今日で丁度20年目になりますね。20年前の今日、1986年4月26日、旧ソ連・現在のウクライナ領に有る原子力発電所、チェルノブイリ原発にて火災が発生、大参時を引き起こしました。

私は当時、影も形も有りませんので当時の状況というものをよくは知りません。しかし、20年経った現在でも尚その名を知られている事故を私達は知っておかねばいけないのでは無いかと思い、当時の話を調べて見たりもいたしました。今回はその事を簡単にですがまとめて見ました。


1986年4月26日1時23分(モスクワ時間)に4号炉が爆発が起き大量の放射能が付近を汚染した。

私の持ち合わせている事件の概要とはこの程度の物であった。(これは、数年前に両親が語ってくれた物であった。)4号炉内に居る職員は全員大量の放射能を浴び即死、火災が発生しその消化に当たった消防員たちも多量の放射線を浴びてやはり助かる事は無かった。


爆発の原因は原子炉が止まった際に備えた実験を行っていたところ、制御不能に陥り、炉心が融解、爆発した。爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に(なんと約10t)が飛び散った。

当時、原子炉の中には大量のキセノンが溜まり『キセノンオーバーライド』と呼ばれる状態になり

本来予定していた20%~30%の出力予定が、僅か1%にまで低下していたと言う。

その為、作業員は炉心内の制御棒を引き抜き熱出力を7%にまで回復。

不安定状態の運転を始めると、作業員達は非常用炉心冷却装置を含む安全装置を次々と停止させ、実験を開始させた。

実験開始直後、原子炉の熱出力が急激に上昇、慌てた作業員達は緊急停止を試みるも、時すでにに遅く

原子炉は暴走、爆発した。

その際にばら撒かれた大量の放射能は北半球全域に飛散した。又、爆発の際に消化にあたった消防士

その他、作業員達の多くの遺体は高濃度の放射能を浴び最早回収すら不可能な状態になっていた。

その為、チェルノブイリ4号炉の内部には現在でも多くの遺体が放置されたままとなっている。

尚、現在この建物は大量の放射能が飛散しないよう、コンクリートで周りを覆われた状態となっている。

『石棺』の別名は此処から来ている。


現在でも高濃度の放射能が残る石棺、20年たった今では老朽化が進み最悪の場合、倒壊の恐れすらあると言われている。その際の被害は計り知れない物となるだろう。

そして、現在でも尚苦しんでいる多くの被爆者の方々がたくさん居ます。そういった方々への保障は

現在、殆ど行き届いておりません。これが現実なのです、あの事故は今まさに風化しようとしています。

この事件を風化させて良いのでしょうか?その思いから、今回の事を書いて見ました。

そして、事故で亡くなった多くの作業員の方達、そして消防士の方達の冥福を静かに祈ろうでは有りませんか。


え~、さて此処まで随分とシリアスに書いておいて大変に申し訳ありません。

私も今しがた気付いたミスが有りまして。

実はコレ、4月26日のことなんですよね、はい、皆様もうお判りですね。

                もう既に一日すぎてるんですよ!!

ほんとになにやってるんでしょね自分は。ノリと勢いだけで書いてきましたがこの文章に込めた

思いに微塵のウソも有りません、なのであえて最後まで書かせていただきました。

この話は100年200年経っても、決して忘れては行けない負の歴史の一つだと私は思います。

原子力がどんな物なのか?皆様も、もう一度考えてみてはいかがでしょうか。