第百七十一話 黒猫タクシー・乗逃げ編(29歳 男) | ねこバナ。

第百七十一話 黒猫タクシー・乗逃げ編(29歳 男)

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「タクシー!」

俺は街を流すタクシーに向かって、手を挙げた。
金曜の夜だが、この不景気、六本木の繁華街でも、ぶらぶら流しているタクシーは多い。
すうと俺の脇にタクシーが滑り込んで来る。
真っ黒な車体に、でかでかと猫の顔がプリントしてある。
間抜けなデザインだ。きっと運転手も間抜けな奴に違いない。

「どうぞ」

扉が音もなく開いた。俺はどっかりとシートに腰を下ろし、適当に行き先を告げた。
タクシーは、やけにスムーズに発進した。

  *   *   *   *   *

「随分あったかくなりましたねえ」

運転手が呟く。

「そうだね。景気はどう」
「いやあ、よくありませんよう。あたしらの商売にまで好景気が影響してくるのは、しばらく後ですからね。でも不景気はすぐに影響する。やんなっちゃいますよホントに」
「そう、大変だね」
「お客さんは、景気いいんじゃないんですかい」
「まあね」

そう。俺は高級なスーツに身を包み、高級時計にブランドのバッグを持っている。
誰も、無賃乗車が趣味だなんて思うまい。
これはひとつの、遊びってやつだ。
いかにあっさりと乗逃げするか。相手に警戒心を持たれず、しかも被害届を出すのも馬鹿らしいという運賃の範囲でやらなければならない。最近は2ちゃんねるでも自慢話が飛び交っているが、まあそれを俺もパクらせてもらってるわけだ。
さて、今日はどんな手でいくか。

「あ、そこの信号左に曲がって」
「え? ここですか?」
「近道なんだよ。大丈夫、道案内するからさ」
「はいはい」

運転手は俺の言うとおり、大通から脇道に入った。
何の警戒もしてないな。しめしめ。

「こういう道を走ると、思い出しますよ」

運転手が不躾に言った。

「何をだい」
「いえね、あたしの仕事仲間が、最近乗逃げに遭ったんですわ」

俺はどきりとした。

「の、乗逃げ」
「ええ。それがまた、全くその、運賃踏み倒すような人には見えなかったんだそうで。油断できませんねえ。ええと、そうそう、ブランドもののバッグを持って」

なに。

「高級そうなスーツに身を包んでねえ」

こいつまさか。
俺は焦った。

「時計も高級そうな、ええと何でしたっけねあのメーカー」
「さ、さあね」
「まあいいや、そしてなんとも上品そうな口調の」

額から、脂汗が流れた。

「女性だったっていうんですよ」
「ほへ?」

何なんだ。俺は拍子抜けして、変な声を出しちまった。

「そ、そうなんだ」
「ええ。まったくひどいもんでしょ。あたしらみたいな貧乏人から巻き上げるなんてねえ。何を考えてるんだか」

判っちゃいねえな。お前らみたいな間抜けから巻き上げるから楽しいんじゃないか。
誰が苦労なんぞするもんか。これは遊びなんだ。

「大変だね」
「ほんとですよう。その手口ってのがね」
「ああ」
「あるマンションの前に車を駐めるんですよ。そうしたら、ごめんなさい部屋でお金取ってくるわ、ここの七〇七号室だから、ケータイ置いていくわね、なんて言ってマンションの方に歩いて行くんです」

やばい。

「いくら待っても帰って来ないもんで、ケータイを見てみたら、あれです、ケータイショップの見本品で」
「そ、そう」
「慌ててマンションに行ってみたら、そこはなんと六階建てだったっていうじゃありませんか。ひどい話ですよ。そんな知恵を使うならもっと他のところに使えばいいのに」

俺は心の奥で舌打ちした。くそう、今日はこの手でいこうと思っていたのに。
しょうがねえ、予定変更だ。

「あ、二つ目の信号右ね」
「はいはい」

随分静かな裏通りへと、タクシーは入って行った。
まだまだオプションはあるんだ。

「そうそう、こういうところに来るとねえ、思い出しますよ」

またか。

「タクシー強盗っての、最近また増えてるんですわ」
「ほう」
「狭くて暗い路地に入って、いきなり後ろから刃物を突きつけられたり、スタンガンっていうんですか、あのびりびりするやつを押し付けられたりしてね」

そういう話は俺も聞いたことがある。しかし俺はそんなリスクはかけない。遊びでやるからには、スマートさが命だ。

「ですからね、私も持ってるんですわ、これ」

運転手はそう言って、サイドボードから黒い棒のようなものを取り出した。
スイッチを押すと、じりじりじりと蒼白い火花が飛ぶ。

「最新型ですよ。イスラエルからの輸入品でね、一撃で気絶させるくらいの電流が流れます」
「ふ、ふうん」
「これさえあれば、強盗にも反撃できますからね。もし乗逃げしようなんて不届きな奴らがいたとしても、こいつで懲らしめてやりますよ」

じりじりじり、と火花がまた散った。
冗談じゃない。あんなもん押し付けられてたまるか。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
しかし、ここで引き下がれるか。せっかくいいカモを見つけたんだ。

「あ、そこ左ね」
「あれ? ここですか」
「そうだよ」
「あれま、あたしの家の近くだ」

なに?

「そ、そうなんだ」
「ええ。あたしも、あたしの仲間も大勢ここらに住んでますよ」
「ふ、ふーん」

なんだか嫌な予感がする。

「なかなか住みいい街ですから。狭っくるしいところがまた、いいんですわ」
「...」
「ええと、ここの路地入るんですよね」
「ああ」
「ここ、いっぱいいっぱいだなあ」
「大丈夫?」
「なんとか...いけると思いますよ」

タクシーは細い路地に入った。車一台やっと通れるくらいの幅だ。
ええい、覚悟を決めろ。

「あの先で左ね。少しふくらんで走ったほうがいいよ」
「そのようですね」

タクシーが右の建物の壁すれすれまで近付く。左の隙間が空いた。

「ああ、ここでいいや」
「え? いいんですか?」
「うん、どうもありがとう」
「はい、それじゃ...」

運転手はサイドブレーキを引き、ドアのロックを解除した。
今だ。

「それっ!」

俺はロックの外れた左側のドアを勢いよく開け、外に飛び出した。

「うわちょっと」

運転手は外に出ようとしてドアを開けるが、すぐ右側に壁が迫っていて、開けられない。

「へっ、ざまあみやがれ」

楽勝だ。
俺はダッシュでその場を逃げ去ろうとした。
振り返ってタクシーを見ると、タクシーにプリントされたでかい猫の顔が。

笑った。

な。

ふと前をみた。

じりじりじりじり

路地の向こうで、蒼白い火花が散っている。

「なっ」

俺の目の前にいるのは。
まさか。

「惜しかったですねえ、お客さん」

運転手が。
なぜ。

「言ったでしょう。ここはあたしらの住処なんでね」

じりじりじりじり

こっちに来る。
スタンガンをじりじりいわせながら。

「く、くそう」

元来た方へと俺は、ダッシュした。
しかし。

「ひゃっ」

「なーう」
「びゃーう」
「ふーううう」
「なごーう」

猫だ。
物凄い数の、猫が。
路地を埋めている。
タクシーの上にも。

「にゃうごー」
「しゃー」

タクシーの猫の顔が。
凶悪に笑う。
牙がぎらりと光る。

「うわ、うわあああ」

また振り向いてみた。
しかし運転手の姿はない。
かわりに。

「びゃーおう」
「みゅーう」
「にゃわーおう」

こっちも猫だ。
猫だらけだ。

「観念なさいな」
「ひっ」

耳元で声がした。
あの運転手の声だ。
俺は。
恐る恐る、声のするほうへ、顔を向けた。

運転手が。
俺の肩に、あごを乗せて。
笑っている。

にやりと笑ったその口元に。
牙が。

「ひいい」
「たあっぷり、懲らしめてあげますよ」

運転手の目が。
ぐるりと回って。
ぎらりと光った。

じりじりじりじりじりじりばちばちばちばち

「うわあああああああああああああああああ」

  *   *   *   *   *

「では次のニュースです。
 今日未明、中野区の◎◎交番で、ほぼ全裸で街を歩いていたとして、男が公然わいせつの疑いで逮捕されました。身元を示す所持品は無く、警察は身元の確認を急いでいます。調べに対し男は、「ネコガ、ネコガ」と、訳のわからないことを話しているということです。では次の...」

ぶち。

「やれやれ。このスーツ、古着屋にでも売り払うか。時計は質屋でけっこう高く引き取ってくれそうだ。なあ」
「なーおう」
「ふわあ、ああ疲れた。ひと眠りするか...」
「なーおう」
「黒猫タクシー、今日は休みにするかにゃ...」
「ふみゃ~~」


おしまい




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