第八十六話 <随筆>暖を求む | ねこバナ。

第八十六話 <随筆>暖を求む

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昨日の朝方、マルコが久し振りに、私の懐に入って来た。
近頃感覚が鈍いせいか、寒くても暑くても、あまり変わり無く毛布をはだけて眠りこけている私である。ふと隣を見ると、妻はミノムシのように毛布にくるまって寝ている。
気付かぬ間に、秋が、深まってきたようだ。

  *   *   *   *   *

私は北国の生まれである。
「シバレル」という方言が地元にあるが、なるほど、この「シバレル」という感覚は、実際に体験してみなくては判らない。「内地」に出てきて、そのことをつくづく感じた。
「シバレ」とは、厳密には冬の寒さで地面が凍りつくことを指すらしい。十勝や根釧などの道東地方は、日本海側に比べて雪は少ないが、冬の寒さは格別であるから、土が凍る。「シバレがきつい」年は、凍りついた土が深さ一メートル以上にも達することがあるという。こんな年は、春の訪れが遅い。農家の人々は、太陽とにらめっこをしながら、ビートやジャガイモの植え付け時期を探ってやきもきするのである。
道東に住んだことの無い私にとって「シバレ」は、早朝窓ガラスに出来るシダの葉のような氷の結晶である。
とびきり寒い日の朝方、父が「今日はシバレてるぞ」と窓ガラスにびっしりと付いた見事な文様を指差して言うのだ。自然が作ったにしてはあまりに人為的な、まるでこういう文様のガラスをはめ込んだのかと疑うくらいの造形美を見遣りながら、「このくらい立派に出来たなら今日は寒いぞ」と、ウキウキしたものだ。というのも、朝六時の気温がマイナス二十五度以下になると、小中学校は始業時間が一時間遅れるという規則があったからだ(最近は温暖化が進んだせいか、この規則は無くなってしまったらしい)。
こういう朝の厳しい寒さは、たいてい、前の晩に予感がある。星空が近い。シリウスの光が蒼白く眼を射貫く。そして外からじわじわと、冷気が攻めてくる。そんな日は、兄弟三人寄り添って(年の離れた妹は両親と寝ていた)、おしくらまんじゅうのようになって寝た。いつも私が真ん中だった。兄と弟は、私の足に自分等の足をからめ、「あったかい、あったかい」と呟いたものだ。
ちなみに、私はそんなに体温が高いほうではない。だから「暖かい」のではなく「冷えない」と言ったほうがいい。身体の奥底でせっせと熱を作り続ける能力が、他の人よりあるのかも知れない。

  *   *   *   *   *

「身体も寒冷地仕様よね」
と、昔誰かに言われた記憶がある。今思えばなまめかしい言葉だ。
私は北国に帰るとスイッチが切り替わる。北関東の空っ風にぶるぶる震えるくせに、ごうごうと吹雪が叩き付ける厳寒のホームで、一時間くらい平気で汽車を待っていたりする。何故そうなるのか自分でも判らない。ただ想像するなら、これは生存の為の装置なのだろう。白銀の世界で死に掠われてしまわないよう、体内のボイラー技士達が激しく活動を始めるのだ。この装置を私が生まれながらに持っているとすれば、私はやはり寒冷地仕様なのだろう。
ノルウェージャン・フォレストキャットという猫の種がある。美しいダブルコートとふさふさした尻尾が特徴の猫で、白夜と厳しい寒さが支配するノルウェーの気候に適応した、逞しく、賢くて高貴な、文字通り寒冷地仕様の猫である。
二代目猫マルコを家に迎え入れた時、私達は彼をノルウェージャンの血が入った雑種と、勝手に決めた。見事なダブルコートを持っているし、高いところが好きだ。そして鳴き声は小さく控えめである。これなら、冬場の留守番は心配要らない。きっと逞しく育ってくれるに違い無い、と。
しかし、残念なことに、その判断に私達は少々疑いを持ち始めている。「高貴なハンター」と称されるような狩りの腕前は持ち合わせていないし、逞しく、と言えるほど身体ががっちりと発達しているわけではない。むしろヨロヨロである。脱兎の如く逃げる速さだけが天下一品で、私と妻以外の人間には全く寄り付かない。放り投げたおもちゃを追って走り出しても、途中で何を追いかけていたのか忘れて呆然とする始末。その度に、私達は深い溜息をついて崩れ落ちる。
彼がもしご先祖様から正当に受け継いだものがあるとすれば、それは見事な毛皮である。やはり寒いのには強いらしく、真冬に窓を開け放っておくと、北風がびゅうびゅう吹き込んで来ても全く動じること無く、外をじっと観察し続けている。そして手触りは格別である。やや堅めのオーバーコートの下にあるふんわりとした羊毛のようなアンダーコートは、どんな高級な毛布よりも暖かく、肌に優しい。ただ彼はずっとお腹を触られるのは嫌らしく、せいぜい十秒ほど楽しんだあとで、齧られ蹴られて手を傷だらけにされるのがオチだが。
そんなわけで、我が家には、寒冷地仕様が一人と半匹程度、居ることになっている。

  *   *   *   *   *

熱を求めるのは、動物の本能である。血液が凍りつかず、体内の酵素が活動できる範囲で体温を保たなければ、死が待っている。
だから寄り添う。そして互いの熱を分け合い、逃がすまいとする。寄り添うという行動は、命に関わる重要な行動だ。だからこそ、安心できる相手と寄り添わねばならない。自然、寄り添うことは相手を認めることに繋がる。自分の総てを委ね、相手の総てを受け容れる。どんな快適な家が出来ても、どんなに進歩した暖房器具が出来ても、人間は、そして動物は、寄り添うことを忘れない。
先代猫のゴン先生は、私と妻の間をどっかりと占領するのが常であった。そしてマルコも然り。何時の間にか割って入って、我々を押しのけながら、気持ち良さそうに寝息を立てている。
そこは、暖を確保すると同時に、暖を分け与える位置なのだ。事実彼等の身体は温かい。長い冬の夜、いつもより早く布団に潜り込み、ふたりと一匹、もぞもぞしながら暖まるのは最上の悦びである。
この暖かさに報いるように、私は生きていきたいと願う。そしていざとなったら、寒冷地仕様のスイッチを入れ、妻とマルコのためにボイラーを焚き続けることが出来たらと思う。いや、そうならないのが最善だ。

マルコは今日も、秋の風に髭をなびかせながら、外の空気をじっと眺めている。彼のボイラーは、普通に働いているようだ。


おしまい





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