第百十一話 おでん猫(24歳 女 会社員) | ねこバナ。

第百十一話 おでん猫(24歳 女 会社員)

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おでんの具、何が好き? ブログネタ:おでんの具、何が好き? 参加中
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「うわっぷ」

会社の通用口を開けて外に出た途端、冷たい風が私を襲った。

昼間は暖かかったのに、夕方から急に冷え込んできたようだ。
明日の会議の資料をひとりでまとめていたら、すっかり遅くなってしまった。こんな日にあたしだけ残業なんて。しかも他の連中は、誘い合わせて飲みに行っちゃった。別に行きたかないけれど、人が仕事してる最中に飲みの予定を大声で話すなんて、デリカシーに欠けると思う。
あたしって、つくづく周りに合わせるのが苦手なんだなあ、と最近特に感じる。それを知ってか知らずか、課長の奴、あたしにばっかり面倒な仕事を押し付けて...。
ああもう、むしゃくしゃしてきた。

ごう。

「うひゃあ」

寒い。寒いさむいサムイよう。
あたしは今日マフラーもストールも持って来てない。薄手のコートだけでは寒さをガードできっこない。
これはこたえるなあ。タクシーでも拾おうか。
そう思って、小走りに大通りへと向かう。横町の奥から、ぷうんと焼き鳥の香りが漂ってくる。
急におなかが好いてきた。このままじゃ家まで辿り着けないかも知れない。
大通りの角にあるファミレスが目に入る。そうだ。ここで少し暖まって帰ろうか。
ファミレスの階段を駆け上ろうとした、その時。

「あれ、トミちゃんどうしたん」

後ろから声を掛けられた。
振り向くと、総務のサッちんが立っていた。

「え、ど、どうしたって」
「もう仕事終わったん」

サッちんの後ろには、あの課長の奴が。

「え、まぁ、まあね。うん」
「そうなん。良かったら一緒にお茶しょ」

げげっ。
サッちんはいいとして、なんであの課長とあたしがお茶せにゃならんのだ。
そもそも、なんでサッちんと課長が一緒にいるんだ。
課長の奴、なんでそんなに得意げな顔してるんだ。

「あ、いやあの、ちょ、ちょっと急用思い出したわ」
「へ?」
「ごめんね、またね~。課長、お疲れで~す」
「ちょっとトミちゃーん」

私はヒールがもげそうになるほど、急いでその場をあとにした。

  *   *   *   *   *

「ふうううううううううう」

ヤバい。もう限界だ。
そろそろ何処かで暖まらなきゃ。
でも、大通りに面した店はもうシャッターが閉まってる。最近夜の街は物凄く寂しい。
私の寒さに、シャッター街が拍車を掛ける。寒いさむいサムイ。
なんであたしがこんな。
こんな目に。

急にせつなくなってきた。
情けないけど、ぎゅっと瞑った目に、涙がにじんだ。

ごう。

「うわーもう」

北風があたしの涙を飛ばした。
ぼんやりにじんだ景色の向こうに、赤い光が点っているのが見えた。

赤い提灯。そこには

「おでん」

の文字が。

屋台なんて、おじさんの入るもんだと思うけど。
熱燗なんて飲んだこともないけど。
今日は、非常事態だ。
あったまれるなら、何でもいいやもう。

あたしは、厚手のビニールシートをかき分け、生まれて初めて、屋台へと足を踏み入れた。

「いらっしゃい」

声を掛けてきたのは、革ジャンにハンチング帽のおじさんだ。しかも、革ジャンの上からデニムのエプロンをしている。
おでん屋さんには似つかわしくないスタイルだと、反射的に思った。
他にはお客がいない。
ええと、こういう店って、どうするんだっけ。

「あ、あの」
「いいよ、どこでも掛けてちょうだい」

おじさんに促されるままに、あたしは小さなカウンター席の右端に座った。
その脇にはダルマストーブがあって、とても暖かそうだからだ。

「今日は冷えるねえ」

と、おじさんが言う。

「ほんとですねえ」

と、あたしも返す。ストーブの熱気とお鍋の湯気が、あたしの周りを一気に暖めた。

「お姉ちゃん、何にするね」
「ええと...」

ここはやっぱり、未体験ゾーンに挑戦だな。

「熱燗で」
「コップでいいかい?」
「え?...あ、はいはい」

おじさんは、おでんの煮えているお鍋の横にある容器に、どぼどぼと一升瓶からお酒を注いだ。徳利みたいなので出て来ると思ったら、違うんだ。

「あとは?」
「うーんと...」

ぐつぐつ煮えるお鍋からは、いいお出汁の匂いが漂ってくる。いろんな具があるなあ。目移りしちゃう。
でもやっぱり、あたしは...。

「大根と...はんぺんと...玉子と...あ、ウィンナー!」
「はいよ」

少し大ぶりのお皿に、おじさんがヘラで辛子を置き、手際よくおでんを並べる。
そして、さあっとお出汁をかける。
たったこれだけの動作なのに、なんだか見とれてしまった。

「はい、お待ちどおさま」

おでんのお皿と、小鉢のお通し、それにコップに入った熱燗がほぼ同時に出て来た。
日本酒の湯気と、おでんの湯気が、あたしの顔をもわっと湿らす。

「いただきまーす」

思わず声に出してそう言った。

「はいどうぞー」

おじさんが返す。なんだか可笑しい。

飴色に光る大根を箸で割る。その間からまた湯気が立つ。
口に入れる。あち、あちちちち。
ほふほふいいながら、口の中で転がす。
じんわり、しみてたお出汁が口に広がる。

「んー、おいひい」
「そうかい」

おじさんが笑う。いやほんとにおいひいのだ。
やっぱり大根だなあ。でも、家じゃこんな味にはならないなあ。
今度は辛子をちょいとのっけてみる。口に放り込むと、つんと鼻の奥を辛子が突っつく。
ほふほふと口で転がすたびに、ぴりりと辛さが舌で踊る。
これこれ、この刺激がたまらないのだ。

そして、初体験の熱燗。
もともとお酒はそんなに強いほうじゃない。
この一杯、飲みきれるかどうかが問題だと思う。どきどきだ。

あつあつのコップを持ち上げ、なみなみと注がれたお酒を、ずず、と啜る。
もわーんとお酒が、お酒の湯気が、口やら鼻やらいろんなところを満たしていく。
うわー、あっつい。
ごくんと飲み干すと、口から喉、そして胃の中まで、お酒がじんわり沁みていく。
まるであたしは、お出汁を吸う大根みたいに、熱燗を吸っている。

「ぷぁー」

オヤジみたいな声を上げてしまった。おじさんがニヤニヤしている。

「お酒、熱かったかい?」
「いいえ、おいしいです!」

あたしは力強く言った。
そして、はんぺんと、大根と、玉子、赤いタコさんウィンナー、そしてお通しの切り干し大根を交互に食べながら、熱いお酒を啜った。
なんだ、屋台ってこんなに楽しいのか。
おなかも身体も顔も、ぽかぽかと火照って来た。あんなに冷え切っていた足まで、血が通っていくのが判る。
こんな楽しいところ、オヤジに独占させておくのは、もったいないぞ。

「にゃーう」

と、右脇で猫の鳴き声が聞こえた。
ふと見ると、黒っぽいトラ模様の猫が、ちんまりと座ってこっちを見ている。

「おお、お前今日も来たのか。ほれ」
「にゃーう」

おじさんが猫を呼ぶと、猫はとことこと、おじさんの方へ歩いて行った。

「ふうふう、ふうふう」

おじさんは、鍋からおでんの具を取り出し、箸で小さく切って、ふうふうと冷ましているようだ。そして、

「ほら、お食べ」

その皿を、猫に差し出した。

「にゃーうぐるぐる、にゃむにゃむ」

猫は喉を鳴らして、おでんにかぶりついている。

「うまいか、そうか」

おじさんは嬉しそうだ。あたしは訊いてみた。

「この猫、いつも来るんですか」
「ああ、そうだな。ここに店を出すと、いつも来るよ」
「へえ...この猫、何食べてるんですか?」
「ああ、こいつはね、ちょっと変わったものが好物なんだ」
「何です?」
「大根だよ」

「だいこん?」

「そうさ、よく煮込んだ大根が好物でね」
「へえええ、あたし、てっきりはんぺんとかつみれだと思ってた」
「もちろん、そういうのも食うんだけどね。ただ、大根をあげると、他のものには目もくれないね」
「そうなんだ」

一生懸命喉を鳴らして、満足そうにおでんを食べる猫。
しかもあたしと一緒で、大根が好きなんて。
何だか不思議な気分だな。

「ずっと来てるんですかこの猫」
「いやあ、去年からだね。初めは小さくてひょろひょろだったけど、ここに来るようになってからは、けっこう元気になったようだよ」
「おでん食べて元気になったんだ」
「そうだな、ははははは」

おじさんは豪快に笑った。

  *   *   *   *   *

私はすっかりお皿を空にしてしまった。お酒はまだ半分くらい残ってる。
もうひとつくらい何か食べたいな。

「あのう、何かおすすめの具ってあります?」
「おすすめねえ...。好みは人それぞれだからねえ...」
「あ、じゃあ、他であんまり食べられなさそうなもの」
「うーん、じゃあ...ゆりね巾着でもどうだい」

「ゆりね、ですか」
「ああ。お姉ちゃん、百合根って食べたことないかい」
「あんまり...聞いたことないです」
「ようするに、ユリの球根だな。よく茶碗蒸しの底に入ってる、白いぴらぴらしたやつだよ。イモみたいな食感の」
「あ、ああ、なんとなくわかります」
「あれを油揚に詰めたやつなんだけど、試してみるかい?」
「はい、ぜひ」

おじさんは、中に何か詰まった大きな油揚を、私のお皿に乗せてくれた。
箸で油揚げを割ってみる。ほわんと湯気が上がり、中から白っぽい、薄っぺらいにんにくみたいな形のものがたくさん出て来た。
ひとつ口に入れてみる。ほろほろと崩れて、優しい甘みが広がった。

「んまーい」
「そうだろ」

ゆりねだけを食べると、とっても優しい味だ。でもお出汁をよく吸った油揚と一緒に食べると、なんとも贅沢な味になる。
夢中になってゆりね巾着をやっつけていると、

「にゃーう」

おでんを食べ終えた猫が、私の横にやって来た。
ご相伴に与ろうって魂胆だな。

「お前、ゆりね食べる?」

私がひとつ、猫に差し出そうとすると、

「ああ、百合根はやっちゃいけないよ」

と、おじさんが声を掛けてきた。

「え、そうなんですか?」
「ユリは犬猫に食べさせちゃいけない植物だからね。火を通してあるといっても、やっぱり用心に越したことはないさ」
「へえ~」

こんな美味しいものが食べられないなんて、ちょっと気の毒だな。
指を差し出すと、猫はその指に、鼻先をすりつけてきた。くすぐったい。

  *   *   *   *   *

ゆりね巾着を食べ終わると、あたしはもうお腹いっぱいだ。
お酒は少うし残っている。ぐいっと飲み干すには...少し多いかなあ。

「お酒、だし割にするかい?」

と、おじさんが訊いてきた。

「だし割ですか?」
「ああ。おでんの出汁で、お酒を割るのさ」
「へええええ、そんなのがあるんですか」
「あったまるよ。試してみるかい」

こうなったら、何でも試してみなきゃ損だ。

「はい、お願いします」
「はいよ」

おじさんは、お酒の入ったコップに、おでん鍋の出汁を注いでくれた。
少し冷めかけたコップが、途端にあつあつになる。
あたしはハンカチでコップを掴んで、口に運んだ。
お酒の匂いとお出汁の匂いが混ざって...旨味とアルコール分が混ざって...。
ううん、何て言ったらいいんだろ。不思議な味だ。
でも確かに、あったまるなぁ。
ふうふういいながら、結局、全部飲み干してしまった。

「うぅ~」

またしても、オヤジみたいな声出しちゃった。
おじさんはまたニヤニヤしてあたしを見ている。
まあいいや。今日はあたしの、めでたい屋台デビューの日だ。
少々オヤジ臭いのも、デビューの証ということで。

「ごちそうさま! えっと、いくらですか?」
「うーんと、ちょうど千円ね」

なんだか物凄くお得な気がした。
こんなにあったまって、美味しくて、いろいろ楽しくて。
また来ちゃう。絶対来ちゃう。

「にゃーう」

そうだ、またこの猫にも会えるもんね。
あたしと仲間、大根好きなこの猫にも。
あたしはおじさんにお札を渡して、

「ありがとう、また来ますね」

と言った。おじさんは、

「はい毎度」

と言った。そして、

「にゃーう」

猫もあたしに、挨拶をした。

「またね~」

あたしは猫の頭を撫でて、スキップしながら屋台をあとにした。
そう、スキップだ。
ほんわか酔いも回っている。駅までスキップしちゃおうか。
空を見上げると、星がいっぱい、またたいていた。

ごう。

「まけるもんかー」

北風にだって、びくともしない。
そんなあったかさを貰って、私は駅へと向かった。
ヒールをかつかつ鳴らしながら、スキップで。


おしまい



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