呉!くれ!もっと クレェ~!・・・ の simajinさんと、
とびしま海道を行く旅、
大崎下島 御手洗(みたらい) を、
訪れております。
simajinさんは、初めての訪問ですので、
もらった地図を広げて、きっちり観光されるご様子・・
私は2回目の訪問ですが、5年も経っていますので、
ご案内などは、とてもじゃないけどできませんので、
simajinさんが、興味がおありのところへ、
ニコニコついてゆく所存でございます^^
私 「こっち、確か、元・遊郭があるんですよ」
こんなことを言われて、
simajinさん、靴先を、その遊郭に向けざるを得ません。。
元・遊郭・・若胡子屋跡(わかえびすや・あと)、
というのですが、
私が5年前にきた時は、中が崩壊寸前で危険ということで、
耐震工事をする前で、入れなかったんです。
その後、工事を行ったとも、入れる様になったとも、
聞いてなかったので・・
何となく、島のことだし、(すみません。。)
まだ入れないと思いきや・・
入れました
一部抜粋して、まとめます。
江戸時代の茶屋の跡。
ここは遊女の港町として、船人たちの旅情を慰めてきたところです。
(うまいこと表現しますね^^)
広島藩から免許された茶屋が4軒あり、
ここ、若胡子屋がいちばん大きく、
100人以上の遊女を抱えていた時期もあったそうです。
ある「事件」が、きっかけで、
100人以上を抱えるのは断念し、最大99人迄、に、
なったりもしました。
昔の船は、風任せ、潮任せで走っていましたが、
後世、動力が発明され、
船がこの町に立ち寄ることも減って、衰退してゆきました。
のちに、浄土真宗のお寺になり、
公民館になり、
いまに至ります。
大体、こんなかんじです。(かなり雑ですが^^)
そんな、HIRTORYを現した写真が、
こんな、斬新な展示のされ方になっています。
この場には合っていますね。
でも、最初、何がぶら下がっているのか、
(こんな貴重な写真が展示されているとは)
わかりませんでした。(笑)
さて、今日、初めて入れて、よかったのですが・・
いかんせん、いろんな遍歴があった為、
お寺の様でもあるし、公民館そのまんまというかんじもしますし、
何か、不思議に古い空間です。
建物自体は、かなり大きいです。
画像では伝わらないかもしれませんが、
結構、大きな木が植わっています。
こんな木が、庭に植わっている位ですから、
建物というか、
規模自体かなり大きい・・とは、思うのですが、
ここにどうやって、100人以上も入っていたのか・・が、
私には、どうにも、謎。
(まぁ、現在の間取りは、当時と違っているのかもしれません。
それか、私が何か、思い違いをしているのか・・)
2階に上がったら、こんな風に下が見渡せました。
赤い鉄筋が、耐震工事した部分、ということでしょうか。
元遊郭だから・・真っ赤
これはこれでいいと、私は思うけど、
昔の建物にこれはアリなんでしょうかね・・と、思われそうかも。
上がった2階の画像。
鉄の梁みたいなのが渡されているのですが、
こんなんで耐震になるのかな と、
写っていないけど、神棚がありまして、
ここは何だったんだろう と、
何か、不思議な空間でした。
(後で何だったか・・わかったのですが、あえてスルーします)
若胡子屋跡(わかえびすや・あと)
9~17時(らしい) 無料
この記事は、帰宅してから書いているワケなのですが、
まとめているうちに、
知らなかった事実や、
あれはどういう意味だったんだろう、ということが出てきて、
まとめきれなくなりました。
ここへは、もう一度きて、
検証してみたいです
③へつづきます。