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露出するなら、胸、脚、うで、背中、どこ?欧米の教科書で南京大虐殺や支那侵略の記述拡大・ドイツ「日本のファシズムが南京大虐殺30万人」 
イタリア、ドイツ、カナダ、米国で歴史教科書に「日本の支那侵略」記述の動き!
ドイツの教科書「日本のファシズムが支那で人間性を失った南京大虐殺。残忍な方法で殺害した平民や捕虜は30万人に達する」と記述!

http://www.recordchina.co.jp/a117042.html
イタリアだけでなくドイツ、カナダ、米国でも…歴史教科書に“日本の中国侵略”記述の動き―中国紙
配信日時:2015年8月20日(木) 12時12分

20日、長江日報は、ドイツをはじめとする多くの国の教科書で、中国に関する内容が増えていると伝えた。写真は南京大虐殺記念館。
20日、長江日報は、ドイツをはじめとする多くの国の教科書で、中国に関する内容が増えていると伝えた。写真は南京大虐殺記念館。

2015年8月20日、長江日報は、ドイツをはじめとする多くの国の教科書で、中国に関する内容が増えていると伝えた。

記事によると、新華社は先日、イタリアの歴史教科書が日本の中国侵略に関する記述を強調するようになってきていると伝えたが、その他の多くの国の教科書でも第2次世界大戦期の中国の歴史を重視する傾向があるという。ドイツの歴史教科書では、日本が中国をはじめとするアジアの国々に行った犯罪行為について、「多くの驚くべき暴行が発生した。アジアにおいて、日本のファシズムが中国で人間性を失った南京大虐殺を起こした。わずか40日の間に集団銃殺、生き埋め、刺殺、焼殺などの残忍な方法で殺害した平民や捕虜は30万人に達する」と記述している箇所がある。

このほか、カナダのオンタリオ州、ブリティッシュコロンビア州、ノバスコシア州の3州では、相次いで歴史教科書に日本の中国侵略に関する内容を盛り込んだ。米サンフランシスコでは、南京大虐殺や細菌戦、捕虜の強制労働などを現地の社会科の教科書に記述。カリフォルニア州ロサンゼルスでは、大戦当時、南京攻略戦などに参加した東史郎氏が日本の南京大虐殺について語った証言を教材にしている。

武漢大学人文社会科学の教授で、中国第2次世界大戦史学会の会長を務める胡徳坤(フー・ダークン)氏は、「世界の多くの国では基本的に第2次大戦期の日本の中国侵略を認めている。ただ、中国の戦争に対する大きな貢献が無視されている」と指摘。イタリアなどの国のこうした動きについては「彼らが正確な歴史観を堅持していることを示している。冷戦後、多くの西洋の学者が中国の抗日戦争における地位を再認識し、正義の声を挙げ始めている」と語っている。(翻訳・編集/北田)



>ドイツの歴史教科書では、日本が中国をはじめとするアジアの国々に行った犯罪行為について、「多くの驚くべき暴行が発生した。アジアにおいて、日本のファシズムが中国で人間性を失った南京大虐殺を起こした。…」と記述している箇所がある。


日本がドイツから「ファシズム」呼ばわりされるとは思わなかった。

日本は、ドイツなどと違って、戦前も戦中も民主主義と自由主義を守り通し、一度たりとも「ファシズム」にはならなかった。

民主主義は、選挙と議会と複数の政党によって保障される。


選挙と議会と複数の政党があることによって、時の政府の政策や思想に反対の立場の人も国民の支持があれば国政を左右できたり、または政権交代の可能性もでてくる。

19世紀に上記の民主主義(選挙と議会と複数の政党)があったのは、日本と欧米のごく少数の国だけだった。

日本は戦前も戦中も、当時のイタリアやドイツ、ソ連、戦後の共産党一党独裁の支那や金日成・金正日等独裁者支配の北朝鮮のような独裁体制になったことは一度もなかった。

結局、日本は、戦前も戦中も民主主義と自由主義を守り通した。

昭和12年(1937年)7月に始まった支那事変が終結しないまま昭和16年(1941年)12月に対米英蘭戦争(大東亜戦争)が始まり、日本も総力戦の体制になっていったが、日本はドイツやイタリアやソ連のような独裁体制ではなかった。


独裁体制とは、一国一党体制(一国独裁者)であり、首脳(大統領や総統や首相や書記長など)に任期がないことも多い。

昭和15年(1940年)12月に、日本では大政翼賛会ができたが、これは当時のドイツのナチスやソ連の共産党のような一国一党の独裁政党ではなく、いくつかの勢力の寄り合い所帯であり、内部紛争が絶えなかった。

そのため大政翼賛会は、行政の補助機関のようになり、昭和16年(1941年)の9月に翼賛議員同盟が創設され、衆議院議員はこの他にも同交会、興亜議員同盟、議員クラブ、同人グラブ、無所属などに分れた。

昭和16年(1941年)に対米英蘭戦争(大東亜戦争)が始まり、戦争中の昭和17年(1942年)2月に東条首相は翼賛政治体制協議会を結成し、4月の第21回総選挙では衆議院の立候補者を推薦するいわゆる翼賛選挙を行なった。

しかし、その衆議院選挙の結果は、推薦議員は381名で非推薦議員は85名だった。

中野正剛、鳩山一郎、三木武吉、芦田均、笹川良一などの非推薦組の議員たちは程度の違いはあっても、反東条派だった。

この大東亜戦争中の衆議院選挙で推薦議員が多く当選したのは、有権者がこの非常時には政府に一致協力すべきだという考えがあったからだ。

しかし、この時の選挙でさえも、非推薦の候補者が当選できたのだ!

例えば、尾崎行雄は、推薦選挙に反対して東条内閣に公開状を送り、その中止をもとめたり演説をしたりしたが、当選した!

また、斎藤隆夫は、昭和15年(1940年)に衆議院で軍と政府を批判する演説をして衆議院議員を除名されていたが、但馬選挙区で最高点で復活当選した!

斎藤隆夫は、昭和15年(1940年)に衆議院で軍と政府を批判する演説
演説する斎藤隆夫

そもそも「大日本帝国憲法」(明治憲法)で国務大臣等は国民によって選ばれることになっており、「五箇条のご誓文」には日本の民主主義の基本と普遍的な理念が示されていたのだから、日本が戦前も戦中も民主主義と自由主義を守り通すことは当たり前のことだった。

さらに、日本では、大日本帝国憲法で保障された宗教の自由(信教の自由)が、大東亜戦争(第二次大戦中)までも保たれた。

戦時中の日本の政界や学界では、今中次麿や田中耕太郎らのキリスト教徒が活躍した。






>ドイツの歴史教科書では、…「…日本のファシズムが中国で人間性を失った南京大虐殺を起こした。わずか40日の間に集団銃殺、生き埋め、刺殺、焼殺などの残忍な方法で殺害した平民や捕虜は30万人に達する」と記述している箇所がある。


日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。

南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。

南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。

日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。

日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。

日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。


南京入城:画像





>このほか、カナダのオンタリオ州、ブリティッシュコロンビア州、ノバスコシア州の3州では、相次いで歴史教科書に日本の中国侵略に関する内容を盛り込んだ。


支那事変は、支那共産党が日本軍を銃撃して盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。






>米サンフランシスコでは、南京大虐殺や細菌戦、捕虜の強制労働などを現地の社会科の教科書に記述。


日本軍は、細菌戦なんてやっていない。

2007年1月18日、米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。

この時、石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。

ところが、731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。


文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。
ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。
奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。

つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。


●関連記事

【731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)】
1~11の目次・一覧表
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13578503.html

731部隊の人体実験
細菌戦は嘘(全て作り話)11・最終回
米国立公文書館が731部隊(関東軍防疫給水部)に関する米情報機関の機密文書10万頁分を公開→■まとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13576514.html






>カリフォルニア州ロサンゼルスでは、大戦当時、南京攻略戦などに参加した東史郎氏が日本の南京大虐殺について語った証言を教材にしている。


東史郎という糞爺は、嘘吐き爺の中でも特に有名な嘘吐き爺だ!

これまで本名で証言をした人の話は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu_d_3.html
質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか。


回答6:
そのとおりです。

証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。

みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。


これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

▼代表例=東史郎▼
東史郎

東史郎
支那のマスメディアでも盛んに取り上げられる東史郎

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い(関連記事1)(関連記事2)(関連記事3

中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた

永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明

舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×

曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された

田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状

太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった

富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた

上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

匿名・仮名証言の嘘の例
『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』というトンデモ本は匿名(仮名)の証言集だが、バレバレの嘘だらけ。
例えば、南京で強姦しまくったと証言した鬼頭久二(第16師団歩兵第33連隊 第1大隊)(仮名)は、計算すると南京戦当時11歳だったことになるが、帝国陸軍に11歳の少年兵は居なかった。


(参考)
偽造資料、ニセ証言者たち
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html

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