こんにちは
「色と光の窓」
これは 私の活動名です
ローズウィンドウ講師になり
どんな 名前をつけようかな?と思ったとき、
ふと、
「色と光の窓」 がいいな♪ と おもったのです。
最近の 気づきとともに
今のタイミングで
「色と光の窓 」から メッセージがとどいたようです(^^)
私の セッションのときって、
私は 「チクワ」であり、
「窓」である
と、感じることがあります
チクワとは? 何ぞや?
チクワでなくても パイプであっても
光の柱であっても同じことです(^^)
このことも 小さなころから 体感していたことなので、
否定しようがないことなのです。
長くなるので、また今度にしますが(笑)
「色と光の窓 」という
ローズウィンドウの 活動名にしたときは
ここまで感じて 名付けてはいなかったのですね。
ローズウィンドウは 教会の薔薇窓を意味し、
薄い紙で作る ステンドグラス
ローズウィンドウを 窓辺に飾ると
魅惑的な 美しさに引き込まれ、
差し込んだ 光は
私たちの視覚を通じ、
色彩となって 空間や全身に広がっていきます
光も 色も ツブツブ♪
どこまでも 私の世界だね(笑)
エネルギーは 波
波が意識されると 粒となり
粒は 集まり カタチをつくる
目にみえにくいことや、
ミクロの視点から マクロを見てしまうのは
もう 私だから 仕方ないしね(笑)
光が差し込む 窓辺に
色彩放つ ローズウィンドウを観るとき
色が届けてくれること
幾何からのメッセージ
視覚を通じて 全身で 受け取っていくかのようです
窓辺の ローズウィンドウから 色と光が 溢れ、
幸せが巡っていったら いいなぁ♡
と いう気持ちを込め名付けました
そして この 窓は
あなた自身であり、私自身でも あり
それぞれの世界に繋がる 窓なのです♡
ローズウィンドウの講座のときも、
セッションのときも、
私と 今 目の前にいる あなたは
もとは 1つであり、代々 魂の共有があって、
繋がっているんだ…
ということを 強く感じてしまうのです
この魂のお話も また 書き留めます♪
お互いを意識したり、映し出すものは
扉の向こうでもなく 鏡でもなく。。
イメージは 「窓」
お家の 窓は クリアなほうが より 力強い光が射し、
視界がひらき、外の景色も はっきりと綺麗にみえます
ガラス窓は、
もとから 向こう側は 透けてみえているのですが
気付かなかったり、お掃除しないでいると
だんだん曇ってきますよね
私は
窓の 外側、 もしくは内側に立ち、
同時に 磨いていくように、
もとの 輝きに 戻していく。。
その 時間と空間では、
パートナーとなり 気付かない部分を見つけ、
助けあい 補いながら、
共同作業を していくような 感じです。
私は セッションをするとき
毎回 そのような 感じ、感覚になるのです
そして
セッションだけでなく、
ローズウィンドウの講座でも ワークショップでも
ホロスコープを読むときも…
ツールは何であっても
きっと 根源は 同じであり
繋がりあっていること
切り離すことが出来ない 私なんだ…と感じています
内側の窓からでは 気がつきにくい箇所も
ビューポイントを変えてみる
外側からみたり、近づいてみたり、
離れたところから 見ていくと、
そのかたが発する 輝きが
みるみると 姿が現れていくような 瞬間があるのです。
それは
とっても 美しくて 眩しくて
誰しもが かけがえのない 存在であることが
とても 愛しいな〜とおもうとき
私の 感覚は 敏感に動いてしまうのです♡
私は そのかたの「 窓」は
無理やり開けることはしません
曇ったように見えている 窓の向こう側の事を、
深い部分では、すでに知っているんだなって。
解ってはいるけど、できなくても、
なかなか晴れなくても
それは それで 良いときもあるのだよね
時が満ちた時、
そのかたの 方法で クリアできるのだと 私は思います
ちょっとした きっかけを なかったことにせず、
ふと。。感じたことを キャッチしようとしていくと、
開く準備ができた 窓 から
ゆっくりと
ときには 勢いよく 開き、
開けた窓からは 風が入ってくることもある
誰しもが 望む
気持ちを わかってもらいたいこと
望んでいることを叶えていくこと
私がわたしを 幸せにすること
見えていない、感じないからって
もう それを ないことにはできない
カーテンを開ける勇気と 窓を 磨いたら
色彩と光の世界に出会う☆
輝く ツブツブたち が 喜び弾けていること、
一緒に その世界をみたいんだ!
と、想い馳せてしまうのです♡
私の窓から放たれている 光差すほうへ
こうやって 私は カーテンを 開けるところから、
ちょっとずつ 歩んでいくんだ
チクワの 話は またいつか♡
画像は pintelertより お借りしました