第百六十四話 ネコかタヌキか(35歳 男)
※ 第五十四話 まさかの猫(35歳 男) もどうぞ。
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新宿は歌舞伎町の裏通り。
この物騒な処に、奴のねぐらがあるそうだ。
俺はネオン眩しい通りから路地に入り、ショート・ピースに火を点けた。
煙が目に沁みる。ちっ、幸先悪いぜ。
帽子を目深に被り直し、トレンチコートの襟を立てて、俺は歩き始めた。
こつ、こつ、こつ、こつ。
裏通りに俺の足音がこだまする。
歩きながら俺は考えていた。これからのヤバい仕事についてだ。
正直俺は気が重い。何だって奴と組んで仕事せにゃならんのだ。
確かに奴は凄腕だ。そんじょそこらのポッと出とは訳が違う。しかし奴は。
俺とは違う。接点が見つからない。だから生涯手を組むことにはならないと思っていた。
それが。
「お前と奴で組まなけりゃ、こいつはどうにもならねえ。頼んだぞ」
マスダの親分直々のお指図とあっちゃ、俺も義理立てしないわけにはいかない。
全く厄介なこった。
「...此処か」
廃屋同然の古びたビル。その地下に通じる階段の前で、俺は足を止めた。
奴とはこれから話し合いをしなけりゃならない。しかし物別れに終わった時のことも、考えておかねばなるまい。
血を見るのは嫌いだ。しかしそれは奴次第だな。
俺は煙草を踏みつけて消し、静かに階段を下りた。
* * * * *
ぎいいいい
酷い音を立てて扉が開く。
「おいサイゾウよ、いるか」
切れかかった蛍光灯が瞬く部屋の中は、黴や生塵の臭いに混じって、アルコール臭が漂って来る。
此処は昔ショットバーだったらしい。椅子やテーブルがそこいら中に散乱している。
カウンターの奥から、微かにラジオの音が洩れて来る。
「いるんだろ、返事しろよ」
俺は大声で呼びかけた。返事は無い。
カウンターの方へと進んでゆく。徐々にアルコール臭が酷くなる。
「おい、いい加減に」
「っせえな」
突然カウンターの中から、ぼさぼさ髪の頭が突き出した。
「何だいるなら返事しろよ」
「俺は眠いんだ。用があるなら出直してきな」
そう言ってサイゾウは、充血した目で俺を睨む。
こいつがサイゾウ。その筋から「ゴッドハンド」と称される腕前の持ち主だ。
裏社会でこいつの名前を知らない奴はいねえ。
しかし最近は、とんとこいつの話を聞かなくなった。
こんな処で落ちぶれていたとはな。
「アル中か」
「さあな」
「仕事が出来るのか、そんな手で」
「うるせえぞこのキザ野郎」
サイゾウは俺に向かって毒づく。そうなのだ。奴とは昔から相性が悪い。
「おい」
俺は奴に向かって凄んだ。
「俺は貴様が嫌いだ。だから貴様の顔なんぞ見たくねえ。だがな、これは仕事だ。貴様もプロなら弁えろ」
「なんだとう」
奴も俺をじろりとにらみ返す。
「マスダの親分が仕事を持って来た。俺は貴様と組むのは御免だ。だが親分は俺と貴様が組まなきゃいかんと言う。これも飯の種よ。判るか。判ったらさっさと顔洗って表に出やがれ」
サイゾウは暫く俺をねめつけていたが、やがて力なく座り込んだ。
「やなこった」
「なに?」
「俺にゃ親分になんぞ義理はねえ。勝手に手前一人で片付けりゃいいだろうが。分け前が欲しいならくれてやる。だから放っておいてくれ」
「ほう、そういう態度に出るか」
どうやら、奥の手を使うしかなさそうだな。
俺はカウンターを飛び越え、奴の正面に立った。
「貴様がそういう態度なら、俺にも考えがある」
「へん、格好つけるんじゃねえや」
「そうか、じゃあ覚悟しやがれ」
「なんだやるかこの野郎」
ゆっくりとサイゾウが立ち上がった。
俺に汚ねぇ面を近づける。強烈な酒臭さだ。
俺は怯まず、懐に手を入れた。
「俺にゃ怖い物なんざありゃしねえ。何だそれは。ハジキか、シャブか」
奴は嘲るように言う。俺は奴の目を見据えたまま、それを取り出した。
それは。
びよよよ~~~ん
「にゃお」
「ひっ」
俺が猫の鳴き真似をしただけで、奴は飛び上がった。
取り出したのは猫じゃらしだ。もちろん猫のにくきうデザインだ。
こいつで奴のあごを撫でようとすると。
「ひ、ひいいいいいいいいいい」
奴はすっ転んで床に這いつくばった。
「そうら、歌舞伎町の猫は気立てがいいぞ、そらそら」
俺はにやつきながら、サイゾウを追い回す。
「ひゃああああああああああああああ」
憐れなサイゾウは、逃げ回りながら椅子やテーブルをなぎ倒していく。
そう、こいつは極度の、猫嫌いなのだ。
「おや、今日は二匹、いや三匹もついて来たぞ。ほれサイゾウ、貴様の顔が見たいとよ」
「いいいいいいいいやだあああああああああ」
奴は逃げ回った挙げ句、カウンターの隅に頭を突っ込んで震え出した。
「おら、もう猫はいねえぞ。さっさと起きろ」
「きっ、貴様ああ」
震えながら、サイゾウは俺を睨む。全く情けない奴だ。
「これ以上怖い思いをしたくなかったら、さっさと顔洗って来い。仕事だ」
俺はドスの利いた声で奴を急かした。
「...外に出たら、猫を追っ払ってくれるだろうな」
「ああ、いいとも」
「...少し時間をくれ...」
そう言ってサイゾウは、奥の部屋に消えた。
全く、こんなヘタレ野郎と組むなんて、一生の恥だ。
俺は猫じゃらしを懐に仕舞うと、ゆっくりと、煙草に火を点けた。
ラジオからは、調子の外れたアイドルソングが、流れて来た。
* * * * *
「じゃあ、手始めに貴様の腕を試させてもらおうか」
「ふん」
新宿東口のアルタ前。
此処で俺は、サイゾウの腕が鈍っていないか、確認することにした。
「よし、あれだ」
俺が奴に指示したのは、生中継に備えて準備をしている名前も知らないタレントだ。
「おら、行って来い」
「命令すんじゃねえよ」
サイゾウはそう言うと、薄汚いコートを揺らせて歩いて行った。
全く此奴のファッションセンスはなってねえ。そこらのホー○レスの方がよっぽどいい服着てるぜ。
俺みたいにパリッと決められないもんだろうか。
そんなことを考えているうちに、奴はタレントにふらふらと近付いて行く。
真っ直ぐ行くのではない。人影を上手く利用しながら、ターゲットとその周辺に目立たないよう着実に歩くのだ。
そして。
どん。
「あっ」
「す、すいません」
ひとりの女の子に奴がぶつかった。そして女の子は、ターゲットのタレントにぶつかった。
タレントの方は、かわいい女の子にぶつかられて、何だか嬉しそうだ。
俺はすいすいと早足で人混みの中を進み、既に交差点で信号待ちを装っているサイゾウに近付いた。
「ほらよ」
サイゾウは、交差点の向こうをぼんやりと見つめながら、俺に何かを手渡した。
「よくやった」
そうだ。ワイヤレスマイクの発信器。
「じゃ返して来い」
「だから命令すんじゃねえ」
サイゾウは不満そうに踵を返した。
「あれ、音来てないよ」
「カンちゃん頼むよー」
「え? おっかしいな。あ、あれ?」
「どしたの」
「マイクないよほら」
「えっ。こら誰だ付け忘れたの!」
「あ、あたしさっき付けたばっかりなのに」
「だって付いてねえじゃねえかよ」
「ええええええ」
奴ら揉めてやがる。
サイゾウはまたゆらゆらと歩いて、今度は大柄なサラリーマンの背中にぶつかった。
そのサラリーマンは、怒り心頭のディレクターにぶつかった。
「いてっ」
「あ、す、すみません」
そしてサイゾウはそそくさと立ち去る。
「ったく何だよ」
「やっぱりありませんよマイク」
「何ぃ、お前が付け忘れたのに変なこと言ってんじゃねえよ」
「だってー」
「ほらもうすぐ時間だぞ、どうすんだよ」
「あれイッちゃん、ポッケに入ってんの、それ何」
「え?」
「あ、なんだディレクターが持ってたんじゃないすか」
「お、俺? なんで?」
「こっちが聞きたいですよ!」
「イッちゃん頼むよ-。ケーボーってんだよそうゆうの」
「なんで? なんでなんで?」
「わははははははは」
「どうだ気が済んだか」
「ああ、ばっちりだ」
やっぱり腕は錆び付いちゃいねえようだな。
俺は安心して、親分に指示された場所へと、奴を連れて行った。
* * * * *
「いいか、これからそこのビルの下に、車に乗って黒服の二人連れがやって来る。奴らはこれと同じ形のケージを持って来るはずだ。車を降りて、ビルに入るまで二十メートル。その間に、このケージと奴らのものをすり替える。それが今回の仕事だ」
喫茶店の窓際の席でパフェに食いつきながら、俺はサイゾウに仕事を説明した。
「ケージだと?」
サイゾウは不審そうな顔をしている。奴の大好物ロシアン・ティーにもなかなか口が付かないようだ。
「そのケージには、何が入ってるんだ」
「これか? これはな」
俺は口いっぱいにフルーツを頬張ったまま、ケージを開けて見せる。
中には。
「なんだ、タヌキのぬいぐるみじゃねえか、脅かすない」
サイゾウは安心して、ロシアン・ティーをひと口飲んだ。
「で、お前は何をするんだ」
「俺は貴様がケージをすり替え易くするために、周りで騒ぎを起こす。幸い俺達の顔は奴らにゃ割れてねえからな。段取りは任せてもらおう。混乱が起きたら、貴様はすぐに仕事にかかれ、いいな」
「命令すんじゃねえって言ってんだろ」
奴は少し安心したようだ。美味そうにカップの中身を飲み干す。だが直ぐに、奴の顔が強張った。
「それで...その、奴らが持っているケージには、一体何が、入ってるんだ」
恐る恐る俺に訊く。
しょうがねえ、教えてやるとするか。
「ああ、ターゲットはな、これだ」
俺は懐から一枚の写真を取り出し、テーブルに置いた。
そこには。
「ひっ」
長毛で。
顔が黒くて。
尻尾の太い。
鼻ペチャの。
「ひゃああああああああああああ」
サイゾウはでっかい声で叫んだ。
他の客が一斉にこっちを見る。
「馬鹿っ、でかい声出すんじゃねえよ」
「ひっ、だっ、こ、これ、ね、ねねねね」
やっぱりこういう反応だな。
「違うって、これは、タヌキだ」
俺は言い切った。
「...タヌキ?」
サイゾウの奴、ぽかんと口を開けた。
なんて間抜けな面だ。
「そうだよ。ほら見てみろ。顔の真ん中が黒いだろ」
「いやだって」
「おなかが白いぞ。それにほら、尻尾だってこんなに太いじゃねえか」
「で、でっででも」
「それにな、こいつの名前はポンちゃんだ。どうだタヌキじゃねえか」
「し、しかし...」
まだ納得してねえなこいつ。
俺は訊いてみた。
「何だよ、貴様、野生のタヌキ見たことあんのか?」
「え? いっ、いや」
「じゃあこれがタヌキじゃねえ証拠は何だよ」
「...それは...い、いやでも」
「つべこべぬかすんじゃねえよ」
俺は奴の胸ぐらを掴んだ。
「いいか、こいつは、タヌキだ」
「...」
「間違いねえ。タヌキなんだよ」
「そっ、そうか、そうだな」
「そうだ」
「タヌキ...そうだタヌキだよな。は、ははは」
サイゾウは引きつって笑いやがった。
まあいい、これで安心だ。
あとは俺の仕込みだが...さて。
「そろそろ行くぞ。ぬかるなよ」
俺達は喫茶店を後にした。
* * * * *
ききっ。
どでかいリムジンが道端に駐まる。
後部座席のドアが開いて、屈強そうな二人の男が出て来る。
うち、ひとりの手には、灰色のケージがある。
奴ら、警戒してるな。しかし時間は無い。
信号が青に変わる。計算通りだ。
俺は向かいのビルの間に隠れているサイゾウに、きらりと手鏡を光らせて合図した。
サイゾウがこっちに向かって来る。今だ。
「頼むぞ」
俺は自分で持って来たケージを開け、丸めたアルミホイルをその前でちらつかせ、
「それっ!」
奴らに向かって、投げた。
「うきゃっ」
ケージから飛び出した白と黒の影は、猛スピードで人混みの中を突っ走り、
どすん。
奴らのケージに体当たりした。
「うわっ」
ケージを持っていた黒服が蹌踉めく。
「なんだこいつ。おい、早くどかせ」
もう一人の男が、それを持ち上げようとするが、
「シャー!」
それは物凄い形相で威嚇する。
「うえ、怖えなこいつ」
俺はちらとサイゾウを見る。案の定固まってやがる。
やれやれ、やっぱり俺が出て行かなきゃ駄目か。
俺はすいすいと奴らに近付いた。
「ああ、すみませんね、うちのが飛び出してしまって」
「な、何だあんた」
「ご迷惑だったでしょう。どうもすみません」
そして俺は、素晴らしい働きをしてくれた相棒を、抱き上げた。
「あ、あれ見て」
「何なに」
「ほらあれ、CMに出てる」
「ヨウツベに出てるやつだ」
「あああの、取って来いするやつ」
「うわー、ふわふわ~~」
「きゃー、かわいい~~!」
「見せて見せて」
俺の周りには、みるみる人集りが出来た。
デジカメやケータイを構える人もいる。
こんな時のために、こいつの動画、サイトにアップしておいて、よかったぜ。
「うわちょっと、お、押さないで」
周りは大変な混雑になった。
俺も、奴らも、人に押されてぎゅうぎゅうだ。
その隙に。
「はい、ごめんなさいよ、ちょっと通してくださいな」
と俺は、人混みを掻き分け、元いた場所に戻った。
サイゾウは。
見ると、歩道の隅っこで、ケージを恐る恐る覗いてやがる。
全くヘタレめ。
俺はサイゾウとターゲットを収容するべく、自分の車へと急いだ。
* * * * *
「よくやった」
「ふん」
マスダの親分は、俺達の働きに満足したらしい。報酬にはボーナスがついた。
俺は上機嫌だが、サイゾウは大層不満そうだ。
「何だって手前の猫なんか使いやがるんだ。俺は危うく、引きつけを起こすところだぞ」
「うるせえよヘタレ野郎。これが俺の仕込みだ文句言うんじゃねえ」
「何だとう」
サイゾウは凄むが、全く怖いとは思えない。
「何だやるか」
俺は、あのターゲットの写真を取り出した。
「へ、へん、何だタヌキの写真なんざ出しやがって」
サイゾウは引きつった顔でそう言う。
「ああ、そうだ。狸と書いて、ネコと読むんだ」
「なに?」
「お前知らなかったの? 昔はな、狸って字でネコとも読んでたんだよ。猫と狸、どっちの字を当てるかは厳密に決まってなかったらしくてな」
「じゃ、じゃあ」
「あれは親分の妾さんの妹が飼ってる猫だ。エキゾチック・ロングヘアとかいったかな。ヒモの男が貴様みたいに猫嫌いで、ナカノの親分とこにやっちまおうって話になってたんだが、やっぱり連れ戻して欲しいんだと。お互いの顔を潰さないために俺等が担ぎ出されたって訳よ」
「だって貴様、ねねね猫じゃねえって」
「は? 俺はネコじゃないとは言わなかったぞ。貴様が勝手にそう判断したんじゃねえか」
「やっ野郎おおお」
「ああよかったなあ。嫌いな猫とお近づきになれてよ。ほらその手に毛が」
「ひっ」
「ほらそこにも」
「ひゃ、ひゃああああああああああああああああ」
奴は頭を抱えて、自分の穴蔵に逃げ込んだ。
「全く...」
やっぱり奴とはもう組みたくねえな。
俺はそう思って、ふと路地から覗く空を見上げた。
珍しく月がよく見える。
「まーおう」
「なーおう」
「びゃーおう」
歌舞伎町の猫たちの合唱が、聞こえた。
これじゃサイゾウは、当分、外に出られないに違いない。
おしまい
いつも読んでくだすって、ありがとうございます
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