インタビューwithキタイ花ん

高田:酒井さんは現在、ピン芸人として活動されてらっしゃいますが、もうずっとピンなんでしょうか?


酒井:いえ、コンビを組んでいた事もありました。NSC時代なんですけど、その頃は『かんばさかい』というコンビで活動していました。それが解散した後は『センチメンタル』という別のコンビを組みまして……。


高田:で現在に至る?


酒井:いえ、『センチメンタル』の後、もう一度『かんばさかい』に戻ってから、また解散しまして。


高田:結構、複雑ですね(笑)。


酒井:すいません。ややこしくて(笑)。


高田:ピン芸人の方がご自分には向いていると、思われますか?


酒井:そうですね。やっぱりやりたい事が自分の思い通りにできるというのがありますから。ピンでできるところまでやっていきたい、というのはあります。


高田:酒井さんがやっていきたい笑いというのは、どういう笑いになるんでしょう?


酒井:ひとつあるのが哀愁漂う笑いですね。


高田:哀愁……ですか?


酒井:これは僕の考え方なんですけど、“哀しさの裏には笑いがある”と思っているんですね。これは僕が前にやっていたコントなんですけど、車会社の社長が自社の車に撥ねられて亡くなるというネタがあるんです。しかも、死ぬ直前に自分を車で轢いた人間に対して、「お買い上げありがとうございます!」という、そんな切ないネタなんですけど。


高田:確かにペーソス漂う笑いですね。切ない笑いというのは、映画でいうとチャップリンなんかもやっていますし、松本人志さんが作り出す『トカゲのおっさん』などのコントでもありますよね? そういったものに影響を受けたという訳ではないんでしょうか?


酒井:元々、僕がそういう笑いを好きなんだと思います。ニュースとか見てても、なんか切ないニュースにばかり目が行ってしまいますし、流れてくる曲とかでもやっぱり哀しい曲だと聞き入ってしまうんですよ。


高田:酒井さんはその時どういったお気持ちなんでしょう? 単純に哀しくなるのか、それとも哀しいけど面白い、なのか。


酒井:後者の方ですね。「これをこういう風にしたら笑いになるやん」とか「上手い事、哀しみを表現してはるなあ」って感心したりとか、そんな感じです。


高田:“哀しみの裏にある笑い”というのは酒井さんの中で、ずっとやっていきたいと思われるテーマなんでしょうか?


酒井:現段階では僕の中に大きくあるものですね。もちろん、それ以外の笑いもやっていきたいという気持ちもあります。いろんな方向性を試した方が、可能性も広がりますしね。


高田:酒井さんはNSCに入られる前、何をされておられましたか?


酒井:大学生でしたね。一浪した後、大学に入りまして、四回生の時に大学へ通いながらNSCにも行っていました。


高田:お笑い芸人になりたいと思い始めたのは、いつぐらいからでしょうか?


酒井:中学の頃、漠然とですけど芸人になりたいと思っていました。でも成長していくにつれて、やっぱり無理なんかな? とか思い始めまして、そのまま高校、大学と進んでいったんです。大学生の時に、また沸々と芸人になりたいという思いが蘇ってきたんですよ。多分、そのまま就職していても、どこかで芸人への未練というのが残るだろうと感じていましたので、それよりも好きな事をできるところまでやろうと決意して、NSCに入りました。


高田:就職というフレーズが出ましたけど、酒井さんはご自身で社会性のある方だと思われますか?


酒井:ないですね。まず僕、極端に愛想がないんです。以前、ショーパブでアルバイトをしていた事があったんですけどね。そこではインカムをつけて仕事をするんです。働いている時は毎日、上の人から「酒井、笑顔で」って言われてましたので、よっぽど仏頂面をしていたんでしょうね。だから接客業とかも向いていないと思います。


高田:人見知りされる方でしょうか?


酒井:します。一度、打ち解ければ大丈夫なんですけど、それまでに時間が掛かる方ですね。


高田:学生時代はどんなタイプでした?


酒井:まず高校時代は全く友達がいなかったですね。


高田:それまでは、いらっしゃったんですか?


酒井:中学ぐらいまでは、小学校の延長で何とかやっていけたんですけど、高校はゼロからのスタートになりますからね。ずっとひとりでしたね。


高田:誰とも会話をせず?


酒井:休み時間はひたすら図書館に行っていましたね。ただ授業中は、ぼそっと何か言って、それでクラスメートを笑かすというのはありました。次は「どうやって笑いをとろうかな」みたいな事は考えていたと思います。


高田:周囲からはどのように見られていましたか?


酒井:弁当もずっとひとりで食べてたんですけど、たまに授業中に笑いを取ったりするので、恐らく“掴み所の無いやつ”と思われていたんじゃないでしょうか。


高田:最初から、もうひとりでいいやという感じだったんでしょうか?


酒井:初めは僕も一生懸命、馴染もうとしたんです。でもなんかひとりの人間を苛めて、それで面白がったりしてたんで、そんな連中やったら一緒にいてもオモロないなあって感じで、僕から離れていったところはありましたね。


高田:孤独にはお強い方ですか?


酒井:どうなんでしょうね。ただね。さっきも言いましたけど、昼飯時にみんな楽しそうに机引っ付けてご飯を食べている時に、ポツンとひとりでいるのは、かなり寂しかったですよ。


高田:ちなみに学校が終わった後は、何をされていたんですか?


酒井:学校が終わると同時にすぐさま帰宅して、近くの公園でリフティングの練習をしていましたね。中学までサッカーをやってましたんで。


高田:大学生活はどうでしたか?


酒井:大学も友達ができなかったですね。NSCに入って、久しぶりに友達ができたという感じでした。


高田:仲良くされている芸人さんはどなたでしょうか?


酒井:『見取り図』の盛山君と『ドルフィンズ』 の浮田君が一緒に住んでいるんですけど、彼らとは仲良いんでよくそこへは遊びに行かせてもらっています。


高田:酒井さんはおひとりで暮らされているんですか?


酒井:僕もルームシェアをしています。僕と同期の『ヘンダーソン』の中村君や『吉田たち』のゆうへい君、あと後輩なんですけど、『プリマ旦那』の河野と一緒に暮らしていますね。


高田:ではお笑い芸人になられて、やっと仲間ができたという感じでしょうか?


酒井:そうですね。何かを共感できる人たちが増えましたね。


後編 へ続きますので、下記 へ読み進めて下さい)