『思いやりや優しさの根源にあるものは、相手の心を想像する事』
真戸原さんのとあるブログ記事の冒頭部分。
戯れ言は(当たり前ですが)これじゃなくて、今から自分が綴る駄文の事です。
口調軽く変わるかも(授業中に書いてたんで)
その言葉はつい最近自分が考えていた事だった。
人を思いやれる優しさを持つ為には、まず相手の気持ちを考えられるようにならなければ駄目なのじゃないか、って。
何でそんな事を考えたのかにも理由……きっかけがある。
それは人が人を傷付けているのを今までに何度も見てきたから。
傷付けられた側は嫌な思いを抱くに決まってる。
なら逆側は?
傷付けた側は何を思い、その人を傷付ける?
もし傷付けられた側の気持ちを少しでも考える事が出来たら、そんな事はしないんじゃないだろうか。
小さい頃からよく言われた言葉がある。
“自分がされて嫌な事を相手にしてはいけない”
昔から教訓のように言われ、遵守しようと思ってきた言葉だ。
相手がこういう事をされて、自分がその立場だったらどう感じるだろうな。
そうやって人の気持ちを想像してみる。
それが出来た上で、尚も人を傷付ける事に罪悪感を覚えられない人がいるのだとすれば、
その人は一度傷付けられる側になってみればいい。
微妙に話が逸れてきたから戻そう…;;
真戸原さんの書いた詞にある、
「どうして人は人を傷付けるのかな」
人は生きていくのに他者を傷付ける必要なんてない。
正当防衛ならまだ解るけど、故意に傷付けるのだったら全くもって理解出来ない。
……言ってしまえばボク○ングも理解し難いんだよな。
スポーツとはいえ暴力ではないか。
まぁ、それは置いといて。
どうしたら人は人を傷付けずに済むんだろうね。
高校生になって、そんな事をよく考えるようになったけど、実際は何も出来ないし何も変わらない。
だからそう思う度にアンダーグラフは凄いなと思う。
歌でちゃんと自分達の気持ちを伝えてる。
やりたかったっていうチャリティー活動にも参加してる。
それらは確かに善い結果をもたらしているはずだ。
一人でもいい、二人でもいい。
身近な人でいいから、
「人を傷付ける事」
「相手の気持ちを想像する事」
この二つについて伝えたい。
やっぱり人はどうしても負の感情を抱くみたいだから、誰かの陰口を言っちゃうし、理不尽な怒りだって持ってしまう。
それを少しでも減らせたらいいなと思って。
前にも似たような事を言った気がするけど、これは本音だから。
怒りも憎しみも、そんなものは何にもならないって事を伝えたい。
そりゃあ自分だって誰かに怒りを覚える時ぐらいはあるんだけど。
でもそれは昔より格段に減った。
アンダーグラフに出会って、真戸原さんの詞を読んで、歌を聴いたから。
それと、ある雑誌で真戸原さんが言ったある言葉。
それが一番決定的だったかな。
大した意味もなく人を嫌うのは止めようと思った。
話が色んな脇道に逸れて戻せなくなってしまった…;;
ていうか、見返してみるとかなり乱文になってる…orz
結局は何を言いたかったんだかね。
いや、最近……でもないけどウチの学校の生徒達ってば人の悪口言ってばっかだからさぁ。
中学の頃はイジメが多かったし。
そこに「相手の気持ちを想像する事」なんて箴言を見てしまったから、次から次へと言いたい事が浮かんでくるわけでね。
でも自分がそれから考えた事と、真戸原さんがそれから考えた事は出始めからして違いが生じてます、既に存じております。
真戸原さんはそこから全ての人が共通に持つものは「気持ち」であるという答えを導き出していましたので。
それがテーマになり、「おんなじキモチ」が出来たんだなぁと考えると、やっぱり真戸原さんの創る曲はどれも奥深い。
もうこの記事脱線だらけで何が言いたいのか全然解らん。
というわけで、ここで切ってしまいます。
最後まで読んでくれた方、有り難うございましたm(__)m