続・『君は夕焼けを見たか』―作詞・阪田寛夫さんの「解釈」は?
昭和59年度NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲A
君は夕焼けを見たか
作詞:阪田寛夫、作曲:黒澤吉徳
「君は夕焼けを見たか」
作詞の阪田寛夫さんのコメントがあったので、
要約してご紹介します。
ちなみにこの解釈は阪田さんが
一合唱団員になったつもりでの解釈で、
人それぞれ解釈が違っても良いのだそうです。
ちなみに当時はの「教育音楽」は
出場校の先生方のその年の課題曲についての
座談会記事があったのですが、
「見よ 見よ」の部分の勇ましい感じは、
女声に不利ではないのか、
という意見も出されていました。
(結局、その年は高崎女子が優勝でした。)
「君は夕焼けをみたか」の意味・解釈
君は夕焼けを見たか
野の涯までも染めつくす
穂麦の色のかなしみを見たか
夕焼けは赤いというが、
穂麦色は色彩としては金茶に近い。
↓
それはまた「かなしみ」だとも言っている。
↓
だから普通の夕焼けの体験ではない。
耳をすますと歌が
別れの歌がきこえてくる
うたっているのは誰であろう
その穂麦色の天地の中に立っていると、
別れの歌が聞こえてきた。
↓
子供の頃は夕焼け空を
あるがままに受け止めていた。
↓
この歌詞の「かなしみ」や「別れの歌」は
ただそういうことだけではない。
夕日にむかいさかのぼれば
あどけない日々のかなたへ
雲は君らを迎え入れ
黙って天をさすだろう
夕陽に向かってさかのぼるような、
自分の立っている地球ごと
まるで傾いていくような
不思議な思いに駆られていると・・・
↓
子供である自分と訣別して、
違う世界に入りかけている。
君は夕焼けを見たか
大きなものが傾いて
おわりの焔をもやすのを見たか
じゃあ、ただ「大人」になることだけなのか?
↓
もう一度夕焼けを見ると・・・
大きなものが傾いて、
まるでこの世の終わりを告げるように、
おわりの焔を燃やしている。
これが君らの別れ
君自身とのわかれのとき
うたっているのは君のこころ
おわりの焔に向かい合っているのは、
世界中にたった一人、自分だけ。
↓
このままでは、何でも自分が自分中心で、
自分は自分の意思で生きているんだと思ったり、
世界は自分のためにあると思ってしまう。
↓
どうやらそうはいかないらしい。
↓
生きているというよりは、
世界によって生かされている気持ちに
生まれて初めて心底打たれる日。
↓
これまでの自分自身との別れのときを、
誰もが人生のどこかで持っている。
見よ 燃える空
あの空に映るのは
人の世の苦しみ、争い
そして愛―
その後見えて来るのは・・・
「人の世の苦しみ、争い」への悼みと
それらを和らげる「愛」への共感ではないか?
【参考文献】
「教育音楽」中・高版 1984年
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