記入サンプル:長崎一郎くん(その三) | 記入サンプル:熊本太郎のブログ

記入サンプル:長崎一郎くん(その三)

その一その二
のつづき、このお話は連続ものです。

長崎くんは、
入社三年目にして一眼レフカメラを購入した。

カメラ・ステレオ・車は
七十年代の男の三大ステータスだった。

そのひとつを長崎くんは手に入れたのだ。
当然フィルム式カメラの時代である。

「こいつアホや」

そうそう人の悪口を言わない
愛媛君が長崎くんをなじった。

愛媛君と後輩の函館君は、
長崎くんとともに北海道へ撮影旅行に行った帰りだった。

愛媛君によれば
長崎くんは、ホテルや食事などには
金をかけて贅沢するくせに
景色がいいから写真を撮ろうというと
フィルム代が勿体ないと
殆ど写真を撮らなかったそうだ。

珍しく愛媛君が語気を荒げた。

「だから、なにしに北海道行ったんや」

「そりゃ、撮影旅行に決まっとろうもん」

「ほんじゃ、なんで写真を撮らへんかったん」

「写真は現像代もかかっとぞ。
 失敗したら金が勿体なかし怖いやん」

「アホか」

そういえば、

女は強引にいけばついてくるんだよと
自信満々に同僚や後輩に吹聴していたが
そんなハズもなくあえなく轟沈
そして思いっきりの意気消沈。

後輩の函館君すら呆れさせたこともあった。

それでもめげない長崎くん
入社五年目にして車を買った。

カメラに続くふたつめのステータスである。

当時最新のロータリーエンジンを積んだ
真っ赤なスポーツタイプの車だったらしい。

なぜ”らしい”なのかというと、
私はその納車当日の日曜日、
朝から出かけていて見ていないのだ。

真っ赤なスポーツカーが納車されると
早速、長崎くんは後輩の函館君と
下請け会社の三崎君を連れて
ドライブに出かけた。

「最初は、すっごいおっかなびっくりでね」

地元出身で運転に慣れた三崎君が、
慎重を通り越してまわりに迷惑だから
運転を代りましょうというくらい
長崎くんはガチガチに緊張していたらしい。

だが、長崎くんが納車されたばかりの
新車のハンドルを他人に譲るはずがない。

「研究所の坂でスピード出そうぜ」

段々調子に乗ってくると
長崎くんがそう言いだした。

二人はやばいですよと止めたが、
長崎くんは言うことを聞かない。

私たちが働いていた研究所は、
市街地から離れた小高い山の上にあった。

相模湾越しに富士山が見える小高い山には
研究棟と門を結ぶ長い曲がりくねった坂道がある。

車好きの若者なら
こんな坂道をスピード出して走りてぇ
と腕試しをしたくなるような道だ。

長崎くんは、
休日には本来入ってはならない
研究所の敷地内に侵入した。

そして研究棟前の駐車場から門にいたる
長い下り坂のワインディングロードを
猛スピードで駆け抜けた───

敷地内には誰もいないのだ
対向車を気にする必要もない
さぞや気持ちが良かっただろう。

だが、スピードを出しすぎた車は
最終コーナーを曲がり切れずに
研究所の頑丈な門扉に激突。

死傷者が出なかったのが
不思議なくらいに車は大破

即、廃車。

納車から三時間後のことだった。

会社のお偉いさん達が
当時は国の関連施設だった研究所から呼び出され、
特注の門扉の全額賠償をはじめ
沢山のペナルティを受けた。

また、上司は三崎君が務める会社に
大事な社員に怪我をさせてと頭を下げたようだ。

長崎くんには良い薬だとは言う者もいたが、
車は大破して残ったのはローンと賠償金だけ
本人もショックが大きかろうと
周りはそっとしておいた。

しかし長崎くんは
我々の想像以上に思いつめていたようだ。

「死のう…」

部屋で一人になった長崎くんは、
自ら手首を切った。

だが、手首からあふれ出てくる血を見て
長崎くんはしだいに怖くなってきた。

そしてその恐怖にこらえきれなくなって
寮長の部屋に駆け込んだ。

ドンドンドン

「どうしたの長崎くん。こんな夜中に」

「寮長、どうしよう。切っちゃった」

「ありゃりゃ、こりゃ大変だ」
 
寮長は大至急救急車を呼び、
病院まで付き添った。

幸い大事には至らなかったが、
広島係長と仙台主任が
再びため息をついたのは言うまでもない。

それから半年後、
長崎くんは九州支社に転勤することになった。

テイのいい厄介払いのようだが、
当時は私も長崎くんもまだ23才であるから、
上司の親心だったのかもしれない。

長崎くんは、
地元に帰れると大喜び
いつもの元気をとりもどした。

そして、
エヘラエヘラと九州の地に赴任していった。

記入サンプル:熊本太郎のブログ-土井


おしまい

*登場人物の名前は仮名、話半分です

イラスト:熊本太郎画伯

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