
おしまい
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