第二十五回『豊田龍介さん』(作家コース) | 『作劇的人々』

第二十五回『豊田龍介さん』(作家コース)



『作劇的人々』

高田:豊田さんは元々、塾長の教え子だったんですよね?


豊田:そうですね。もう十年以上前になりますが、専門学校時代に教えていただいていました。


高田:現在、作劇塾では作家コースに所属されていますが、その頃から小説を?


豊田:いや、その頃は漫画家志望だったんですよ。


高田:当時はバリバリと漫画を描かれていた?


豊田:それがそうでもなかったんですよ。きちんとペン入れして完成させた事がありませんでしたから。


高田:僕も同じ専門学校に行っていて、豊田さんよりも一期後輩なんですが、当時豊田さんは文章コースにも出られていましたよね?


豊田:在籍は漫画家でしたけど、小説とかシナリオにも興味があったので、いろいろ顔は出していましたね。


高田:確かあの頃、大学の演劇部の人たちとも交流を持っていらっしゃいませんでした?


豊田:自分の中で『このまま行けば内にこもってしまって、まともに人と話せなくなるんじゃないか』という不安があったんですよ。それで自宅の近くにある大学に飛び込んでいって、部室のドアを叩いて「仲間に入れて下さい」とお願いしました。


高田:かなり勇気のある行動だと思うんですが、反応はどうでしたか?


豊田:快く受け入れてくれましたね。今、あの時のメンバーで業界に入って活躍している人たちもいますよ。テレビ局の制作にいる人とかね。


高田:専門学校時代って、豊田さんが監督で映画を撮りましたよね?


豊田:懐かしいですね。


高田:塾長にお会いする前から、よく映画をご覧になっていたんですか?


豊田:見ていなかったですね。テレビで放送されている有名な物を見ていたぐらいでした。


高田:その後、映画の世界に入ろうというお考えはなかったんですか?


豊田:その時って自分でもまだ何がやりたいか、明確ではなかったんですよ。だから、いろいろな事をしながら自分に何が合っているのか、模索していました。


高田:小説も書かれていたんですよね?


豊田:書いていましたね。卒業時に書いてもらったものを中山先生に見ていただいたいんですが、「なんやこれは!」って読んで5秒で捨てられました(笑)。


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高田:あれって豊田さんの話だったんですが、よく塾長が「こういう教え子がおってな」と話してくれていたんで、聞いてはいたんですが。


豊田:実は僕なんです。それぐらい作品のできがひどかったんでしょうね。今となってはいい思い出ですけど(笑)。


高田:現在、塾では小説を書かれていますけど、文章を書くのは前からお好きでした?


豊田:小さい頃はそんなに得意でもなかったですし、好きでもなかったですね。ただ読むのは好きでした。その頃は赤川次郎さんの小説とか好きで、読んでいました。


高田:僕もそうなんですが、やはり塾長との出会いによって、見る映画や読む小説ががらっと変わったというのないですか?


豊田:それは大いにあるでしょうね。やっぱり面白い作品や、本当の意味で質の高い作品をたくさん教えていただきましたから。


高田:どの辺りから塾長と親しくなっていったんでしょう?


豊田:専門学校時代に中山先生が引越しをされるという事がありまして、その時にお手伝いに行ったんですよ。その辺りから先生宅で行われる飲み会にも参加させてもらうようになりました。


高田:それから塾長が作劇塾を立ち上げられる訳ですが、その時はどういった立ち位置でした。


豊田:企画やイベントをのお手伝いをしたり、いろいろと補佐的な事をやらせていただいておりました。ただ今から思うと、真剣に創作と向き合ってはいませんでしたね。


高田:その後、諸事情があって塾から離れられる事になる訳ですが、その頃は創作的な事を何かされていたんですか?


豊田:たまに友達から紹介されて、エロゲーのシナリオを書いたりとかしていましたね。あと小説も書いていました。それで完成した作品を投稿したんですよ。


高田:結果はどうでした?


豊田:残念ながら一時選考で落ちまして、一時で落ちるという事はよっぽどダメなんだなと思いました。それで基礎からやり直すべきかなと感じたので、入塾を決意したんです。やっぱり塾に来ないと、小説を読んでくれる人って限定されちゃうんですよね。塾に来ると色々な人から意見をもらえますので。


高田:塾に入られて、初めて書いてきた小説の課題がラノベ風の物でしたよね。


豊田:はい。中山先生から「何がしたいのか分からん」と酷評されたやつですけど(笑)。


高田:実際はどうだったんですか?


豊田:ラノベだったら何を書いても許される部分があるからと、確かに甘く考えていた部分はありました。


高田:よく飲み会に参加される豊田さんですが、飲んでいる時の豊田さんはいつも楽しそうですね。


豊田:僕は今、仕事をしながら塾に通っているんですけど、職場の人とだと創作談義が思う存分できないという欲求不満がずっとあったんです。でも塾生の人だったら、遠慮なくできるんで、それがいいですね。


高田:豊田さんは特に映画談義がお好きですもんね。


豊田:この前、職場の人にモノクロ映画を見ているって言ったら、変な目で見られたんですよ。「あんな古いの面白いですか?」って感じで。


高田:僕らも塾長に出会っていなかったら、同じような事を言ってそうですが(笑)。


豊田:間違いなく言っているでしょうね(笑)。だから普段、職場の人とかと映画談義になっても、凄く抑えて話す自分がいるんですよ。たまに「好きな映画何ですか?」って聞かれる事があるんです。その時もその人たち用の答えを用意する自分がいて、それが凄くもどかしくて嫌なんです。


高田:そういえば、一度豊田さんが塾に戻られる一、二年前に塾長宅で、当時、専門学校に在籍した塾長の教え子が集うという会があったじゃないですか?


豊田:ああぁ……、その話を出しますか?


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高田:あの時、僕は、酔っ払った豊田さんに絡まれているんですよ。


豊田:ちょっと、用事を思い出したんで帰っていいですか?


高田:ダメです(笑)。


豊田:でもね。今から思うと、塾に戻りたいのに戻れないという気持ちが強すぎたからなのかなという気がするんです。だから塾生でいられる高田君が羨ましかったのかなと。それで絡んでしまったんだと思います。その節は本当にすいませんでした。


高田:いえいえ、そういう事情でしたら許します(笑)。ところで豊田さんが塾に復帰されたのはいつ頃でしたっけ?


豊田:2009年の11月頃です。


高田:入塾される前に塾長ブログ作劇塾の公式ブログ をチェックされたりというのは?


豊田:見ていましたね。だから武層新木朗さん がファミ通でデビューしたとか、塾生の活躍はすでに知っていました。


高田:ではどういう塾生がいるかとかも、ある程度はご存知だったと?


豊田:頭の中で答え合わせをしていましたね。「これが東野君 か」とか、「これがマシンガンお嬢 か、噂通りよく喋る人だなあ」とか(笑)。


高田:塾生からは刺激をもらっていますか?


豊田:そうですね。塾に来ると楽しいんですが、それだけではダメだなとも思うんです。もう僕も30歳を越えているんで、そろそろ本腰を入れてやらないといけませんから。


高田:現在、豊田さんは塾の課題で時代劇小説を書かれていますよね。なぜ時代劇を書こうと思うに到ったかを教えてもらっていいですか?


豊田:最初の課題を出した時に、中山先生から「ちゃんと資料を読み込んで書いてるか?」って尋ねられたんですね。その時に“最も資料を調べて書かなければいけない小説”って何だろうと思ったんです。


高田:それまでは調べて書くのが苦手だったんですか?


豊田:邪魔くさいから、という非常に甘えた理由でやっていなかったんですね。せっかく塾に入ったんだし、今まで逃げていた部分に向き合おうと決意したんですよ。そこで時代劇を書いてみようと思い当たりました。


高田:時代小説を読まれるはお好きでしたか?


豊田:はい。山本周五郎さんや司馬遼太郎さんの小説はよく読んでいました。今度は書く側に回りたいなと。


高田:豊田さんの書かれている時代劇の小説を読んでいると、一文一文、丁寧に書かれているなという印象を受けるんですが。


豊田:一文書くのに、資料とにらめっこしながら書いてますね。こんな言い方をすると変かもしれませんが、小説を書いているな、という実感があるんです。そういう意味ではそれまでに書いていたのは、小説になっていなかったのかもしれません。


高田:時代劇を書くなら落語をした方がいい、と塾長がおっしゃっていましたが、桐の一門に入られる予定は?


豊田:入る気満々です。どのネタをしようかなと思って、今落語を聴いていっているところです。今、課題で書いている小説が深川を舞台にした物なので、柳家小さん師匠の落語とか、江戸落語はためになりますね。


高田:最後に今後の目標を教えて下さい。


豊田:近いところでは小説を仕上げて、賞に応募する事ですね。将来的にはやっぱり創作の仕事だけで食べていけるようになりたいです。


高田:それは小説一本って感じでしょうか?


豊田:なかなかそれだけ食べていくのは難しいですから、文筆でお金をいただけるのならライター業とか、様々な事もしていきたいなと思っています。

              インタビュー・文 高田豪